蓋開き、心

「武っ!」


舞台の床付近に白いもやが立ち始める。そのもやが武の足元を隠しだした。


「きえ、てる?」


武が自分の足元を見ながらつぶやく。自分の手を見て、信じられないというように、目を見開いている。そんな、武へと風は駆け寄る。


足の方だけ消えかけた武は、近寄ってきた風の手を握った。二人は、見詰め合う。


「風、大丈夫だ。まだ、時間じゃないぜ」


落ち着きを払ったようにそういう武に、でも、という風。そんな彼女を落ち着かせるように武はいつもの笑顔を浮かべた。


その頃には、だんだんと靄は晴れてきていて、武の足も見えるようになってきていた。


自分の足が見えてきたのを見て、武は風の方をむき、な?といって笑った。


「もう…、消えちゃうのかと、思った…」


ほっとしたのか、力が抜けた風はその場に、力なく座り込む。その様子を見て、武は苦笑した。そして、おもむろに風の横にしゃがむと、彼女の頭を乱暴になでた。


「わっ…!ちょ、武?」


「ハハハ!ぐしゃぐしゃだな」


「って、武がやったんじゃない…」


武は立ち上がると、風の腕をとって引き上げる。二人して立ち上がった後に、二人は、お互い見詰め合ったまま固まった。


「……明日、だね」


「ああ」


「さびしく、なっちゃう、ね…」


うつむく風に武は悲痛な表情を一瞬浮かべるが、すぐにその表情を消した。


「世界も何もかも忘れて、お前と一緒にいられたら…」


「それは無理よ。これは奇跡。偶然。神様のお遊び」


武はチラッと舞台袖をに視線を向ける。その様子に、風は心の中で苦笑した。


「神様なんて、俺は信じねえよ…」


「それでも、武の世界には武の家族がいて、友達がいて、関わる全ての人がいる」


風は自分の胸に手を当てる。武は、その言葉を否定しようと口を開いたけど、それと同時に風はしっかりと武の方を見た。


「今日は、楽しもう?明日のことなんて忘れて」


「……ああ」


二人は、手をとって、舞台袖へと引っ込んでいく。


ここから、ラストシーンが始まる。




***

そして、舞台は進んでいき、最終日の夕方へと時を進めた。


「もうすぐ、日が沈むね」


スポットライトが舞台上を赤く染め上げる。俺は、空に言われた台詞を書き込んで山本に見せる。


「かえる、んだな」


「忘れないでね?私のこと」


「ああ、忘れねえよ…」


「よかった」


春日は、家にいるときのような笑顔を浮かべる。俺は、次の台詞をどんどんスケッチブックに書き込んで山本に見せていく。ったく。ほとんど覚えてねえじゃねえか、あの野球バカ。


「おい、次の台詞は、どうすんだよ」


「んー、隼人にあわせてたから、かんがえてなかったんだよね」


思わずとなりの空を振り返った。こいつ、あれだけ劇を成功させたいだとか、勝手に配役にされたりだとか、勝手に変更させたりだとかしてやがるくせに、ラストは考えてねえのかよ…。


カンペをめくって、山本に次の台詞を見せながら、隣の空に問いかける。


「じゃあ、どうすんだよ」


「んー、もう隼人が考えて!こういうのは、男の人が考えたほうだいいって!ね?」


「ね?じゃねえ!ったく…」


こういう、理不尽なことは今に始まったことじゃねえが…、俺が考えられる訳ねえだろうが。


「じゃあ、適当ってことで!」


「………(初めて同情したぜ…、山本」


とりあえず、俺は言われたとおり、アドリブで言えということを書いた。それを見たときの山本は、目を見開いて二度見していた。けっ、ざまあみろ。


俺は、そのあとスケッチブックにイタリア語で文字を書いていく。


『Anche se anche la vera intenzione dovrebbe dire』


春日はどうだかしらねえが、山本に関しては確信があったからこそのこの言葉。ニヤリと口角を上げて、この言葉を山本に見せた。





***

カンペで、獄寺からアドリブでやれといわれた。つーかラストシーンって、結構重要じゃねえの?そんなんアドリブでいいのか?


俺はそのカンペを見て思わず固まってしまっていると、風から声がかかった。


「武?」


「あ、ああ…、えっと…、い、いろいろとあったよな!」


「?……うん、そうだね。…楽しかったね」


しんみりした雰囲気のまま、風はそういったけど、俺は、それにまたうなずくしかできなくて、それよりも今出された獄寺のカンペに驚愕してしまった。


『Anche se anche la vera intenzione dovrebbe dire』


本心でも言えばいいだろ。そう書いてあるカンペを見て、思わず獄寺へと視線を向けると、あいつはニヤリと笑みを深くした。


「…武、楽しかった?」


獄寺、気づいてたのか?というか、いえるわけねえよな…。劇とはいえ、んなこと…。つーかよ、なんで自分の気持ちとかは鈍感なくせに、俺の気持ちは気づいてんだ?


「武?」


「あ、ああ、わり。ちょっと、物思いにふけってた」


風を見れば、風は一瞬獄寺のカンペに目を走らせて眉を寄せた。イタリア語よめたりしねえよ、な?でも、その表情も一瞬ですぐに、普通の会話に戻る。


今までも、俺のアドリブにうまくあわせてくれていたから、大丈夫だと思うけど、よ…。俺がうまくできるか?本心つっても…。


『Puoi dire solamente a tale durata?』


カンペに書いてある言葉は、こんなときぐらいしか言えねえだろ?ってことで、こんなときでも言えねえよ…。


風に視線を向ければ、カンペでの会話がわからないからか、首をかしげながら、俺の様子を見ていた。俺は、風の瞳をまっすぐに見る。


ライトのせいで、少し茶色がかって見える瞳を見て、今、自分の気持ちを言葉にしようと思ったら、今まであまり考えないようにしてきた自分の気持ちとかがあふれてくるようだった。


俺は、そっと風の頭をなでる。突然のことに目を瞬かせながらも、言葉を発しないでいてくれるのは、きっと俺の雰囲気を感じ取っていてくれるから。


「Mi piace tu」


「え?」


「Io ho un dolore in lui vicino tu. Io non voglio ritornare.」


戸惑いの表情を見せる風にかまわずに、そのまま言葉を連ねていく。イタリア語を知ってるやつがいたら、まずいだろうけどな…。


「Io voglio toccarlo più. Io voglio darlo a nessuno.」


「た、武?」


「Io voglio che tu venga a piacere mi.…Come pensi a me, tu sai?」


風の目を覗き込めば、俺の方を見て困惑している。戸惑っている風から視線をそらして、獄寺を見れば目を見開いていた。


そっと腕をとって、肩口に額を乗せる。風が息を呑むのがわかったけど、気にしないことにした。獄寺が、わりいんだからな。


「本当に。世界も何もかも捨てられたら…、よかったんだけどな…」


つぶやいた声は、たぶん風にしか聞き取れないと思う。いや、獄寺なら聞こえてたかもしんねえけどな。


そして再び、舞台上にもやが立ち込め始める。俺は、思い出した台詞を口に出す。


「もう、時間みたいだな」


「たけ、し?」


足元を覆い隠していくドライアイスの白いもやがひんやりと冷たかった。それを感じながら、俺は風へと手をのばす。頬に触れることなく右手を風の左耳の方へ滑らせて、髪に指を通しながら、ユーターンしてきてそのまま顎へと手を滑らせる。


「会えて、よかった」


「…わ、わたし、も…」


不安げにゆれている風の瞳は、それでも、なんとか台詞を搾り出しているみたいだった。そうだよな、俺がこんな行動今までしなかったもんな。


いつも以上に至近距離にいる俺たちは、ゆっくりと言葉をつむいで行く。


「俺、この世界にこれて、よかったぜ。風にもあえて…」


「私も…、会えて、よかったわ」


「幸せに、なってくれよ、な?」


「武も、ね?」


ああ、とうなずくけれど、この光景が近い未来に起こるかもしれないと思うと、この劇を中断させたくなる。それをこらえながら、頑張って笑って見せた。


「さようなら、武」


風がそういった瞬間、それが合図となって舞台を照らしていたスポットライトの全てが消えた。


俺は、その瞬間に、すばやく顎を捉えていた手を少し上に向けて、反対の手で風の腰を引き寄せた。


風が声をあげる前に、その唇に自分のそれを重ねて、すぐに離す。


「え?」


暗い中で、風が呆然と目を見開いている姿が見えたけど、俺はそのまま舞台袖へと引っ込んだ。それを待っていたかのように、舞台上のスポットライトが、舞台の上で一人で立っている風を照らしだす。


客席を背に、風はその場に、力が抜けたように座り込んで、口元に手を当てたまま動かなかった。


その光景を見ながら、自分の唇に指をやる。風のそれに触れたときの温かさが残っていて、いまさらながらにあとで怒られるかもしれねえな、と思いつつ満足感があった。


風がそこに座り込んでいるまま、ナレーターが舞台上にでて、最後の締めの言葉を言った。


「こうして陽が沈むと共に別れがやってきた二人は、世界の違う世界で、その思いを胸に残したまま、それぞれの生活をおくるのでした――」


緞帳が下りてくると、会場内に拍手が沸き起こった。全部下り終わると、袖にいた連中が、いっきに歓声を上げた。





***

たけちゃんのアドリブに、場内はシンと静まり返っている。中には泣いている人もいるんじゃないかな?その中の一人にあたしも含まれていた。


舞台をみて、いつか隼人たちも帰っちゃうんじゃないかな、と思ったら、涙があふれてきた。さびしい、さびしい、と言って涙があふれてくるけど、あたしは舞台から目をそらすことができずに、その場に立ち尽くしていた。


「空…」


呟くような隼人の言葉に、ようやく舞台から目をそらせたあたしは、隼人を見上げる。隼人は、少し目を見開いていた。まあ、そう、だよね。自分でつくった舞台見て、泣いちゃってるん、だから…。


でも、隼人は何かを言うでもなく、あたしの肩にそっと腕をまわして、抱き寄せてくれた。隼人の煙草の匂いが鼻をかすめて、あたしはまた目の奥が熱くなってきて、隼人の胸に顔を埋める。


「いつか、隼人たちも、帰っちゃうんだね…」


隼人は、何も答えなかった。それでも、ぎこちなくではあるけれど頭をなでてくれる。


「ごめ。ありが、と…」


小さく呟けば、ああ、っていう言葉だけが聞こえてきた。あたしは、それから劇が終わるまでずっと隼人の胸を借りていた。だから、暗転した舞台の上で何が起こっていたかなんて、見ていなかった。まあ、見えなかっただろうけど。


舞台が終わり、緞帳もおりたころ、全員が無事に終わった舞台に安堵のため息をついていた。


あたしは、おさまった涙を隠すようにぬぐって、隼人から素早く離れる。なんだか気恥ずかしくなっちゃって、あたしはすぐに話題をふった。


「ねえ、隼人。さっき、たけちゃんになんて書いたの?」


「……Anche se anche la vera intenzione dovrebbe dire.…本心を言えばいいだろうが」


「そんなこと書いたの?」


「ハッ、どうせまわりは劇だと思うからいいだろ」


「そういう問題じゃないでしょ!」


隼人の頭をおもいっきり叩けば、いてえ!と言って、その後あたしの頭を同じように叩いてきた。いったあ!最低っ!女の子の頭を叩くなんて!あたしの眼には、さっきとは違う意味での涙が浮かんでいた。


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あきゅろす。
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