「リボーン君!」 少し高い女の声に振り返る。ガキの頃より少し明るく染められている髪を揺らしながら、そいつは近づいてきた。 「どうした?」 「ううん。あっちから見えたから呼び止めただけだよ。フフッ、でもこうやって話すのも久しぶりだね」 「ああ。そうだな。京子」 笹川京子。並盛中のマドンナにして、ツナの初恋の相手でもある彼女は、今ボンゴレの屋敷に滞在している。 あの頃よりずいぶん大人びた容姿だが、目線は対して変わらなくなった。 「それにしても、大きくなったね!今何歳なの?」 「10歳だぞ」 「そっか。あれからもう10年だもんね」 「京子はキレイになったな」 「フフッ、そんなことないよ。つっくんもリボーン君もお世辞を言っても何も出ないよ?」 照れたようにはにかむ姿に目を細める。 「そうそう。つっくんがね、今度イタリア観光に連れて行ってくれるっていってくれたの。リボーン君も行ける?」 「…俺は凄腕のヒットマンで忙しいからな。いけねえと思う」 「そっかあ。山本君とか獄寺君も行くって言ってたから、リボーン君も行けたらなって思ったんだけど」 「悪いな。ツナにめいっぱい奢ってもらえ」 「ふふっ、なんだか学生の時に戻ったみたいで楽しいね!」 「そうか」 「思えばあの頃が一番たのしかったなー…」 遠くを見た京子。その横顔は少しさびしさのようなものを帯びているように見えた。 「何も変わらねえぞ。あの頃と。あいつらの関係はな」 「そうだね!じゃあ、つっくんのところに行くから、またね」 「ああ。迷うんじゃねーぞ」 軽やかにスカートのすそを翻し、去っていく京子を見送る。 花の匂いが鼻先を掠め、思わず眉をしかめた。香水の匂いだ。甘く虫をおびき寄せるために植物が出す臭いに似ている。 「CHAOS、だな」 踵を返し、部屋へと戻るための道をたどる。部屋には今、紫杏がフランス語習得のために勉強をしているはずだ。 クリスマスパーティーまでに数ヶ国語に、テーブルマナーから始まりさまざまな作法、ダンスまで覚えさせなければいけない。 おそらく、紫杏は話せない分周りからいろいろ言われるはずだ。それを見越した上の教育でもある。馬鹿にする奴らを認めさせるために。 「さて、どこまで隠し通せるか、だな」 “おじさまはなるべく紫杏ちゃんのそばを離れないようにしてください” 懇願に近いそれは、おれより少し低い位置から告げられた。 アルコバレーノが集まった時のことを思い出す。もともと、あの会議はユニが見た夢から始まった。アルコバレーノは世界の均衡を保つために、おしゃぶりを守るものとして集められた7人だ。今はツナたちによってその役目から解放され、呪いも解けていはいるが、各分野においてそれぞれがスペシャリストであることに変わりはない。 『夢を見ました』 そんな俺たちが、アルコバレーノのボスであるユニによって再び集められた席で、彼女の瞳に陰りを帯びさせた言葉から始まった。 『人間が、大きな獣へと変わる姿です。獰猛で凶悪、そしてとても悲しい生き物でした。生態系が無理やり捻じ曲げられたなれの果てです。これを、“彼”は許しません』 “彼”その言葉にここにいる誰もが反応を示した。かつて俺たちに依頼を持ち込み、ふざけた呪いをかけた張本人であり、太古からこの世界の均衡を保つためだけに存在したという男のことだ。 『へえ、ってことはまたあいつからの依頼かい?それなら僕は降りるよ。あいつの依頼でまた呪いを受けるなんてことになったらたまったものじゃない』 マーモンの言葉は、誰の心にもあった懸念だった。あの男にいい思い出などあるはずもなく、関わらないに越したことはないと誰もが思っているはずだ。それほど、あの呪いを受けた日は衝撃が大きかったのだ。 自分の手を見る。赤ん坊になったころよりはずっと大きく、骨ばっている手は、最後に見た大人のものよりはまだ幼さを残すが近づきつつあった。あの呪われた日を境に受け入れる葛藤に時間を費やし、過去さえも捨てる覚悟を決めた。 『いいえ。“彼”の依頼ではありません。私の依頼です。皆さんに、あの獣を生み出す組織のことを探ってほしいと思っています』 『ふむ、私としてはその研究のほうに大いに興味がある。生態系を捻じ曲げる。つまり人の遺伝子組織を組み換えているのだろう。人の遺伝子はそれこそ人間が生み出されたころの細胞も残っている。つまり、まだ毛皮があった時代のものだ。理論的には十分に可能だな』 『ひとつ、聞いてもよろしいでしょうか。理論上可能なことは、彼の説明でわかりました。しかし、そのためには莫大な資金と研究施設などが必要でしょう。組織だとしたら裏社会の可能性が高い。しかし、そんな目立った動きをしているところは聞いたことがありません』 『確かにそうだな。俺もそんな話は耳にしてねえ。情報も回ってねえってことは独自で開発してるってことだ。つまりある程度巨大な組織だぞ』 フォンの言葉に俺も同意する。ここ最近キナ臭い話は聞いていない。ツナも別組織である雲雀のところも特に何かを嗅ぎ取った節は見せていない。 『ええ。ユニが見たという夢は、未来のものですか? 今現在のものですか? それによって話は大きく変わってくるでしょう』 『はっきりとはわかりません。ですが…、媒体は人です。おそらく多くの人体実験が行われていると考えられます』 『チッ胸糞悪い話だな』 ラルが顔をゆがめる。 『人体実験となれば大量に必要になるだろう。ということはおそらく孤児を使ってんだろうな』 俺の予想にユニは悲しげに目を伏せ、ラルは盛大に舌打ちをする。 『いなくなってもわからないってわけか…。コラ』 室内に重い沈黙が降り立つ。誰もが口を開かない中、外からヒバードとフォンのペットであるリーチの甲高い鳴き声が聞こえてきた。 立ち上がり窓辺によると、中庭で麻衣が散歩していた。その隣にはリーチを肩に乗せた紫杏もいる。手をつなぎ、ゆっくりと歩く二人はまぎれもなく親子だった。 『…紫杏がこの屋敷にきたきっかけは知っているか?』 『関係ない話に付き合う気はないのだがね』 『関係あるから言ってんだぞ。ヴェルデ』 『フン』 『紫杏はあるマフィアに追いかけられていた。偶然取引現場を見てしまったらしい。そいつらから逃げているところをツナに拾われた。それから、一度、そいつらに誘拐までされている』 『あいつも災難だな。コラ』 『リボーン。私にはあなたの言いたいことがよくわからないのですが……』 『目的はなんだったと思う?』 『ボンゴレを潰そうとして、というのが一般的ですね。それとも口封じですか。しかし、』 『そうだ。あいつらの目的はそのどちらでもなかった。口封じなら誘拐なんて面倒なことせずに殺してしまえばいい。実際、一度はそのチャンスがあった。それでも奴らはしなかった。二度目には偶然目撃した麻衣までさらっちまったからあやふやになっちまったが、あいつらは身代金を要求するでも、ボンゴレをどうこうしようとしているわけでもなかった』 『……勿体つけずに話せ!』 しびれを切らしたラルが声を荒げる。俺は紫杏からラルへと視線を移した。窓に背中を預ける。 『俺は、紫杏自身が目的だったと考えている。口封じのためでもねえ。第一、あっちもボンゴレに情報がわたっていることぐらいわかりきっているはずだ。それなのにボンゴレを潰しにかかるのではなく紫杏を生きたまま、必要だった』 『つまり、紫杏も今回の件に関与しているっていいたいのかい?』 『さあな』 『つまり、リボーンは紫杏もその組織の回し者だって言いたいのかい?それはあり得ないと思うけどね』 『ほー、お前が他人をかばうなんて珍しいな。コラ!』 『これでも、僕は紫杏が気に入っている。それに、彼女については君たちより知っている』 『とにかく、その組織について詳しく調べてみることが最優先だ。そうだろう?ヴェルデ。貴様はその研究とやらが成功した際の被害および対処法を徹底的に計算しろ』 『まったく、いつから私に命令できるようになったのだ』 『みなさん、十分気を付けてください。私も独自で調べましたが、トカゲのしっぽ切りでした。あちらにも強力な術者がいると考えて間違いありません』 『これは任務だ。各々心して取り掛かれ』 ラルが机に手をつき立ち上がる。司令官であったラルの言葉は何より力を持つのだろう。その場にいる全員の表情が引き締まった。 窓の外に目をやると、すでに紫杏たちはいなくなっていた。 |