「紫杏」」 「パパッ!」 「紫杏、ここにいるんだ」 待ってっ!行かないで!おいていかないで! 私とママを置いていかないでっ! “アンタを、生んだことが間違いだったのよっ!” 広がる赤。 視界に移る迷彩。 泣いていたのは誰だっただろうか…。 私がしっかりと意識を持ったとき、私はなぜか廊下の真ん中にシーツを引きずって突っ立っていた。 いや、突っ立ってたというより、どこかに向かって無意識のうちに歩いていた。しかも、大泣きしながら。 大泣きといっても、声は出せないから、ただ静かに涙が流れているだけ。ずるずるとひきずるシーツは結構重い。でも、離したくなくて、もう一度握りなおして再び足を進めることにした。 途中で気づいたこと。 向かっている場所は、ザンザスさんの寝室だった。 もしかしたら、任務でいないかもしれない。 それでも、誰かに傍にいてほしかった。どうしてそんな風に思うのかわからなかった。何か夢のようなものを見た気もするし、見ていないような気もする。ただ、胸の中を占める悲しみは紛れもないものだった。 「しししっ、何かと思ったら紫杏じゃん」 にじむ視界の中で歩いていると、突然目の前にベルが現れた。 真夜中で、しかも廊下に明かりはほとんどなく外に浮かぶ月明かりだけが頼りだった。そんな暗がりからベルの声が聞こえたと思い立ち止まった瞬間、ベルの顔が目の前に迫っていた。 軽く、というよりかなりホラーだ。 声が出ていたら、間違いなく叫び声をあげていただろう。 「で、こーんな夜中に何やってんだよ。まさか夢遊病とか?」 その問いに私は首を横に振る。言葉を出そうとするけど、書くものを持っていなかった。 「あー、書くもの持ってねえのかよ。いつももっとかねえとコミュニケーションとれねえじゃん」 私の頭にポンポンと手を置くと、ベルはポケットから携帯を取り出した。 携帯の画面の光のせいで、ベルの顔が白く浮かび上がる。顔の下から懐中電灯を当てたときのように影ができるため、普通にしていても怖かった。 「ほらよ」 そういって渡された携帯はメールの画面が開かれていた。これで文字を書けということらしい。ご丁寧にも日本語打ちに設定されていた。 [ねれないから、ざんざすさんのとこにいく] 「ふーん…。お前って、結構怖いもの知らずだよな。あのボスの部屋に夜中にいくなんて」 まるで珍獣でも見るかのような態度だったので、少し唇をとがらせて拗ねてみる。 [べるは、おしごとがえり?] 「そ。近づかねえほうがいいぜ?血がついてもいいんなら知らねえけど。ししし」 [やめとく] 「ほら、さっさといけよ。良い子は寝る時間だろ」 [よいこってとしじゃないし] 「……その恰好で言われても説得力ねえし」 確かに。と妙に納得してしまった。 今私が来ているのは、ルッスが選んでくれたふりふりひらひらのかわいいワンピースタイプの寝巻だ。そして、シーツも引きずってるわけだから、余計に幼く見えるだろう。 「ししし、じゃあな。あ、明日は全員任務だから、きーつけろよ」 私の手から携帯を取り上げ、ひらひらと手を振りながら廊下を歩いて行った。途中月明かりに照らされたベルの真っ白な頬に赤いものがついているのを見て、顔から血の気が失せるのを感じた。 そのあと、私はまたシーツを引きづってザンザスさんのところに向かった。 「…テメエか…。チッ、今度は何の用だ」 私は、シーツを引きづったままザンザスさんの寝転がるベッドに近寄り、了解も得ずにベッドに上った。 「…またここで寝るつもりか」 ザンザスさんをじっと見上げると、彼もじっと見下ろしてくる。ザンザスさんからは、かすかにお酒の匂いがした。 「泣いたのか」 ザンザスさんの手が伸びてきて頬に触れる。少しかさついた肌が頬に触れ、目の下をぐいっとぬぐった。 ザンザスさんが目をぬぐってくれたのを見届けてから、いそいそとザンザスさんが入っている布団にもぐりこんだ。どうしても居座るつもりだとアピールしてみたり。 それを見てとって、ザンザスさんは大きく溜息を吐き出した。 「……勝手にしろ」 追い出すことも面倒だと思ったのか、眠さが勝ったのか、たぶん両方だろう。あきらめてくれたらしいので、よしとしよう。 ザンザスさんの傍は安心する。この人の傍にいれば、とりあえず何かがあってもなんとかしてくれるだろうと思える。リボーンに感じる安心感とはまた少し違った感覚だった。 あっちを向いて寝てしまったザンザスさん。その大きな背中にそっと手をのばして、服の裾をつかむ。それだけで胸に広がる暖かい気持ち。 ザンザスさんの大きな背中を見ながら、私はゆっくりと訪れ始めた眠気に身をゆだねた。 |