柄もなにもない

ボイラー室での爆発後、起き上がってみれば、そこは酷い惨状となっていた。薄暗い中で炎が揺らめいている。唯一の出口であるドアは、爆発によって変形してしまって、私の力じゃあきそうにない。


絶望。


そんな感情に近いんじゃないだろうか。未だにガスを漏らすようにシューと音を立てている管たち。まるで生き物のようにうごめく炎はここにいるものすべてを喰らいつくそうとしている猛獣のようだった。


立ち上がろうとすれば、体のあちこちにできた傷が痛む。


ああ、死ぬのかもしれない。


「風!!」


ものすごい音を立てて崩れ落ちるように開け放たれた扉の向こうには逆光の中に武がいた。


「…たけ、し?」


「風!風!よかった…」


「武…なんで、ここに…」


「空に聞いた。ほら、行こうぜ?」


「うん」


差し出された手を取って立ち上がり、足を前に出したところで、何かに躓いて私の体は前のめりに倒れる。と、次の時には私は水族館の時のように武に支えられていた。


「ご、ごめん」


「こんなときに遊んでる場合じゃないぜ?」


「いや、遊んでるわけじゃ…。何かに躓いて…」


武から離れて躓いたものを見たら、そこには爆発が起こる前に転んだ女子がまだ気を失っていた。彼女がいることを忘れていた。


ゆすってみれば、気を失っているだけのようで少しうめき声が漏れる。見た目的な外傷が酷くて、出血もしている。医療の知識なんてない。でも、あぶないってことはわかる。


「やべえな…。JCS200ってとこか…」


「え?」


それ何?という意味を込めて聞き返せば、意識レベルだ。と返された。


「かなりやばいってことだな」


額に汗を浮かべているのは、ここの炎が熱いというわけではないだろう…。顔を青くさせ、荒く呼吸をしている彼女は、呼びかければかろうじて呻き声をあげるくらい。目を開けることもしないし、動こうにもあまり動けないようだ。


「武、この子おんぶして」


「…風は」


「私は大丈夫。まだ走れる」


武はちらっとこっちを見た後、彼女を抱き起こした。私も手伝って彼女を武の背中に乗せる。そのとき、ここではない遠くの方で爆発音が響いた。


「スチームだな」


「スチーム…」


そういえば、このボイラー室はスチームのためにあるようなもんだっけ、と頭の隅で考えている間にも、少しの間を開けて爆発が起こる。


「行くぞ」


武の後について、ボイラー室を出れば、そこには空と獄寺が窓から首を出して外を見ているところだった。私を呼び出した女子数名が逃げるように去っていくのも見える。


「空!」


「風!!」


名前を呼べば、目に涙を浮かべながら近づいてくる空。その顔には安堵の表情が浮かんでいる。近づく空は武の後ろに背負われている女の子を見て目を見開いた。


「っ!!…その子…」


「大丈夫。早くいこう、たぶん、ここもあぶない…」


私がそう言い終わるとほぼ同時に後ろのボイラー室で再び小さな爆発が起こった。


獄寺を先頭に私たちは走りだす。空が私の手を引いてくれる。熱い。黒い煙がこちらにも流れ込んできている。ここはまだスチームがなかったせいか火事にはなっていない。でも、スチームがあった教室とかでは火事になっているかもしれない。


しばらく走って教室に近づくように行けば、そこでは予想通り炎が燃え上がっていた。乱れる息を整えようと息を吸えば、有害部室を燃やして出る煙が肺に侵入してくる。


空を見れば、汗を流しながら必死な形相。


窓から見えるグラウンドにはすでに大半の生徒が避難していた。全校集会だったということが役立って生徒たちは速やかに避難できたようだ。


武の後ろに背負われていることを見れば、荒い息遣いをしている。はやくしないと…。あっちにいってから準備したんじゃ間に合わない。


ここは、2階。飛び降りようとすればたぶんできないことはない。とくに、武たちはマフィアだから容易だろう。でも、武に飛び降りさせるわけにはいかない。たぶん、彼女が衝撃に耐えられない。


冷水をかけられたかのようにはっきりしている頭の中で考えをめぐらす。空が私の手を強く握った。外では全員並ばされて点呼されている。


たぶん、私たちがいないと気づくのは時間の問題だ。でも、それじゃあ遅すぎる。それに、団体の行動はあまり好ましくないだろう…。


覚悟を決めるように息を吸い込めば、黒い煙にせき込む。


「ケホッ、ケホッ。獄寺、ここから飛び降りれる?」


「あ?ああ…」


「じゃあ、空と一緒に飛び降りて」


「は!?ちょっと、風?こんなときになんの冗談…っ!」


「冗談じゃない。この子、結構重体なの。だから、先に言って先生に言っておいて。ね?」


「じゃあ、風が先に行けばいいじゃん!あたしの方がピンピンしてるんだし…、それにっ」


それ以上の言葉をつづけさせないように、繋いでいる手を引っ張って空を抱きしめる。。空は体を硬直させた。


「お願い。はやくしないとこの子死んじゃうかもしれない」


「風…」


震える声で小さく呟くように私の名前を呼ぶ空から体を離し、目を覗き込む。目には涙が溜まっていた。


「大丈夫。ね?私はこんなので死なない」


そういえば、涙が堰(せき)を切ったようにあふれだした。ごめんね。空。ちょっとだけ、かっこつけさせて?


「獄寺、空のことお願いね」


「獄寺、こいつ、JCS200ってところだ」


「……チッ、今回だけだぞ」


「ありがと」


獄寺が空を肩に担ぐように持って割れて意味をなくしている窓から身を乗り出して下に落ちた。


「風…」


「本当は、武にも飛び降りてほしいんだけど、ね」


「……俺はお前を置いてなんて行かない」


救われる。きっと、何度でも彼に私は救われるんだ。片手で私の手を握った彼は少し切なそうに顔をゆがめていた。私は、涙で滲む視界を取り払うように手の甲でそれをぬぐう。


「行こう。早くしないとその子があぶない」


たぶん、煙も吸い込んでいるだろうし、さっきからこのこから流れる血が止まっていない。軽い止血程度にポケットに偶然入っていたハンカチで縛るけど、止血できる場所なんてそこしかなくて、あいにく他に何か布を持っているわけでもない。


武は、もう一度ちゃんと背負いなおすと、一緒に走りだした。あと、一つ階段を下りれば、もう一階だから大丈夫だというのに、そこに行くまでが大変だ。行く先を拒むように炎は燃え上がり、燃えてもろくなっていく校舎は上からコンクリートが崩れ落ちる。


煙がもうもうと立ち込めては視界を滲ませる。


咳が止まらないし、喉の奥でヒューッと風を切ったような音が鳴った。やばいかもしれない。これだけの煙をすいこんでいるんだ。喘息の発作が起こってもおかしくない。


無意識のうちに喉元に手を当てる。もう少したえて。もう少し。もう少し。大丈夫だから。自分に言い聞かせる言葉はただの強がりでしかないけど。


やっと階段にたどり着いたと思ったら、再び爆発が起こった。その衝撃で上から瓦礫が降ってくる。思わず頭を抱えてしゃがみこむ。


「キャー!」


「くそっ!」


目を開ければ、目の前には階段だったものが。登れば通れるかもしれないけど、再び上から落ちてくるかもしれない。


「痛っ」


立ち上がろうとすれば、足に走る鈍い痛み。


「風!?」


「……最悪。足挫いたっぽい…」


後ろを見れば、燃え上がる炎で、もう戻ることもできそうにない。でも、前を見ても瓦礫ばかり。登ることはできるだろうけど、この足じゃそれも無理っぽい。


武の方を見れば、背負われている彼女は、大分呼吸も荒くて、ぐったりしている。それに、血の気がない。出血多量なんだろう。


窓から見た外は、憎たらしいほどの快晴だった。


武を見れば、息を荒くしながらも私と視線を合わせる。そうすれば、心配そうな顔に悲痛な表情が混じる。たぶん、私が言おうとしたことが分かったんだろうな。汗のせいか、武が泣いているように見えた。


「武」


「…言うな」


「武、あのね」


「言うな!俺は風を置いていかねえって、言っただろ!」


「武。お願い。これ以上、ここで足踏みしてたら、そのこが死んじゃう」


「でも、こいつは、」


「私が怪我して、そのせいでその子が手遅れになったら……、耐えられない」


私の歩調なんかに合わせていたら、きっとその子だけじゃなくて、武もあぶなくなる。もし、このせいで彼女が死んだら、きっと私は罪悪感で押しつぶされる。きっと、皆、私のせいじゃないっていう。でも、それが一番つらいことだってことはよく知ってる。


責めない優しさは、罪悪感のある人にとってはただの鋭利な刃物でしかない。そのことはよく知ってる。だからこそ。私は、もう二度と、あんな気持ち味わいたくない。


「武。お願い…。その子と一緒に飛び降りて」


言葉にすれば、武の顔がより一層悲痛なものにゆがんだ。ごめん。そんな顔させてごめん。


体は、恐怖に従順なようで、震えている。でも、それを無視して、最後の勇気を振り絞って、笑顔をつくって見せる。


「私は、大丈夫だから」


「!…絶対、戻ってくっから、待ってろよな!」


武は、そういうと、窓の外へと消えて行った。私は、痛みが走る足を床に投げ出したまま、なるべく炎から遠ざかる様に、腕で瓦礫の方へ近づく。


こっち側は、燃えるものがないのかまだ火が回ってきていない。とはいっても時間の問題だろう。


そっと、地面に体を横たえて、喉元に手を添える。こみ上げてくる咳に体を折り曲げ、それに耐える。咳が収まれば、息をするたびに聞こえてくる、ヒュー、ヒュー、という音。発作が起こったんだ。これは、本当にあぶないかもしれない。


息苦しさに眉をひそめるけど、そんなことしても何も変わらない。


そっと、あおむけになり、視界の隅に入った窓を見れば、本当に憎らしいほどの青空。雲すらなくて、縁取られた空はどこか不自然で、なぜか、堰(せき)を切ったように涙があふれてきた。


武の言葉に返事を返さなかったのは、助けに来てくれるという期待を持ちながらも、どこかでそれができないだろうと思っているから。たぶん、ひきとめられると思うんだよね。


火事で死ぬとか、嫌だな…。事故死より幾分かマシだけど、やっぱり自然死が一番いい。痛みもなく安らかに、家族に看取られて逝くの。


…我ながら婆臭いな…。


そっと瞳を閉じる。瞼の裏に見えたのは、武と獄寺が来てからの4人で過ごした日々。ああ、これが走馬灯か、なんて思った。



柄にもなく、これで死んじゃうのかな、なんて思ってしまったの。


[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!