テラスの手すりの部分に下ろされた。あわててバランスをとるように手すりに手をつくと、触れている部分からじわりと冷たさが這い上ってくる。その感覚に身震いした。 「靴ずれしているでしょう。見せてください」 返事も聞かず、骸は私の靴を脱がしにかかる。脱がすときに少し傷に触れたのか痛みが走った。 「あまりひどくはありませんね。痛みますか?」 まるで傅(かしず)かれているような状況に戸惑いを感じながら首を横に振る。はたから見ればさながら王子のように、片膝を立て足元に膝まづいているのだ。だとすれば、私は女王様的位置づけにあたるのだろうか。 ちょっと想像するが、あまりにも現実離れしていて笑うこともできそうになかった。 「あのような場合は言い返すことも手だと思いますよ。とくにああいう輩には」 それがさっきのことを言っているのはすぐに分かった。 [むくろがいいかえした] 「少し灸を据えただけですよ。事実、あれを聞かれたのが沢田綱吉自身でしたら、あのファミリーは今頃同盟破棄あたりまで話が進んでいるでしょう」 そんなに?と思ったが、すぐに骸が麻衣のことも侮辱していますから。と付け足したことによって納得にかわった。 「なぜ、言い返さなかったのですか?」 もう一度聞かれた言葉。骸の瞳は鋭く言い逃れは許されなかった。 ツキン、と痛む胸の奥。なぜ言い返さなかったのか、それを自分が自分に問うてみる。でも、そんなの決まっていた。 [まちがって、ないから] 「間違ってない?」 お父さんたちのことはともかくとしても、だ。何一つ間違えたことは言われていない。 [わたしのことは、まちがってないから] どこのだれかもわからない、素姓の知れないし、頭がいいわけでも運動ができるわけでもない。将来マフィアになれるかときかれれば分からないし、素質があるとも思えない。それが現状だ。 「そうですね。確かに、貴女がどこの誰なのか、誰もしらないということは確かだ。いや、雲雀君以外が、といったほうが正しいでしょうか」 骸から視線がそらせなくなる。体が固まり頭がぼうっとしてきた。 「貴女はどこからきたのですか?なぜ、その“姿”に?」 何かを含んだその言葉の意味さえも分からず、私は口をぱくぱくと金魚のように開閉させる。骸の赤い瞳にいつのまにか六という数字のようなものが浮き出ているように見えた。 頭の中に前の記憶が流れる。 私がお母さんに殴られた後にみた光景だ。17歳の私が泣いているのだ。感情を表に出さずに泣いている。そして、5歳の私がそんな17歳の私を見上げている。17歳の私は、もう嫌だと叫んでいた。5歳の私は幸せだと何も知らずに笑っている。 そんな対極な感情を表している私が、向かい合っていた。 「紫杏、17歳の君は、“何が”もう嫌なのですか」 嫌だ、嫌だと叫んでいる。もうやめてと、もう助けてと叫んでいる。何が嫌なのか。何が? お母さんにもとに戻ってほしかった。元の家族に戻ってきてほしかった。5歳のあの何も知らず幸せだった日々に。それが壊れる前に戻りたかった。ただ、平穏に身をゆだね、穏やかに笑って。 でも、それは許されない。私には許されないのだ。だから、私は、私は、感情を、感情を消し、消したのだ。消した。消したのだ。 それが、罪だから――― 「おやおや、ここまでのようですね」 「骸。てめえ、なにしてやがる」 「いえ。ただ、少し彼女の生い立ちが気になっただけですよ」 「それでマインドコントロールか?」 「クフフ、唯少し、彼女の過去を見せてもらっただけですよ。アルコバレーノ」 骸がゆっくりと振り返った先にはリボーンが立っていた。骸の額にぴったりと寄せられている銃口。引き金が今にもひかれそうなほど殺気が漂っている。 「こいつを壊すことは俺が許さねえぞ」 「僕も壊すつもりはありません」 「なら、こんな無茶すんじゃねえ」 「クフフ…。アルコバレーノは気になりませんか。彼女がどこからきて、どうやってここに来たのか」 骸の腕の中にぐったりとよりかかり目を閉じている紫杏をみる。先ほどまであったうつろな表情はなく、穏やかな寝息を立てていた。 「こいつは敵じゃねえ」 「ええ、そこに関しては同意見です。しかし、彼女の情報が無いのもまた事実。そして、いつもならたとえ子供だろうと得体の知れないものはボンゴレに近づけさせない貴方が、受け入れている。まるで何かに図られているかのように」 リボーンの眉間に無意識のうちにしわが寄せられた。訝しげに骸をみる視線をものともせず、骸はきれいに笑って見せた。 「まるで、神の掌にでも転がされているようではありませんか」 表情は笑みを浮かべているというのに、その声音は侮蔑を含んでいた。神など信じていない。それは両者とも同じだった。誰かの掌の上に転がされるのはまっぴらごめんだし、運命という言葉も信じようとは思わない。 「それなら、骸。お前も掌の上で転がされてるのと同じだぞ」 「ええ。わかっています。だからこそ、気に食わないから調べてみよう思ったのですよ」 「……もっとほかの方法にしろ」 「クフフ、そうですね。次は邪魔が入らないときにしましょうか」 「今ここでその額に風穴開けられたいか」 「…あまり彼女に深入りしないほうがいい。貴方もよくわかっているでしょう」 骸はそういうと、腕の中にいた紫杏をそっと手すりによりかからせ、立ち上がった。その間もリボーンの鋭い視線は突き刺さったままだが、銃はしまったらしい。 「……お互い様だぞ」 「ええ、そうですね」 骸は立ち上がり、会場へと戻っていこうとリボーンとすれ違うところで交わされた会話。リボーンはボルサリーノの鍔をさげ、骸はその口元をゆがめた。 「きっともう、遅すぎるのでしょう」 そのつぶやきはリボーンにもしっかりと聞こえていたが何も返さなかった。 会場では音楽が鳴り始め、来場者たちがダンスを踊り始める。そんなきらびやかな世界から少しはずれたこのテラスはどこか静かに時間が流れているようだった。 リボーンの目の前には、手すりに寄りかかり寝息を立てている紫杏の姿。その頬には一筋の涙の跡が残っていた。 近寄り抱きあげると、小さな体はすっぽりと腕の中に収まってしまう。とても弱く小さな存在は、守らなくてはという気にさせる。それと同時に別の甘い感情も湧きあがってくる。だがその中にわずかに恐怖もあるのを感じ取っていた。 「…ああ、そうだな」 ようやく返した返事に自嘲的な笑みを漏らす。 脱がされた靴を持ち、起こさないようにそっと抱きあげ部屋へと連れていくために光あふれる会場へと足を踏み入れるのだった。 |