とある刑事の取り調べ

その事件は数ある事件の中でもメディアを騒がせるには十分な内容だった。


12年前に起きた凄惨な強盗事件がある一家の運命を大きく変えてしまった。留守番をしていた夫と娘がいる家に入った強盗犯は、見つかったために夫を惨殺。娘は見つからなかったためか、警察の通報が早かったためか犯人は娘には手を出さず、逃走。ただし、どうやって逃げたのか警察はなかなか足取りをつかむことができず現在も未解決のまま捜査が行われている。


唯一の目撃者である娘は事件の精神的ショックにより記憶喪失。彼女は瞬間記憶能力という特殊な能力を持っていたため、よりメディアには囃し立てられていた。何度か聴取に立ち会ったが、事件に関しては脳が拒否反応を示すらしくそれまで明瞭に答えていた娘が突然眠るなんてこともざらにあった。


母親の憔悴具合も見ていられるものではなかった。


あれから十二年の時が経ち、娘は高校生となっていた。毎日何件も起こる事件の数に、あの強盗事件を追っていても残された家族のことまで気がまわるはずもなく。そのため資料を見るまでこの強盗事件と繋がらなかったのが正直な話だ。


通報を受け駆けつけた時に見たのは、派手な身なりの女が頭から血を流す少女を抱きかかえている姿だった。


それは異様なほど穏やかな光景に見えた。


「貴女が殺したんですね」

「はい。私が殺しました」

「どうして殺したんですか」

「………わかりません」

「わからない?」

「…ずっと、ずっと、私はあの子に暴力をふるい続けてきました」

「虐待、ということですか?」

「…そうなのかもしれません」


女は虚空を眺めながら言葉を紡ぐ。十二年前に見た時はもっと清楚な印象を持つ人だったと記憶している。しかし今は真っ赤な爪が印象に残る。派手な服装に濃い化粧。化粧でも隠しきれない皺が目元に刻まれている。十二年という歳月が彼女をここまで変えてしまったのかと苦く思う。


「私は、彼を愛していました」

「彼というのは、貴方の亡くなった旦那さんのことですか」

「ええ。彼も私を愛してくれていました。そしてあの子のことも愛していました。でもあの日、私が帰ってくると彼は見るも耐えられない姿になっていました。唯一、犯人を見たはずのあの子は、事件のことをすべて忘れていました」

「…十二年前の事件ですね」

「はい。あの子、ちょっとだけ特殊な能力を持っていたんです」

「瞬間記憶能力のことですか」

「そうです。あの子は見たものを瞬時に憶え、ずっと記憶し続けることができました。現に、あの子に聞くと生まれる前のことも覚えていました」


思わず顔を見合わせる。瞬間記憶能力というものが実際に存在することは知っていたが、それがどれほどのものか実際にお目にかかったことはない。十二年前の当時は、そういった特殊能力について心理学者や脳科学者なんかがこぞって意見を言っていた。


「彼はきっと、あの子を守ろうとクローゼットに入れたんだと思います。でも、少し空いていたからあの子は何かを見たかもしれないと警察の人に言われました。でも、あの子は何も覚えていませんでした」

「それは……」

「ええ。わかっています。精神的に抱えられなかったのでしょう。医者にも言われました。でも、私は今ものうのうと生きているかもしれない犯人が憎くてしょうがない。あの子が思い出せばすぐにでも人相が、そうでなくても、手掛かりがわかるかもしれないのに」

「それで、憎くなった?」

「いいえ。確かに、思い出してくれればって思いました。でも、彼が守ったあの子を私たちが愛した形を憎めるはずもありません」

「……では」


なぜ、という言葉は女に遮られる。


「あの子が言ったんです」

「…何を?」

「パパはどこ?って」


女は仕方がなさそうに苦笑した。


「あの子は見てたはずなのに。あの人の最期を。あの人の最期に会えたはずなのに、パパはどこ?って。私に言ったんです。どうして帰ってこないの?って」


宙を漂っていた目に暗い炎が灯る。憎しみや怒りいろいろなものをないまぜにした目だった。狂気の目だ。女は激昂し口調に鋭さが増す。


「もう、気が狂いそうでした。それまでもなんどもなんども説明したんです。警察にだって聞かされているはずなんです。でもあの子の頭はそれを都合のいいことに忘れるんです。他の何も忘れないはずなのに、それだけは綺麗さっぱり忘れるんです。私は今だって覚えているのに。家がどんなに荒らされていたのか、あの人がどんな風に殺されたのか、いまだに覚えているのに!!」

「落ち着いてください」

「忘れてしまえるなら、私だって忘れたい!でも、何度も夢に見るんです。あの人が殺される様を!男があの人を殴るんです!何度も何度も。助けたくても私の体は動かないんです。あの子も見ているだけ!!」


他の刑事が女の体を抑え無理やり椅子に座らせる。女は肩で呼吸をし、目をつむることで必死に激情を抑え込もうとしていた。しばらくして、女が目を開けた時には先ほどの狂気の色はすっかり消え、その目には虚無だけが広がっていた。


「…………ある時、あの子が突然いなくなったんです。でも、不思議とやっぱり心配で、探すでしょう。でも、帰ってきたらあの子なんて言ったと思います?」


女は赤く塗られた口元を歪めた。


「パパを見つけたって言ったんです。気が、狂いそうでした。いえ、狂ったんだと思いました。パパあっちにいたよって」


気づいたら殴っていました。


女は静かに言った。自分の手を見て、とても穏やかにそう言った。彼女の手は白く、指はほっそりとしていた。とても、人を殴るような手には見えなかった。


「では、その日から暴力を?」

「私だって、わが子にそんなことしたいわけじゃない。だから、なるべく家にいないようにしたんです。見たら、声を聞いたら、ママって何も知らない顔であの子が呼ぶたびに、耐えられなくなる。他に気を移すために、いろいろな人と付き合いました。でも、だめだった。彼以上に愛せる人なんているわけがない」


女は自嘲気味に笑い、その目に一筋の涙をこぼした。


「彼のいない家に帰って、彼が自分の代わりに生かしたあの子を見るたびに、どうしてこの子じゃなくて彼が死んだんだろうって思って、ママって呼ばれるたびに私を責めているように見えて、気づいたら……」


女の目は虚空をさまよい、何かを聞こうとしているかのように耳をすませた。しかし、何も聞こえないとわかったかのように、諦めに似た笑みを浮かべた。目を伏せ、自身の手を優しくさする様は、まるで自身の手を慰めているようだ。


「この手で、スタンドを持って殴っていました。あの子は、名前を呼んでも動きませんでした」

「そうですか」


女は素直に調書に応じたため、順調に取り調べが終わった。もういいだろうと立ち上がろうとしたとき、おもむろに女が顔をあげた。


「……ほっと、したんです」

「え?」

「もう、殴らなくて済む。もう痛いと泣くあの子も見なくて済む。息もしなくて、冷たくなっていくあの子を抱きしめながらほっとしたんです。私」

「………」

「ほっと、したんです」


取調べが終わった。


彼女は精神鑑定を受け、心神喪失により精神病棟へ入れられることになった。


世間は十二年前の惨殺事件の延長だったこの事件に震撼し多くの者が同情すら彼女に寄せたが、やがてほかの事件に紛れて誰もが忘れていった。


それから半年も経たずに、彼女は病棟内で自殺したことが伝えられた。









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あきゅろす。
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