わがままは耳元で囁いて

お父さんに会えたのは夕方になってからだった。


お父さんの執務室に顔を出すと、執務机にぐったりと上半身を伏せているお父さんがいた。入って来た音に反応したのか緩慢な動作で顔をあげたお父さんと目があうと、彼は一変に顔を輝かせた。


「紫杏!」


駆け寄って来たお父さんに、問答無用で抱き上げられる。


驚きに固まっている私をよそに、お父さんは私をぎゅうっと抱きしめたかと思えば頬ずりをし、そうかと思えば頬をむにむにとつまんでくる。


頭を撫でたかと思えばまたぎゅうっと抱きしめられ、それが終わったかと思ったら顔中にキスの雨が降って来る。


くすぐったくて、恥ずかしくって、顔に熱が集まっていく。堪り兼ねて抗議しようと腕を突っぱねても私の短い腕と弱い力では遠ざけることもできなかった。身をよじっても、お父さんは逃さないとばかりに腕の力をこめるだけ。それなのに別に苦しくなったり痛くなったりはしないのだから、どうなっているのだろう。


「うっ…やっ…」


たまりにたまりかねて声をあげて抵抗すると、お父さんはぴたりと動きを止めた。


「紫杏の声かわいい!!」


今度は力加減などされずに抱き潰された。ぐえっとカエルが潰れるような声が漏れ出る。


「紫杏!お父さん!お父さんって呼んで!ね!」


両頬を掴まれ、期待に満ちた眼差しを向けられる。とても興奮しているお父さんに、腰が引けながらもリボーンに助けを求めようと視線を彷徨わせるが、それを許さないとばかりにさらにお父さんの顔が近づいて来る。


「ほら、お父さん。お父さんだよー?」


まるで初めて言葉を発した赤ん坊に覚えさせるかのように何度も何度も繰り返すお父さんに、私はなんとか逃れようと頑張っていたのだけれど、根負けした。


「お、とう、さん」

「紫杏っ!!」


ぱあっと輝いたお父さんの顔。そして、再び潰さん限りに抱きしめられた。またもや潰れたカエルのような声をあげた私に構うことなく、お父さんはその喜びを全身で表していた。


そんな暴走気味なお父さんを、リボーンはたった一言で止めた。


「お前、家光にそっくりだぞ」


カチリと固まったお父さんを見上げる。口をぽかんと開けてリボーンを見ているが、その顔はどちらかというとショックそうだった。


「え……、俺、あんなんだった?」

「ああ」

「うわっ…すごく嫌だ!俺、あの人みたいにはなりたくないって思ってたのにっ」

「血は争えねえな」

「そんな血筋はいらないよ!」

「ちなみに、紫杏が最初に呼んだのは俺だぞ」

「そういう自慢もいらないから!くそ、やっぱり俺が付いてたらよかった」


お父さんは悔しそうに顔を歪める。そう言いながらも私を抱きしめる腕が緩むことはない。だんだんぬいぐるみの気分になってきた。


「ちなみに、二番目は山本だ」

「ええ!?山本!?なんでだよ!」

「朝に会ったからな」

「普通、そこは麻衣だろ!?っていうか、俺のところに来てくれよ!」

「甘ったれんじゃねえぞ」


お父さんの訴えはリボーンの一刀両断によって袖にされる。目に見えて落ち込むお父さんになんだか申し訳なくなった。


「おとう、さん?ごめん、なさい」

「え!違う違う!紫杏は悪くないよ。ただ、俺が一番に声聞きたかったなあって思っただけだから」


そう言ってお父さんは頭を撫でてくれた。


「あー、癒される」

「おとうさん、つかれてる?」

「最近いろいろと忙しいんだ。ごめんね。あまり一緒に遊んだりできなくて」


首を横に振る。


「りぼーん、いてくれてる」

「………それはそれで複雑なんだよなあ」


なぜかがっくりとうなだれるお父さんに首をかしげる。どうして落ち込んでいるんだろう?


「紫杏はもっとわがままを言ってもいいんだよ?というか、言って欲しい。こうやって声も聞けるようになったしね。俺たちに、いろんなことを伝えて欲しいんだ」

「…ん。がんばる」


伝えるというのは私には難しいことのように思えた。自分の思ったこと、感じたことを言葉にして伝えていく。私はたぶん、いつからか諦めてしまったのだろう。どうせ伝わらないのだと。言葉にしても、届かないんだって諦めて口にすることもやめてしまった。


でも、ここの人たちはみんな話して欲しいという。聞かせてほしいと言ってくれる。それが、なんだかくすぐったくなるのだ。


その時、扉をノックし、部下の人が入って来た。


「失礼します!ボス、お呼びです」

「わかった。紫杏。今度、ゆっくり時間を取るから、いろんなことおしゃべりしようね」


私の前では決してボスの顔を見せないお父さんが、優しい笑顔でそう言った。それに頷き、部屋を出ていくお父さんを見送る。


お父さんはやっぱり忙しそうだった。


「いそがしい?」

「まあな。年明けに行事があるからな」


促され、執務室から出る。夕飯までは少し時間があるが、談話室に行こうということになった。リボーンと手を繋ぎながらも周りを見ると使用人達は慌ただしく動いている。


「しんねんかい」

「そういう名目もあるぞ。ボンゴレは日本関係が多いからな」

「ぱーてぃー、するの?」

「ああ。イタリアではクリスマスは家族と。正月は恋人や友人とパーティーをするもんなんだぞ」

「にほんとはんたいだね」

「そうだ。だから、クリスマスは同盟ファミリーだけでパーティーしただろ」

「どんなぱーてぃーするの?」

「イタリアじゃあ盛大に騒ぐのが主流だ。花火を打ち上げたりな。あとは、地域によるが古い皿を窓から投げ捨てるなんてのもある」

「え………」

「そうやって、割れる音や花火の音で悪魔を追い払うためだと言われているぞ。まあ、皿に関しては新年から新しいものを使って心機一転するためだとかも言われてるがな」


窓から皿を投げ捨てるなんて驚きだ。それも大晦日の夜に行われるらしい。もし外に人が歩いていたら危ないし、翌日は外を歩く時には注意しなければならなくなる。


でも、普段やってはいけないと思っていることをやるためきっと爽快感のようなものはあるのだろう。


「だからボンゴレでも年越しのパーティーをするぞ。花火も上がるだろうな」

「わたしもぱーてぃーいく?」

「さあな。子供は寝てる時間だ」

「はなび、みたい」

「そうか。なら、ツナか麻衣にお願いしてみろ」


それには少しためらってしまう。そもそも、どんなパーティーになるかもどこでやるかも知らないのだ。リボーンの言い方だと、今度は同盟ファミリーだけじゃなくいろいろな人が来るのかもしれない。


お母さんは成吉についていないといけないから、きっと新年会も参加できないだろう。それに時間が時間だ。起きていられるかどうかもわからない。子供の体に合わせてなのか、この体になってからは21時を過ぎる頃には眠気がやってくるのだ。夜更かしができない体になってしまっている。


「自分の気持ちは口に出さねえとわからねえものだぞ。したいことがあるなら言ってみろ。それぐらい誰の負担にもならねえぞ」

「でも………」

「それを訊けるワガママか、訊けないワガママかを判断するのは言われた側だ」


私は俯いてしまう。


誰かに何かを頼むのは昔から苦手だった。嫌な顔をされないか、本当は迷惑だと思われていないか。人の感情は目に見えないからこそ、それがひどく怖かった。


ここの人たちはみんな優しい。子供である私に構ってくれる。大切にしてくれる。それがわかるからこそ、私もなるべく迷惑はかけたくないと思うのだ。


「前から言ってるが、もっとワガママになれ」


それは、これまでにも幾度か言われている言葉だった。


「もう、わがままだもん」


もう十分ワガママを言っている。ここにいさせてもらっていることも、お父さんお母さんと呼ばせてもらっていることも、こうして、リボーンがそばにいてくれていることも。


全て奇跡だ。


愛されることなどないと思っていたのに、身にあまるほど愛してもらい大切にしてもらっている。


だからこそそれ以上に何を望めというのか。一番欲しくて、絶対に手に入らないと思っていたものをもらっているのだ。そして、それを絶対に手放したくないと思っている。それのどこがワガママではないと言えるのか。


「なら、もっとだ。欲しいものには手を伸ばさないと手に入らねえぞ。欲しいものは?して欲しいことは?」

「これ、もらったもん」


右手の小指にはめられたキラリと光るリング。それを見ただけで、顔が緩んでしまうし、火照ってもくる。


「無欲な女だな」


これじゃあダメらしい。でも本当にして欲しいことも欲しい物もないのだ。ふむ、と考えて見て、一つ思いついた。


立ち止まり、リボーンを見上げる。唐突に立ち止まった私に合わせ、リボーンは振り返る形で立ち止まった。


「だっこ」

「フッ、それがワガママか?」


そう言いながらもいつものように抱き上げてくれる。片手で軽々と抱えてしまうのだから、すごいなあといつも思う。5歳児にしては体は小さい方なのだろうが、いいものを食べさせてもらっているからか、ちょっとずつ肉もついてきているのだ。体重も順調に増えていっている。


もともとインドア派だったためあまり運動能力は良くないが、パーティーのダンス練習などもありちょっと体力も上がったのではないかとおもうようになった。


私はリボーンの耳元に口を寄せ、手で口元を囲う。周りに人がいないとわかっていても、この思い付いたワガママを言うのはとても気はずがしいものがある。


「あのね、こうやってだっこするのはわたしだけがいい……です」


言って見たはいいものの、だんだん居たたまれなくなってしまい、語尾につれて声は小さくなっていった。


「ククッ、それが、思い付いたワガママか?」


抑えるような笑い声を漏らすリボーンに、恥ずかしくなって逃げようと体をよじる。しかし、私の体はしっかりリボーンに抱えられ逃げることもできなかった。


おもむろにリボーンが私のこめかみから髪をかきあげ耳をあらわにさせるとそこに顔を寄せた。そして、低く、艶のある声で囁いたのだ。


「仰せのままに」


私はとうとう顔を上げることもできず、だかと言って大人しく引き下がるにはあまりにも悔しいやらしてやられた感が強いやらで、悔し紛れにリボーンの背中に回した腕で叩いて抗議を示すしかできなかった。


しかしそんな弱々しい抵抗などリボーンにとっては痛くもかゆくもないらしく、楽しげに笑い声を漏らしては、談話室へ向かうために歩みを再開させたのだった。


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