魔法のバラは最後の花弁を散らす
せっせと室内の掃除をするメイドさんの動きを眺めながらぼうっとする。


あけられた窓から穏やかな風が吹き込み、レースのカーテンが揺れる。


「紫杏様、お茶をお飲みになりますか?」


首を横に振りカーテンへ目を向ける。


「今日はとてもいい天気ですね」


季節は春を迎えようとしていた。穏やかな陽光が降り注ぎ、庭では庭師が整えた庭園が色づき始めている。


「少しお外をお散歩しますか?」

「ううん、みんないそがしいから、いい」


先の誘拐により、私の外出には必ず守護者の誰かがつきそうことになっていた。特に今は体力もなく満足に走ることもできないため何かあった時に逃げられないからだと説明されている。


左手小指に手をやり、そこにリングががないことに気づく。今日はこれを何度も繰り返している。


誘拐された時には確かにつけていたはずの、リボーンからもらったピンキーリングは、救出される時にはすでにつけていなかったようだ。とても大切にしていたのに。不安な時にはそれを触るのが癖になっていた。リングの存在がいつもリボーンがそばにいてくれるような気がしていたのに。


仕方なくサイドテーブルにあった本を引き寄せ、しおりが挟まっている場所を開く。文字を目で追っていくが、頭に文章は入ってこなかった。








びくりと体が跳ねた。喉に張り付く悲鳴に目を見開き、天井を見上げる。そこが自分の部屋だと気づき、呆然とした。


「紫杏、大丈夫か」


そっとかけられた声と汗で額に張り付いた髪をどける手に傍を見ると、リボーンがそこにいた。トレードマークとも言えるボルサリーノは今はサイドテーブルに置かれ、彼の膝上にはレオンが丸まっている。


窓から入る日差しによる影はいくらか長くなっていることから、数時間が経っていることが伺えた。


どうやらいつの間にか眠っていたらしい。


状況把握に努めていると、ふと自分の片手が暖かいことに気づく。見るとリボーンが手を握ってくれているようだった。


初めてリボーンに会った時もそうだった。私は必死に彼の手を掴み、離すまいとしていた。その手を彼も振りほどかなかった。


「りぼー、ん……」

「ん?どうした。悪い夢でも見たか」

「あ……」

「大丈夫だぞ。ここに怖いものはない。何より俺がいる」


そっと私の頭を撫でながらリボーンは言う。


「もう少ししたら麻衣が来るって言ってたぞ。成吉も連れてくる」

「だめっ」


とっさに出た言葉に、リボーンは目を見開いた。


「あ、いたく、ない」


蚊の泣くような声で伝えたそれに、心が痛む。リボーンはさらに怪訝な顔をし、私の顔を覗き込んだ。


「どうした?」

「きちゃ、だめ」

「なぜだ?」


口をつぐみ、首を振る。


心臓が早鐘を打つ。嫌な汗が背中を伝う。冷たいものが指先から全身へ広がっていくようだった。先ほど見たのが夢だとわかる。わかっているのに、まるで予知夢かのようだ。あれが現実に起こるのではないかと思えてならない。


「あわない」

「紫杏。それは悪い夢だ。ただの夢。こっちを見ろ」


首を横に振る。何度もただの夢なんかじゃないと首を横に振るが、リボーンはそれを許さなかった。


「紫杏!」


鋭い声で呼ばれ、無理やり顔を上げさせられる。まっすぐに見据えるリボーンの黒曜石の瞳が私を捕らえる。


「お前が見たのは夢だ。麻衣は無事だ。成吉も元気に歩き回ってる。ツナたちも俺もいる」

「で、も……」

「俺たちはそんなに弱くねえぞ。知ってるだろう」

「わた、しが……、ばけものになる」


みんな、ころしちゃう


リボーンが目を見開いた。


「誰かに何か言われたのか?」

「おいしゃさん、いってた。じっけんのこと。ばけものになるって。わたしも、そうなるかもって。だから、まだけんさするんでしょ?あそこで、みたよ。大きなばけものたくさんいた。わたしも、ああなるかもしれないんでしょ」


檻の中から出され、実験室へ向かうまでに見たのは恐ろしい化け物たちだった。檻の中に閉じ込められているが、興奮した様子で檻を揺らし、咆哮を上げる様は恐ろしいとしか言えない。


何より、私もあの化け物と同じになるかもしれないことが恐ろしくて仕方がなかった。


「こわい……またわたしがきずつける」

「また?」

「まえも、このまえも、わたしのせいで、おかあさんけがした」

「どれもこれもアボロッティオが原因であって、紫杏が悪いはずがねえ」


私はそれでも首を横に振る。


「大丈夫だ。そんなことにはならない」

「なるよ、ばけものになって、みんな、みんなにげてくんだ!またっ、また、わたしはっ」


私を抱きしめようとしてくれるリボーンを突っぱねた。


誰もが恐怖の目を向けてくる。誰もが私から逃げていく。蔑みの目を向け、お前なんかいらないのだと化け物だといって虐げられる。また私は捨てられてしまう。もう一人の私が分け与えてくれた居場所なのに。


「紫杏。誰もお前から離れていったりしないし、お前は化け物にもならない」

「ちがう!だってっ、おとうさんいってたもん。おとうさんの中心は、おかあさんなんだよ。わたしは血もつながってなくて、ちがうせかいから来て、ほんとうはこどもじゃなくてっ」

「紫杏……」

「ずっと、ずっとだましてて、しかも、ばけものにもなるかもしれないんだよ。ばけものになったら、おかあさんもなりよしもあぶないんだよ。おとうさんが、それをゆるすはずがない!」


普段は優しい瞳が、冷たく蒼い炎を揺らめかせる様を私は忘れていない。振り払われた手の痛みを今でも覚えている。


お父さんの中心はどこまでいってもお母さんで、その中には今は成吉もいる。お父さんの守るべき腕の中にはお母さんたちだけではなく守護者や部下、街の人たちとたくさんの命がある。私は、その中に私の存在があるのかを考えると怖くなる。


「もうひとりはいやだ……」


石のように嵐が過ぎ去るのをただ待っていればよかったあの家とは違う。私の本当の家はあそこでしかなくて、どれだけ暴力を振るわれようと、どれだけママから暴言を吐かれようと、あの家はあの部屋は確かな私の居場所だった。


しかし、ここでは違う。私の部屋はあっても、居場所がなくなる時はなくなるのだ。あの時のように。


「わかった。それなら、結婚しよう」

「へ??」

「結婚。するぞ」


ぽかんとリボーンを見上げた。最初は聞き間違えかと思ったのに、しっかりと繰り返された言葉に聞き間違えではないことを知る。


どこからそんな話になったのか、脈絡がなさ過ぎて思考が停止する。


「そうすりゃ、俺と紫杏は家族だ。夫婦になる」

「え?」

「絶対に一人にならねえだろ。あれだけ反省してたツナがまた同じ轍を踏むようなバカだとは思わねえが、もし同じバカをしたとしても俺とお前は家族だから一人にはならねえ」

「う、うん?」


確かに、そう、なのかもしれない?


「で、でも、わたしばけものになっちゃうかもしれないんだよ?」

「そうなった時は、俺が殺してやる」

「え……」

「俺は凄腕のヒットマンだからな。紫杏がもし化け物になった時は、紫杏が誰かを傷つける前に殺してやる」

「ほんとう?」

「この指輪に誓ってやる」


そう言ってリボーンはポケットから取り出した小さなリングに口付けた。


それは私がなくしていたと思っていたリボーンからのプレゼントのピンキーリングだった。


「これ……」

「もう無くすんじゃねえぞ」


驚きに目を見開く私をよそに、リボーンはそのピンキーリングを私の左手の小指に通した。一年経って少しばかりサイズが変わっているかと思われたが、不思議とサイズがぴったりのそれ。そっと撫でると途端に安堵が胸中に広がっていく。


「変わらぬ想いをお前に」


それは、クリスマスの日にこのリングと共に送ってくれた言葉だった。あの時は、意味がわからなくてもいいと言って誤魔化されたのだ。しかし、今は違う。リボーンの目はまっすぐに私を見据える。その奥にちらつく熱に私は慄く。


「リボーン?」

「お前はすぐにフラフラするからな。首輪の一つもつけておかねえと」

「フラフラ、してないよ」

「してるだろ。おちおち目も離せねえ」


そんなにフラフラしているだろうかと首をかしげる。


「ちょっと放っておくとすぐ変な方に落ちていきやがる。さっきもそうだ」

「だって……。バケモノになっちゃうんだよ?」

「まだ分からねえだろう」

「でも」

「でもじゃねえぞ。俺が、俺たちがそんなことにはさせねえ。そのために医療チームもいるしヴェルデにも協力させてる」


リボーンが私の頬をくすぐる。彼の顔を見ると、まるで仕方ないなあと言うような顔だった。私にとってはとても真剣なことだったのだが、リボーンにとってはなんてことないことのようだ。


「俺にここまでさせる女はお前くらいだ」


不意にリボーンの声が耳に入って思考から引き上げられる。目を瞬かせる私に、リボーンは言った。


「さっきの結婚の話。冗談じゃないからな」


リボーンは一人で楽しげにエンゲージリングが必要だなとか、ツナが義理とはいえ父親かとか言っている。


「わたし、いまこどもだよ」

「俺も10歳だ」


外国人と日本人の差なのかリボーンだからなのか、彼が10歳だとは到底思えなくてそのことをすっかり忘れていた。まだ大人にはなりきっていないリボーンだけれど、大人顔負けの思考回路なのだ。それに守護者の皆どころか、今まで出会った全ての人たちがリボーンを大人と同等に扱う。だから年齢という概念をすっとばしていたのだろう。


「けっこん、できないよ」

「今はそうだな、許嫁って位置で我慢してやる」

「がまん‥‥?」


そもそも論点がおかしいのではないかと首をかしげる。


「年の差は5歳。大人になりゃ珍しくもない年齢差だ」

「でも、わたしほんとうは17だよ」

「そうだな。まあその辺はおいおい話してやる。俺の秘密だ」

「ひみつ?」

「それはまた今度な」


リボーンが私の頬に口付けた。顔を真っ赤にさせる私を見てリボーンは楽しそうだ。


「好きだぞ」

「!!」

「紫杏は?」


黒曜石の瞳が私を覗き込む。その瞳はいつだってまっすぐに私を見つめる。そして、彼の手は私が初めて会った時から私にとって安心できるものだった。私を怖いものから守ってくれる大きな手。彼のそばが何より安心できて、それでいて彼に見つめられると胸が痛くなるほどにドキドキする。


ずっと気づいていた。


いつからなんてわからないけれど、気づいた時にはこの気持ちは芽生えていた。転んだ時には待っていてくれて、怖がっていると手を差し伸べてくれる。


今だって、いつの間にかさっきまであった恐怖や怯えの感情が消えて無くなっている。


「わたしも、リボーンが好き。だいすき」


17歳の私は恋なんてしたことなかった。好きになってくれる人なんていないと思っていた。私は誰にも愛されないんだと思っていた。


でも、この世界に来てからはたくさんの出会いがあった。お父さんに拾われて家族ができた。お母さんは本当のお母さんみたいに接してくれた。いろいろあったけれど今では弟もできた。リボーンは私の手を掴んでくれて、いつだって導いてくれる。


たぶんこの先もいろいろな怖いことがあるのだろう。また今日みたいに悩む時だってある。でも不思議とリボーンがそばにいてくれるなら大丈夫だと思える。リボーンがそばにいてくれるだけで、私は少しだけ強くなれるのだ。


リボーンは私の頬にもう一度キスをするとニヒルな笑みを浮かべた。


「結婚できる歳までは待ってやる。お前のその体が大人になった時、紫杏の心に俺がいるのなら、その時は正式に紫杏を俺のものにする」


そう言ってリボーンは私の小さな左手をとってその薬指に口付けた。


「まあ、この俺が他によそ見をさせるわけがないぞ」


自信満々に言われたセリフに思わず笑う。


この世界にきて怖いことはたくさんあった。痛いこともたくさんあった。悲しくて寂しくて泣いたことだってたくさんあった。


でもそれ以上に嬉しいことや楽しいことが多くて、気づけば私は笑っていることが増えた。


この世界はパパとママからの最期の贈り物。


もう一人の私からの贈り物。


この世界は私にたくさんのものを与えてくれる。


何よりも、私はこの世界で人生を変えるような恋をした。


だから今度こそ、この世界で地に足をつけてしっかり生きていこう。みんなとともに。リボーンとともに。


「リボーン、だいすきだよ」


伸ばした手はいつだって彼が握ってくれるのだから。










〜Fin〜
solution…解決
執筆:2019.06.10
投稿:2019.07.01


[←*][#→]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!