とある女性の記憶






産声が響き渡る。歓喜する医師たちがテキパキと後処理をしていく中、隣に呆然と立っていた男はその目からポロポロと涙を流し始めた。それは次第に嗚咽まじりになる。そんな旦那の様子に周りの看護師たちがあらあらと言いたげに微笑ましそうに見ている。


「ありがとう、ありがとうっ」


嗚咽まじりに告げられたお礼の言葉に頬を緩める。なんで私よりもこの人の方が泣いているんだろうってちょっと思ったけれど、隣で号泣している人がいると不思議と涙は引っ込むものらしい。


「お母さん、ほら抱っこしてあげてください。元気な女の子ですよ」


看護師の一人が産着に身を包んだ我が子を連れてきてくれた。力みすぎてほとんど体力も残っていない中、ようやく動かした腕の中に我が子が乗せられる。小さな小さな存在は、まだ皮膚も赤く、顔をしわくちゃにしている。産着から覗く小さな手がとても可愛くて、無事に生まれてくれた本当に良かったと思った。


「紫杏」


不意に旦那が呟いた。


「紫杏ってどうかな。この子の名前」


赤ちゃんの名前は生まれて顔を見てから決めようかと二人で話し合っていた。いくつか候補は出していたのだけれど決めきれなかったからだ。顔を見たら決まるかもしれないと思っていたのだけれど、旦那の中ではすでに決定したようだ。


しきりに自分で考えた名前に頷いている。


不思議と、この子の名前は紫杏しかないと思えてきた。


「いいわね。紫杏、生まれてきてくれてありがとう」


そっと紫杏の頬をつつくと、紫杏はわずかに身じろぎしたようだった。それが微笑ましい。


この時が、私の人生の中で一番幸せを感じたときかもしれない。


それからいろいろなことがあった。


初めての子育てはとても大変だった。


私に両親はなく、彼も天涯孤独の身だった。頼れる親戚もいないなか、子育てはいつだって手探りだった。


初めて紫杏が熱を出した時は慌てすぎて救急車を呼んでしまったほどだ。


そんな私たちの間で、紫杏はすくすくと成長していった。


紫杏の記憶力がとてもいいということはすぐにわかった。


一度読んだ絵本の内容は、2回目には一緒に言えるようになっていた。


一度お散歩で通った道は決して忘れない。ちょっとした変化も気づいて楽しげに報告してくれた。


紫杏に聞くと、頭の中に映像が残るのだといっていた。忘れるということがわからないともいっていた。これらが瞬間記憶能力というのだと知ったのはもう少し後になってからだ。


文字の覚えも誰よりも早かった。紫杏にとって常に頭の中にお手本があるのだからそれを見ながら書くだけでいい。


特殊な能力に、周りからもてはやされテレビに出てみたらという声も上がったが、私たちはあまり騒がれたくないと思いそれらを断っていた。


それなのに、紫杏の力が騒がれることになる出来事が起こってしまった。


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