飛び出すエマージェンシー

その日は、朝から慌ただしかった。


空がようやく白み始めたころ、問答無用で叩き起こされると、わずかな着替えとスケッチブックだけを持たされお母さんと成吉のための部屋へと連れてこられた。そして、放り込まれるようにしてその部屋へ入れられると、決して外に出ないようにと言い含められ、私をそこに連れてきた男は早々に身を翻していった。


一連の流れについて行くこともできず呆然としていたら、お母さんが苦笑しながら私の頭を撫でた。


「びっくりしちゃったね」

「どーしたの?」

「少し大変なことになってるみたい。でも、ここにいれば大丈夫よ」


お母さんは安心させるように微笑んだ。


閉ざされた扉はいつも以上に重厚に見え、どこかピリピリした空気が肌に突き刺さるようだった。廊下からは慌ただしい足音がかすかに聞こえる。何かが起こっているらしいことを察するには十分だった。


「りぼーんは?」

「リボーン君も任務に出ちゃったのよ」


最近はずっと一緒にいたリボーンが任務に出たのだと聞いて素直に驚いた。そばにいることが当たり前のように感じていたからだ。


彼もボンゴレというマフィアの一員であるのだから、他の守護者たちのように任務に赴くのは当たり前だ。しかし、いつもそばにいるリボーンがいないことにどうしようもなく不安を煽られる。


手を握っていた。


小さな手の小指にはこれまた小さな指輪が収まっている。不安になったとき、その指輪に触れるのはもはや癖になりつつあった。


クリスマスプレゼントとしてリボーンがくれたピンキーリング。


“変わらぬ想いをお前に”


それがどんな意味を持っていたのか、いまだにわからない。しかし、とても大切な言葉だったことはわかる。


だからこそ、ことあるごとに思い出していた。それだけで、リボーンがそばにいてくれているように思える。だから、大丈夫だと自分に言い聞かせた。


「さあ、ちょっと早いけれど朝食にしちゃいましょう。紫杏ちゃん」


お母さんのいつも通りの笑顔に促され、朝食の準備に取り掛かる。この部屋には簡易キッチンが備え付けられていた。この時になって初めて知ったのだが、棚に隠されるようにしてあった簡易キッチンには調理道具が一式揃えられており、小さな冷蔵庫まであった。


お母さん曰く、こういう緊急事態用というよりはお母さんの息抜き用にと用意されたキッチンらしい。ちょっとした軽食やお菓子をつくるには十分なのだとお母さんは笑った。


一つしかないコンロにフライパンを置き、ホットケーキの生地を流し込んで行く。楕円形になった生地はしばらくすると抜けて行く空気に合わせ小さな穴が空いて行く。その様子をじっと観察していると、お母さんにそろそろひっくり返すよと言われ、フライ返しを持たされた。


フライ返しをホットケーキの下に差し込み、そっと裏返す。熱によって固まっていた記事はたどたどしい手つきでも綺麗にひっくり返すことができた。


「じゃあまたしばらく待ちまーす」


料理を手伝うのは初めてだった。


ママはいつからか料理を作らなくなった。机の上に置かれるお金。それでコンビニやスーパーで出来合いのものを買って食べるのが常だった。キッチンにはカップ麺用のお湯を沸かすぐらいしかいかなかった。つくるという考えも起こらなかった。


子供になってからは余計に、料理に触れることはなかった。この屋敷には専属のシェフがいて、時間になるとメイドによってご飯が運ばれて来る。一流の料理人によって作られたそれらは、とてもとても美味しかった。


きつね色をしているホットケーキを眺める。香ばしくもどこか甘い匂いが鼻をくすぐる。


「さあ、そろそろいいかなー?」


お母さんは楽しそうにそういうと、フライ返しで底面を持ち上げた。お母さんと一緒に覗き込むとそちらもいい感じに焼けているようだった。


「よし。一枚目完成!さあ、じゃんじゃん焼いていくよ!」


今度は生地を流し込むところからさせてもらう。お玉でどろっとした生地を救い、フライパンの中央に流し込んでいく。綺麗な丸ではなく楕円形になったホットケーキに首をかしげるも、しばらくすると気泡が浮いて着たそれに目が釘付けになる。ぷくりと膨れた生地がぷつりと空気を弾けさせる様を一心に眺めている間に、お母さんは冷蔵庫に入っていたオレンジを取り出し、皮を剥き始めた。


ホットケーキがいい感じになってきたため、今度は一人でフライ返しでひっくり返す。先ほどより少し薄い焼け跡ではあるが問題はないだろう。


そうやって生地がなくなるまで焼くと、ホットケーキが4枚できあがった。


ホットケーキとお母さんが剥いてくれたオレンジが今日の朝ごはんだ。


久しぶりに食べたホットケーキは甘く、とてもおいしかった。


「ん〜!紫杏ちゃんが作ってくれたホットケーキすごくおいしいね!上手に焼けたねえ」


頷き、ホットケーキにかぶりつく。


冷蔵庫内にあったジャムやアイスを乗せていろんな味を楽しみながら食べる朝食は新鮮で、とても楽しく、とてもおいしかった。


「これ、りぼーんとおとうさんにあげたい」


残った2枚のホットケーキをみてお母さんに言ってみると、お母さんは嬉しそうに笑って頷いてくれた。


お父さんたちがいつ帰ってくるかわからないから、それまでは冷蔵庫に入れておいてくれることになった。


そのあとはお母さんと部屋にあった絵本を読んだりお絵描きをしたりイタリア語の発音の練習をしたりして過ごした。


お昼ご飯はお母さんが作ってくれた。


成吉も何度目かのご飯をすませると、電池が切れたように眠ってしまった。それを見ていると私も眠くなって成吉の隣でお昼寝をすることになった。


お母さんが一定のリズムで体を叩いてくれる。その優しい手が心地よくて私はすぐに眠りに落ちた。






突然鳴り響いた警報に飛び起きた。お母さんはいつの間にか起きている成吉を抱え、あたりを伺っている。


「おかあさん?」

「シッ!」


鋭くたしなめられ、口をつぐむ。お母さんと同じように様子を伺う。外は慌ただしい足音が複数聞こえている。警報音が鳴り響いていたかと思えば止まり、止まったかと思えば遠くの方で別の警報音が鳴り響く。


窓はいつのまにか締め切られ、室内は薄暗かった。


「紫杏ちゃん。すぐに動けるようにしておいて」


お母さんに靴を履くように促され、ベッドから降りて靴をはく。そして、お母さんは私の手をしっかり握ったかとおもうと、また沈黙した。


まるで見えない糸でも張られているかのようだ。少しでも変な動きをしてはいけないような気がして、体が緊張に固まると同時に不安で胸が押しつぶされそうになる。


小指のピンキーリングを撫でてみるも不安は消え去ってくれない。心の中でなんどもリボーンの名前を呼ぶ。扉からリボーンが現れてもう大丈夫だぞって言ってくれないかと期待する。


しかし、いくら待ってもリボーンはやってこなかった。


それからどれくらいそうしていただろうか。成吉がいい加減ぐずりだした頃、それは突然起こった。


大きな爆発音がしたかと思えば、大地震のように屋敷全体が揺れたのだ。私たちは立っていることもできず、私は頭を抱えてうずくまった。ようやく揺れが収まり顔を上げた時、そこで見た光景に驚き固まった。


お母さんが成吉を抱えたまま倒れているのだ。


慌てて駆け寄ると成吉が大声で泣き出した。お母さんが抱えたままにはしておけず、ベッドの上に成吉を置き、お母さんにかけよる。揺り動かしてもお母さんは気を失っているようだ。あの一瞬で何が起こったのかわからなかったが、お母さんの頭を触った時に後頭部から血が出ているのがわかった。


どうやら先ほどの揺れでバランスを崩したお母さんは頭を机にぶつけたらしい。


医者を呼ばなければ。


とっさに浮かんだのは、いつかの時に治療してくれた白衣のおじさんだった。シャマルという名前のおじさんは凄腕の医師だと言っていた。でも、今どこにいるのかはわからない。


次に浮かんだのは、リボーンの授業で習った応急処置の方法だった。以前誘拐されたことがあったためにリボーンが教えてくれたのだ。


とにかく止血をしなければならない。


逸る気持ちを抑えて周囲を見渡し、タオルを数枚持ってくる。傷口をタオルでおさえ、ゆっくりとお母さんを寝かせる。


たぶんどこかにお父さんたちにつながる通信機の類があると思うのだが、私には見つけられなかった。


お父さんたちに知らせに行かなくちゃ。


私はぐずっている成吉を覗き込み、彼の頭を撫でる。


「なりよし、いいこでまっててね」


不思議とそれで泣き止んだ成吉に安心し、私は部屋を飛び出した。外は不思議なことにあまり人影はなかく、たまに見かける人も慌ただしくどこかへ走り去っていく。 


お父さんがいる場所がどこかはわからないが、とにかく執務室に行ってみようと走りだした。その途中で誰かを見つけたら、お父さんの居場所を聞けばいいのだ。


そう思って走りだした私だったけれど、その足はすぐに止まった。前方からゆっくり歩いてくる人影。


その人の手には不釣り合いに大きな銃が握られている。貼り付けられた薄い笑みと細められた目に狂気が垣間見える。可愛らしい洋服にはところどころ赤が散っている。


なんで、なんで、どうして。


頭の中が混乱でまとまらない。逃げなければならないとわかっているのに、蛇に睨まれたカエルのごとく身動き一つできなかった。


どくどくと心臓の音が耳元で鳴る。嫌な汗が背中を伝い、息遣いが荒くなる。そんなどうでもいい自分の情報が頭の中で連なっているあたり混乱しているのだと、どこか冷静な部分で判断する。


「ふふふ、やあっと見つけた」


彼女は笑みをもらすと、可愛らしく笑った。


「もう、すっごい探したんだよ?紫杏ちゃん」

「きょ、こさん」


不気味な笑みを浮かべるのは、お父さんたちの同級生で了兄の妹である笹川京子、その人だった。


お父さんからマフィアとは関係ない一般人だと聞いていた。とても優しい笑顔で笑う人で、お父さんの初恋の人で、お母さんとも友達で、リボーンも仲が良くて。それなのにどうして、彼女は私に銃を向けているんだろうか。


彼女は私に近づいてくるとポケットから何かを取り出した。それは指輪のようだった。指輪には細い鎖が巻きつけられている。その鎖を外すと、指にはめた。お父さんや守護者のみんなが持っているような指輪だ。指にはめた瞬間、インディゴの炎が立ち上る。


「一緒に、帰ろうね」


京子さんがそう言うと同時に私の意識は途切れた。


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