地響きとともに建物がわずかに揺れる。 「始まったな」 上を見上げた山本が呟いた。心配そうにしているのは、主要な戦いに参加していないからだろう。 「あいつらは大丈夫だ。それより急ぐぞ。早くしねえと手遅れになっちまう」 「そうだな。紫杏、小僧が迎えにきたって知ったら喜ぶだろうな!」 「そうか?」 「紫杏は小僧に一番懐いてるからな!ツナも嫉妬してたぜ」 「フッ、あいつはまだまだだな」 曲がり角に差し掛かり立ち止まる。先に人の気配がないことを確認してから先へ進める。その間も背後には気を配っている。館内のマップは頭に入っている。センサーの有無や監視カメラの位置、排気ダクトまで全ての情報を叩き込むのは殺し屋としての基本だ。 「俺は紫杏と小僧、お似合いだと思うぜ」 「突然なんだ?」 「小僧、紫杏のこと好きだろ?」 思わず背後を振り返ったのも仕方がない。あまりにも緊迫感にかける内容なうえ、突拍子もない話題だった。話の流れが噛み合わず、言葉を理解するのに数秒を要したぐらいだ。 振り返った先にいた山本は何の含みもなく笑っている。この状況でもいつもと変わらず笑みを見せるこの男の肝の座り方は、出会った当初から変わらない。 そして、妙なところで勘が冴えわたっているのも。 「態度には出してねえつもりだったが」 「なんとなくな!」 これだからこの男は侮れない。鼻で笑うにとどめ再び前へ進む。 しばらくすると慌ただしい足音が近づいてきた。どうやら敵に気づかれたようだ。山本が時雨金時を抜き構える。 「あとは頼んだぜ?」 「任せとけ」 敵と対峙する山本を残しさらに奥へと進んでいく。 しばらくするとお目当の部屋へ辿り着いた。ここから先は未知の領域。 霧部隊が仕入れたマップには空白の部屋があった。何の記載もなく、ただの空洞であるかのようなその部屋は何かを隠していると宣言しているようなものだ。未知ではあるが、紫杏は確実にここにいる。 ジャンニーニ率いる技術部隊がつくったカードキーをかざし中へ入る。印象は白、だった。蛍光灯の光が眩しいほどに強いこの部屋では壁際の棚に薬品が保管され、手前に設置された机には様々な器具が作業途中のまま置かれている。まるで忽然と使用者だけが消え去ってしまったかのようだ。 その先にある扉もカードキー式だった。しかし、技術開発がつくったカードキーでは認証されない。 逡巡し愛銃を構える。パネル部分へ数発発砲するとパネルは破壊された。扉を蹴り開け中へ入る。 そこはまるで監獄だった。両サイドの空の檻が並ぶ。薄汚れ、壁には爪で何度もひっかいたような跡も見受けられる。しかし、生き物の気配は感じられない。しばらく進むと一つの檻にきらりと光るをもの見つけた。目を凝らすとそれは小さな指輪だった。 檻の隙間から腕を差し入れそれを拾う。ギリギリ届く位置にあったそれは、確かにリボーンが紫杏に渡した指輪だった。 彼女の小さな手に見合った小さなピンキーリング。 これがここにあるということは、この場所に紫杏がいたのだろう。この狂気に満ちが場所に。 ギチリ、と奥歯を鳴らす。 リボーンはそのリングを胸ポケットに大事にしまうと先を急いだ。 次の部屋も同じような檻が広がっていた。しかし、こちらの方が損傷は激しく、壁につけられた跡は人間がつけたものというより獰猛な肉食獣による跡に見えた。しかし、その部屋も空になっている。 リボーンは次の扉をそっと開けた。 そこは前二つの部屋とは雰囲気が異なり、不気味な空間だった。 いくつもの楕円型のガラスケースが立ち並ぶ。天井からパイプやホースでつながれたそこには複雑怪奇なものが一つずつ入っていた。それが何なのかリボーンには判断ができなかった。強いて言うならば細胞分裂に似ている。ただし、正規の細胞分裂とは大きく異なっている。 手前から小さなソレは、次のガラスケースでは倍ぐらいの大きさに、さらに次では二つに増え、と奥へ行くにつれ進化しているようだった。奥へ進むにつれ何かの形をなしていくようにも思えるが、それが何なのか皆目見当もつかない。 どこからともなくぶつ切りの声が聞こえてくる。電波が悪いラジオを流しているかのようだ。一言二言くぐもった男の声がしたかと思えばブツリと途切れ、しばらくして再び一言二言何かを言う。しばらくすると、それは興奮したように音を大きくされ最後には悲鳴をあげブツリと途切れる。それをループしているようだ。 何かのテープか? リボーンは慎重に足を進めながらもその音源へ足を近づけた。その間も、ガラスケースの中身は進化を続けている。体内にいる赤子のような形になっていた。丸まった体の一部には目のようなものも見受けられる。 ようやくガラスケースの向こう側に音源を発見した。壁際に備え付けられた机には研究資料だろう、書類や本が無造作に置かれている。その傍らに置かれた小さなテレビは壊れたように同じ映像を繰り返していた。昔の映像のようで画質が悪いがそれがどこかの研究室のようだとわかる。白衣を羽織った人間が複数おり、そのうちの一人が撮影しながら記録をとっているのだろう。 『…………日、No.131。一回目の投与を開始する』 白衣の人間に連れられてきたのはやせ細った子供だった。白いワンピースを着せられ、髪は伸びっぱなしなのだろうボサボサなまま、子供も大人も気に掛ける様子もない。子供は自らオペ台へあがり横になった。 あれは、紫杏だ。 顔がはっきり見えたわけではないが、わかる。あれは確かに紫杏だ。ここで囚われていた、綱吉に拾われるまえの彼女だ。 『投与開始』 機会を回し始めると複数の管から薬が投与され始める。すると紫杏の様子が代わり虚ろだった表情を苦痛に歪め体を暴れさせる。他の研究員が彼女を押さえつけ枷をつける。 『……変化なし、続い……始します』 そんなことが繰り返される。これが彼女が受けた人体実験の記録なのだろう。 三度目の投与の時異変が起きた。突然、紫杏の姿が消えたのだ。続いて上がる悲鳴。そして、機械から火花が散る。ぐしゃりと肉が潰れる音と血しぶきがレンズを濡らすのは同時だった。 最後に爆発音が轟き映像が途切れる。 そして再び紫杏がオペ台へ上がる場面へ戻る。 映像から目を離し、机の上に広げられたいくつかのノートを手に取る。その中の一冊に実験の概要を示すものがあった。 『かつて人は狼だった。人の遺伝子の中には狼と似た遺伝子配合が存在する。長い年月を経て、人は4本足から二足歩行になり手を使えることを覚え道具を持つようになった。その中で忘れていった狼の記憶がこの遺伝子の中に存在するのではないかと私は考えた。人が忘れた狩猟本能、闘争心を表面化し、人間の限界を超えた身体能力を発揮することができるはずだ。人の脳の使用率は10パーセントしか使われていない。他の部分はただの飾りなのか。いや違う。人間があらゆることを忘れてしまったがために使わなくなってしまっただけに過ぎない。脳を最大限に使うためにはあらゆるリミッターを外さなければならない。その可能性がこの遺伝子配合Xに存在する』 それから続けられる実験の記録は最初はモルモットに始まった。モルモットは体を肥大化させ凶暴性をました。しかしその内の一体はモルモットの姿のまま凶暴性を増したのだ。それこそが理想形に近い遺伝子配合だった。モルモットでの限界を感じると人体実験へと移った。人体実験は主に細胞の成長が著しい子供に焦点が当てられた。子供の細胞の成長過程を利用し遺伝子配合Xに新たな変化を期待したようだ。 しかし、子供を使った実験しはなかなか成果を見せず、ある一定の段階で人間の姿を保てなくなる子供が続出。モルモットの時とは違い肥大化した体は動物のように体毛を生やし、長い爪を持ち、臀部からは尻尾が生えてきた。人間とは似ても似つかない姿をするソレの扱いに研究者たちは当惑した。 いくら実験を重ねようと動物的外見になってしまい、理想の形ではない。ただし攻撃力や瞬発力は高い。その噂を聞きつけ、この失敗した研究結果をアボロッティオファミリーは買ったのだ。 そして研究資金と資材を与え環境を整えさせた。アボロッティオファミリーは軍事力になるのならば、彼らの研究結果が理想形として成功しようと、動物的形のままの兵器だろうと関係なかったのだろう。アボロッティオは独自にキメラの研究をし、研究員が作り出した失敗作と複合させるすべを編み出した。 さらに、死ぬ気の炎やボックス兵器がマフィア界で一般化し、それらが研究の一躍を担ってきたところで、研究は1段階進んだ。 その期待に応えたのが紫杏だったのだ。 彼女の細胞は飛躍的な進化を遂げた。そしてあの実験の日、彼女の細胞は突然変異し驚異的な身体能力を見せた。填められていた枷を壊し、周囲の人間をほんの一撃で殺し、壁を破壊して逃走。その際、機械が爆発をしたためその時の記録はほとんど残っていない。 そして逃走した紫杏は数日間行方をくらませたかと思えば、遠く離れた地で綱吉に保護される形で発見されたのだ。 ノートを読み終わったリボーンは再び画面へ目を向ける。何度も繰り返される紫杏による逃走劇。リボーンの目を持ってしても追いきれないスピードを見せる。もしも、この身体能力を持った人造兵器が量産されていたらと思うとうすら寒いものを感じる。 リボーンはその場を後にし、先へ進む。奥に一つの扉を見つけたのだ。 そこはカードキーを必要としなかった。扉に鍵もかかっていない。慎重に開くと、狭い個室だった。その中にも一つの楕円形のガラスケースが天井からのパイプや管によってつながれており、中に溶液がたっぷりと入っている。そして、その中に膝を抱えるようにして丸まる紫杏がいた。 そのガラスケースの前に白衣の男が立っている。 筋肉とは縁がなさそうなひょろりとした長身の男だった。縦長の顔は青白く一重の目はうっとりと紫杏を見上げている。 男はリボーンを見ないまま口を開いた。 「なんと、美しい……」 熱に浮かされたような声音だった。 「これこそが、神の姿だ」 最初に湧き上がって来たのは不快感だった。そんな目で紫杏を見るなと嫉妬にも似た不快感が湧き上がる。 元来、神の存在など信じていない。いつだって己を助けるのは己自身だ。そして、奴らが求める神の存在は俗物的すぎて反吐が出る。 そんなものに紫杏を当てはめようとしていることがひどく不快だった。 「君にわかるだろうか、彼女の崇高さが」 「今すぐ紫杏を返せ」 愛銃を男のこめかみに突きつける。しかし男は命の危機に脅かされているというのに、それをつまらないもののように一瞥をくれただけだった。再び視線は紫杏へ映される。うっとりととろけるような眼差しで見上げる男。 「君に理解できるだろうか。神の力を。この実験が成功すれば彼女は神の力を手にいれる。今までは失敗の連続だった。何度やっても獣のDNAが強く出てしまう。体は醜く巨大化し、瞳は飛び出さんばかり。力こそ飛躍的に強くなったが、言葉を忘れてしまっては意味がない。我々は何度も理論を立てては実験し失敗しを繰り返した。そんな中、彼女だけが人の姿のまま力を手に入れた。特殊な素材でできた壁を拳一つで壊し、人にはありえない跳躍力で施設を飛び出していった。あの時の感動は今でも覚えている。実に素晴らしい。しかし残念なことに、彼女は忌まわしいマフィアに囚われてしまった」 男はギシリと歯ぎしりする。その目は憎しみに満ちていた。しかし、再び顔を上げ紫杏をその目に映すととろりと溶けた眼差しを向ける。 「だが、帰ってきた。彼女は神になるために我々の元へ帰ってきたのだ」 「おめでたい頭だな」 「彼女はまさに神に選ばれた存在なのだよ」 愛銃を再び構え、男のこめかみにつきつける。 「御託はいい。次が最後だ。紫杏を解放しろ」 男はぴたりと固まった。そして大きなため息をつき、俺を振り返る。 「彼女の存在はいずれ君たちの手に追えなくなる。彼女は神になるのだから」 それが男の最後の言葉だった。額に風穴を開けた男がどさりと崩れ落ちるのに目を止めることもせず、俺は通信機をつなぎ、ヴェルデへとかける。本来なら借りを作りたく無い相手だがそんなことを言っていられない。 「ヴェルデ。状況は見えているな?」 『まったく、厄介なことをしてくれたものだよ』 「ふん、データはくれてやるんだ。仕事は全うしてもらうぞ」 『わかっているとも』 ヴェルデから聞き出した装置の解除方法を使い、溶液の中から紫杏を取り出す。触れた紫杏の体は恐ろしいほどに冷たかった。手遅れだったかと背筋にひやりとしたものが触れるが、紫杏はわずかながらもちゃんと息をしているようだった。 彼女の顔に張り付く髪をどけてやり、自身のスーツで彼女の体を包む。両腕の中にすっぽりおさまってしまうほどの小さな存在を抱え上げ、脱出のためのルートを走った。 buffoonery…道化・悪ふざけ 執筆:2019.05.24 投稿:2019.07.01 NEXT |