紫杏ちゃんを部屋に送ったとき、昔のオレと同じような反応をした。たぶん、部屋の大きさに驚いたんだと思う。オレも初めて来たときはこのでかさに驚いた。 そして、ボスになってからは金が…。それに慣れてしまったのだから、慣れは怖いと、こういう『正しい』反応を見たときに思う。 もう少し、話をしたかったけど、それを邪魔するかのように携帯の着信音が鳴った。 心の中で舌打ちをしつつ、携帯のディスプレイを見て溜息が出る。 「あ、ちょっとごめんね」 紫杏ちゃんはうなずくと、部屋へと足を踏み入れたのを見てから部屋を出て少し離れたところで電話を取る。 耳に聞こえたのは、最近ではあまり聞くことのなかった人物の流暢なイタリア語だった。 {やあ、綱吉君。久しいね} {お久しぶりです。ニコルさん} 電話の相手、ニコルさんはボンゴレの上層部。ボスといってもすべてをすべて把握できるわけじゃない。そのために、上層部ができている。しかし、そこにいるのは年寄りどもばかりで、あまりいけすかない。 {それで、どういったご用件で?} 超直感を使わずとも、大体のことは予想できている。 {ああ、君の屋敷にかわいらしい『沈黙の同居人』が来たと聞いたものでね} {相変わらず、情報がお早いですね} {ハッハッハ、それで、その子が瞬間記憶能力を持っていると聞いたもので、ね} 相変わらず、早すぎる情報だ。それを知っているのは守護者のみ。まだ使用人にも紹介はしていない。…いや、一人。一人いた。守護者以外で。あの使用人だ。 途中で入ってきてオレたちに珈琲を置いて行った彼女。澄ました顔をして、リボーンの呟きをしっかりと聞いていたという訳か。 あいつ、首にしてやろうかな…。いや。でもあいつだけじゃないだろうし…。 ボンゴレを敵に回すようなやつはほとんどいない。実力の差もわからない馬鹿か、よほどの自信家。あとは本当に実力のある数少ないファミリーか。 でも、内側にも敵はいる。オレがまだ若いということもあってか、最弱だったということもあってか、上層部はオレたちをよく見張っている。今回の、使用人もそうだ。休める時なんてそうない。 唯一監視の目がないところといえば、雲雀さん用の研究施設のみだろう。 {これは、これは…。本当に情報がお早いようで} 皮肉をたっぷり込めて言ってやっても、聞くわけがない。軽く鼻で笑って流されるだけだった。 {その子は、大丈夫なのかい?} {…それは、どういう?} {いや、何。我々も君のことを心配していてね。まだ若いから、ね} オレを心配?狸爺が。心配しているのはその身と、利用価値につかえそうな獲物が逃げないように、だろう。 {心配には及びませんよ。あの子は刺客でも何でもない} {いやいや、そのことを言っているのではないんだよ} {…では、何か?} ニコルさんが何か言おうとしたとき、電話の向こうで扉が開く音と、よく聞きなれた女性の声がした。 {!!…麻依?} {ああ、よく来てくれたね。ボンゴレ夫人。さあ、こちらへ} {ニコルさん。なぜ麻依が上層部へ?} 上層部は、この屋敷と地下でつながっている。でも、ほとんど行くことなんてない場所だ。とくに、麻依のようにもともとは一般人だった彼女が近づくような場所ではない。 {いや、何。多少聞きたいことがあってね。綱吉君も来てくれるだろう?} …なるほど。麻依は餌、という訳か。いつも、あちらからの誘いをオレはなるべく仕事だと理由をつけて行かないようにしていた。 彼らの考え方には虫唾が走る。 9代目とは全然違う考え方をする。利用できるもので、ボンゴレのためになるのなら、節度を守って利用する。 節度を守るところがまた、厄介なのだ。とがめられるようなことはしていないものの、姑息な手段には変わりない。 麻依を餌にしたのも、オレが逃げないようにするため、か。麻依をあそこに置いておくわけにはいかない。 {…わかりました} {そうか!では、待っているよ} 何が、待ってるいるよ。だ。狸め。紫杏ちゃんのことをいろいろといわれるに違いない。上層部に知られるとは、厄介なことにならなければいいけど。 麻依にも、紫杏ちゃんにも変なことが降りかからなければいいのに…。 切れた携帯を恨めがましく見ながら考えていると、すぐ近くになじみの気配を感じた。 「リボーン」 「…上層部からか」 ボルサリーノを深くかぶり、壁に寄りかかっている姿は誰が見ても10歳の子供には見えないだろう。というか、傍らにある紙袋はなんだよ。 「うん。麻依もそこにいる」 「フッ、狸どもにしてやられたな」 鼻で笑った後、皮肉を言ってくる。しかし、次の言葉はふざけた感じではなく、真剣な低い声だった。 「紫杏のことか」 「そう。…紫杏ちゃんのことよろしく。麻依を連れ戻しに行ってくる」 「ああ」 「ねえ、リボーン」 絞り出すように出される声は、存外頼りないものだった。 「なんだ」 「紫杏ちゃんのこと、気に入ってるよね?」 相変わらず壁にもたれかかっているリボーンはポーカーフェイスを崩さずにオレの方を見た。 「だったらさ、オレの答えに反対、しないよね」 オレが出した答えにほかのものは反対するだろう。まあ、どうなるにしても紫杏ちゃんの意思も関係はあるんだけど…。それでも、狸爺どもに何かをされる前に先手は打っておいた方がいい。 だったら…。麻依は怒るかな。勝手に決めて。大丈夫だ、麻依ならきっと。 「…ボンゴレのボスはお前だぞ。ツナ」 「うん。じゃあ行ってくる」 そう言って、リボーンに背中を向けて上層部のお偉方のところへ向かう沢田綱吉という青年はもうただの青年ではなく、ボンゴレ10代目の背中となっていた。 「お前の答えが、ボンゴレの答えだぞ。ツナ」 リボーンはその背中を見送りながら、呟いたがその言葉が彼に届くことはなかった。 それでも、その背中を見送り終わると、部屋の中にいる話の中心に出てきてしまった少女のもとへと向かうために、ドアへと近づく。 気に入っているかと聞かれれば、気に入っている。最初に、掴んできた手が、自分よりも小さな手を離してはいけないと心を掻き立てた。 レオンを見る興味津々な瞳も、俺を映した茶色がかった瞳もすべて…。 「…どうなる、だろうな」 初めてのことだ。すべて。俺にとってもたぶん、ボンゴレの守護者全員。真っ白な存在が赤く染まってしまった、真黒な闇に飲み込まれてしまった俺達のすぐ傍らに来た。 ノックもせずに中に入れば、すぐに振り返った紫杏がいた。ベッドの上で寝転がっている。 紫杏は俺を見て首をかしげた。たぶんツナだと思ったんだろうな。 「ツナは上からの呼び出しだ。お前に、プレゼントだぞ」 紙袋ごと渡せばさっそく中を開け始めた。中にはスケッチブックと鉛筆などのもの。 「好きにかいていいぞ」 そういえば、彼女はすぐに書きだした。その文字がお礼だったから少し驚く。 「どういたしまして」 そういえば、少し目を見開いたかと思うと、すぐに鉛筆と色鉛筆で何かを描き始めた。しばらく黙ってソファーに座っていると、紫杏は俺の方を見た。 [リボーンさん!] その意味が、呼ぶためのものか何かがわからずにいると、彼女は次のページをめくった。 そこには、俺の絵が描いてあった。瞬間記憶能力で、見なくても覚えているから写真を見ているのと同じようにかける。 でも、紫杏のこの絵を描くのは上手いの次元を超えている。こういうのを才能というのだろう。 「すごいな。よくかけてるぞ。あと、俺のことはリボーンでいいぞ。敬語もいらねえ」 [リボーン?] 「ああ。なんだ?」 [よんでみただけ!] 気に入ってる?違えよ。俺は…。紫杏を見ていると温かい気持ちになる。 再び絵を描き始めた紫杏を見て、先ほど上層部に呼び出しをくらったツナを思う。 上手くやってなかったら、蜂の巣の刑だな。 どうやら、紫杏が次に描いているのは抽象画らしい。これも、仕上がりが楽しみなものだ。…絵具も買うべきだったな。 そんなことを考えているときに、紫杏の腹の虫が鳴った。 それが鳴り終わらないうちに俺の方を振り向いた紫杏の顔は真っ赤だった。すぐに俯く頭を撫でてやる。 「そういえば、昼がまだだったな。ほら」 立ち上がって手を差し出す。すると、彼女はきょとんとして俺を見上げた。 「飯食いに行くんだぞ」 紫杏は俺の手を取った。今まで相手にしてきた女とは違った気持。この小さな手は…。 紫杏に関しても、何もかもまだ謎ばかりだな。 [なにがおもしろいの?] 「なんでもないぞ。ほら。ついたぞ」 談話室のドアを開けばそこにはもう守護者がいてご飯を食べ始めていた。 |