仮面の下の虚実

ノックをして、相変わらず返事がないことを確認してから、背伸びしてドアノブを握った。


爪先立ちのまま、そろそろと足を進めていけば、なんとか扉が少し開く。その隙間に体を滑り込ませ、スカートも挟まってしまっていないかと確認して息をついた。


相変わらず、重たい扉だ。そして、この中は、相変わらず薄暗い。


入った正面にある執務机に腰かけているザンザスさん。後ろにある大きな窓から光が射し込んでおり、逆光によってさらに彼の姿が見えにくくなる。


とりあえず、話しかけに行こう、足を進めてたところで部屋の中に見慣れないものがいるのことに気が付いて、足を止めた。


少し離れたところにある、大きな窓から射し込む光が窓の形に影を作っている。その上に大きな白い固まりがあった。


どこからともなく入ってくる風が、その白い塊をふわりとなでると、ふわふわした毛がゆれた。あれは、なんだろう。


思わずじっと見つめていると、いきなり、その塊はむくりと動き出した。


その白い塊は、私の方に顔を向けた。真っ赤な瞳と目があう。それは、ザンザスさんの瞳に似ていた。しかし、ザンザスさんではない。


白い毛並。真っ白で立派なたてがみ。鼻頭に寄せられたしわ。


ライオンだ。


真っ白なライオンが目の前にいる。寝そべった状態で頭だけをもたげている。床に投げ出されている尻尾がたまに揺れては、地面を打った。


「…紫杏」


低く地を這うような声が耳に届いた。思わず、そのライオンが話したのかと思って、目を見開かせた。


「紫杏」


もう一度呼ばれた名前に、われに返って、あたりを見回せば、あのライオンと同じ赤い瞳がこちらにもあった。それがいぶかしげに私を見ている。


もう一度ライオンに視線を映すと、相変わらず私の方を見ていた。一度目があってしまえば、そらした瞬間に飛びかかってくるかもしれない、と思って冷や汗を浮かべる。


私が、あまりにも動かないからか、立ち上がったザンザスさんが私の隣に来た。


ザンザスさんの腰より低い私の身長。上を見上げれば、はるか高いところにザンザスさんの黒髪が見えた。


「ベスターだ」


ザンザスさんは、横目で私の方を見た。ベスターって何?と思ってザンザスさんを見つめると、彼は前を向いた。その視線の先には、相変わらず日光浴を楽しむライオンの姿。


どうやら、あのライオンはベスターと言うらしい。


じっと見つめていると、ベスターは、その大きな口を顎が外れるんじゃないかと思うほど開いて大きなあくびをした。
その際に、見えた鋭い歯に思わず後ずさる。すぐそこにあったザンザスさんのズボンを握って、その足を盾にするように隠れた。


「何してる」


そんな行動をとった私が、不思議だったのか、わずかに眉を寄せるザンザスさんは、後ろにいる私を振り返って見た。


[addentare?(かむ?]


「……噛まねえ」


なんだろう、今の間は。不安が拭い去れなくてザンザスさんを見上げるけど、彼はライオンと同じように大きなあくびをこぼしていた。
それに、つられて、私もあくびをしてしまう。


しかし、口が大きく開いたところでライオンの赤い瞳と目があってしまった。なんだろう…、なんなんだろ…。なんで、こんなにもばっちりと目があってしまったんだろう。


あわてて口を閉じてザンザスさんの足の陰に隠れる。相変わらずそこにいてくれるから助かっている。どうやら、今日は気分がいいらしく、私を少なからず一人にする気はないみたいだ。ザンザスさんの行動はその日の気分で決まる。


だから、私がここにきて、もしザンザスさんの機嫌が悪いなら、私はすごすごと退散するのだ。だって、そうじゃないとスクの二の舞なってしまう。


隠れたザンザスさんの足から、少しだけ顔をだしてライオンを見ていれば、やっぱり目があってしまったから、すぐに隠れた。どうしよう、なんだかターゲットロックオンみたいな?


もう一度そっとのぞいてみると、なんとライオンはのっそりと寝そべっていた体を起こした。立ち上がったライオンは私よりもずいぶん大きい。白いせいでとても神々しく見える。


立っている姿はとても威風堂々としていて、百獣の王と呼ばれる所以がわかる気がした。


「ベスター、紫杏だ」


のっそりと起き上がったベスターとザンザスさんに呼ばれるライオンは私たちのほうに近づいてきた。このままじゃ本当に食べられる、と思ってザンザスさんの足にしがみつく。こうなってしまえば、ザンザスさんも巻き込んでしまったらきっとザンザスさんがなんとかしてくれる、とかそういう非道なことを考えた。


目をきつくつむって、ザンザスさんにしがみついていると、すぐ近くでベスターの息遣いが聞こえてきた。それにさらに体を縮こまらせると、とたん、頬を何か生暖かいものがくすぐった。


べとっと何かがついた感触にびっくりして目を開けると、すぐ目の前は真っ白になった。


少しずつ上にあげていくと、そこには少しだけ口をあけ、中から下をのぞかせているベスターの口。そして、私をじっと見つめる赤い瞳があった。


目があったとたん、恐怖とかそういったものはどこかに飛んで行ってしまった。


だって、ベスターの瞳に知性を感じられたのだ。


思わずそっと手を伸ばすと、自分からその手にすりよってくれた。ふわふわした鬣(たてがみ)はとても気持ちがよかった。


というか、かわいい。


しばらくして、また眠くなってきたのか大きくあくびをすると、さっきまで日向ぼっこをしていた場所に戻って行った。後ろでベスターの尻尾がゆらゆらと揺れている。思わずそれに手を伸ばして触れてみると、尻尾はすぐ上に上がって逃げてしまった。


なんか、おもしろい。


「おい」


上から声をかけられて、ザンザスさんを見上げるとぐっと眉間にしわを寄せている。私、何かしたかな?と首を傾げた。


「その煩わしいもん取れ」


いきなり何を言い出すのかと思った。煩わしいものっていうのは、どうやら私がつけているお面らしい。


首を横に降ると、されにザンザスさんの眉間のしわは深くなる。顔がもともと怖いのに、さらに怖くなった。


「邪魔だ」


鋭い睨みとともにそんなことを言われてしまえば、もうどうすることもできない。震えている手で、そっとお面を外した。


“顔も見たくない”


お父さんの言葉が脳内にこだまする。


それが嫌で、顔をうつむかせた。


ここも追い出されたら、もう私は本当に行くところがないのだ。また、独りになってしまう。それだけは嫌だった。一度温かさを知ってしまえば、もうあの寒い中に戻ることはできない。


手をぎゅっと握ってうつむいていると、不意にザンザスさんが膝をついた。そして、私の顎に手をかけると、無理やり上を向かせた。
真っ赤なベスターと同じ瞳が私を見る。


久しぶりに、開けた視界はなんだか別世界に来たようでとても奇妙だった。


「俺の前でその煩わしいものをつけやがったら即刻追い出してやる」


いつもと同じ声音で言われた言葉。なんで、そんなことを言われなきゃいけないのかわからなかった。
なんで、ザンザスさんはそんなことを言うの?


[どうしても?]


ザンザスさんは私から目をそらさない。無言は肯定ってことなんだろう。これはあきらめるしかなさそうだった。


[みんなのまえではつけるよ]


「…好きにしろ」


[へやにだれかがはいってくるときは、おしえてね?]


「めんどくせえ」


[じゃあ、おめんつける]


「煩わしい」


[じゃあ、おしえてね?]


「チッ」


そんなやり取りを数回やって、結局ザンザスさんの無言は肯定っていうお決まりのパターンで幕を閉じた。


でも、お面を外しているといざという時にすぐにつけられないだろうから、首にかけておくことにした。


ちょっと首がしまるけど、まあ、いいよね。


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あきゅろす。
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