天使の瞳の奥に

「貴女が紫杏ちゃん?」


私と目線を合わせるように少し腰をかがめ、上から覗き込んでくる女性。さらさらそうな明るめの茶色に染められた髪が肩から滑り落ちる。二重のくりくりとした目が私をしげしげと見つめてくる。


私は思わず一歩後ずさりした。








今日も今日とてリボーンから指導を受けていた。大体の教養に関しては、瞬間記憶能力のおかげである程度マスターできた。生まれて初めてこの能力に感謝した。


ダンスに関しては、体に覚えこますしかないということでひたすら練習だ。ほとんど踊ることなどないだろうとリボーンは言うけど、結局覚えなければいけないのだからという話らしい。


ダンスの練習中は本番用にヒールのある靴を履いている。5歳児の子供にヒールって。と思ったけど、5歳児だろうと大人だろうと、ドレスを着たらヒールを履くのは必須だそうだ。ヒールで踊ることがこんなに難しいと初めて知った。


そんなこんなでダンスの練習をしているとき、リボーンのケータイ電話が音を立てた。


電話にちらりと目線をやったリボーンは、踊っていた足を止め私を見下ろす。


首をかしげ彼を見上げると、そのまま腕を引っ張り引き上げられた。宙に浮いた体はすぐにリボーンの腕の中に納まり、いつの間にか抱っこされている。


ますます意味がわからず首をかしげると、リボーンから休憩のお達しが出た。


「おやつの時間みてーだしな」


時計を見ると確かに3時を回っていた。全然気づかなかった。


運動したことですっかり熱を持った体を手で仰ぐ。汗をリボーンが渡してくれたタオルでふく。リボーンは汗の一つも流していなかった。


私をソファーに降ろすと、電話を手に取り通話ボタンを押す。


「俺だ」


オレオレ詐欺なんてものがはやったことがあったなと、リボーンの第一声を聞いて思い出した。こっちの世界にもあるのだろうか?


「ざけんな。俺の仕事わかってんだろうな」


ご機嫌斜めになりつつあるらしいリボーンを静かにソファーに座って見つめる。


「チッ、ああ。わかった。すぐに行く」


電話を切ったリボーンは深いため息をついて私の方へ振り返った。


[いってらっしゃい]


見せたスケッチブックに、わずかに目を瞠るリボーン。


「ああ。すぐ戻ってくるから大人しくしてるんだぞ」


それからおやつにしようと言って、リボーンは私の頭を撫でる。


足早に出て行ったリボーンを見送り、ソファーの背もたれに寄り掛かった。


部屋に一人になると、静寂に包まれる。それでも、時計が秒を刻む音や、外の風の音、鳥の鳴き声なんかも聞こえてくる。


それらに耳を澄ませつつ、スケッチブックを取り出した。そして舞踏会の様子を絵に描き始める。大きな黒い獣とドレスアップされた女性が手を取り合っているシーンだ。きらびやかな周りには、オーケストラが存在し、たくさんの客が踊っている。天井ではシャンデリアが光を交差させている。


おそらく今度のクリスマスで私が踊ることはないだろう。


リボーンは誰かと踊るのだろうか。


スケッチブックを走っていた鉛筆が止まる。黒い野獣がその顔に影を落としたまま、まだ輪郭しか描けていない女性を見下ろしている。


リボーンなら綺麗な女の人を捕まえることなんて簡単だろう。それこそあっちから寄ってくるぐらいには選り取り見取りなんだと思う。


ズキン、と胸が痛んだ。


あまり想像したくない場面だ。それでも、私のような子供を連れているリボーンより、はるかに絵になるのだろうことは言わずもがな。


せめて元の年齢だったならまだ多少のつり合いは取れただろうか。でも、リボーンってあれでも10歳なんだっけ?そんなことをつらつら考えているといつの間にか長い針は半周を回っていた。


3時のおやつの時間はとっくに過ぎている。リボーンも帰ってくる気配を見せない。


先に厨房に行っておやつを取ってきておこうか。それがいいかもしれない。


そう思い立って私は廊下に出た。


そして出会ってしまった。


お父さんたちの旧友であり今現在この屋敷に客人として持て成されている、了兄の妹、笹川京子に。


「あれ?初めましてだよね?」


きょとんと眼を瞬かせながら小首を傾げて私を見下ろす彼女。私はどうすればいいのかわからずとりあえず頷くと、彼女はくりくりした瞳を楽しそうに細めて笑った。


そして冒頭に戻る。


なんで名前を知っているのか、なんておそらくお父さんたちに聞いたんだろう。この屋敷にいる子供なんてわたしか10年バズーカ―で来ちゃったランボくらいだろう。


[はじめまして]


「ふふっ、初めまして。私は笹川京子っていうの。よろしくね?」


もう数歩後ずさる。


大人な雰囲気でありながらその笑みは無垢なものだ。お母さんともハルさんとも違う。


おそらく彼女は表の世界の人。


なんとなくわかる。


そして、この人の雰囲気はどことなく昔のママを彷彿とさせた。


柔らかい雰囲気。色素の薄い髪が肩から落ちる。上から笑いかけてくる。


「?……紫杏ちゃん?」


もう一歩後ずさる。


“紫杏。おいで、紫杏”


優しい声が私を呼ぶ。暖かな記憶だ。もう戻れない、戻ることなどない記憶にすぎないそれが、脳裏によみがえる。


「具合悪いの?」


彼女が手を伸ばしてくる。


「紫杏ちゃん!」


まるで遮るかのように名前を呼ばれ、肩がはねた。振り返ってみると血相を変えたお母さんが走ってきていた。


「紫杏ちゃん!」


何かしてしまっただろうかと不安になってお母さんを見上げる。お母さんは走ってきた勢いのまま私を抱きしめた。


「麻衣、ちゃん?」


「…キョウコちゃんが、連れ出したの?」


「?」


「……ここで、何をしていたの?」


「挨拶をしてたの。ねー?紫杏ちゃん」


お母さんの腕の中からなんとな顔だけだした私に京子さんが笑いかける。それに頷いてかえすと、お母さんからようやく力が抜けた。


「部屋に行ってもいないから、心配したのよ」


安堵の息をつくお母さんは、脱力したように、今度は私をそっと抱きしめる。抱きついているからわかる。お母さんから伝わってくる鼓動が早い速度で波打っている。


そっとお母さんの背に私も手を回す。短い手ではしっかり抱きしめ返せないけれど、私のちいさな背でお母さんの背中を撫でた。


「…ごめんね。もう大丈夫。さ、リボーン君が部屋でおやつの準備をしてくれてるわ」


どうやら完全に行き違いになってしまったらしい。


その場で京子さんにばいばいをして私はお母さんと一緒に部屋へ戻った。


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