不意に目が覚めた。目を開けるとすぐそばに立つ人影にとっさにあげようとした悲鳴は大きな手で塞がれた。 「風、俺だ」 よく知った声に、叫ぶことこそやめたもののなぜここにいるのだろうという疑問が浮かぶ。私が叫ぶことをやめたために離された手が今度は私の頭を撫でた。 「ちょっと外にでねえか?」 「どうやって入ったのよ」 「ちょっとな。この手のホテルの鍵はコツがあるんだ。前に小僧に習った」 武のいう小僧ってリボーンのことよね、と考えている間に武は私の腕を引っ張りベッドから立ち上がらせると手際よく部屋の外へ連れ出した。 「どこいくの?」 「あー、ちょっとな?」 いつのまにか絡められた指に少し気恥ずかしさを覚えながらもホテル内を歩く。誰もいないホテルの廊下は肌寒かった。 連れて行かれたのは一階の売店だ。消灯こそされているが商品はみることができた。 「お土産、買うの?」 「まあ、な」 「それなら、明日でも付き合うのに。というか、明日じゃないと買えないわよ」 「ハハハ、そうだな」 普通に同意して、笑っている武に首をかしげる。なんだろう? 「お土産って誰に?」 「野球部の奴らに頼まれたんだ」 それって、野球部の人たちと買ったほうがいいんじゃない?あ、でも、私もマネージャーだから、一緒に買わなきゃいけないのか。正直に言って、忘れてた。栄井君あたりには、部活で結構手伝ってもらってるしちゃんと買って帰らないといけないかな。 「あ、これかわいい…」 私が手にとったのは、ガラス玉のついたキーホルダーで、光にあてることによってキラリと光るそれは目をひいた。 「買うか?」 「うーん…、買わない。他に買っちゃってるし」 「何買ったんだ?」 「帰ったらみせてあげる」 そういって笑えば、なんだよそれ、といって武も笑った。そのあとも、暫くお土産を見ながら、談笑していたが見るものも無くなり、そろそろ帰ろうかと切り出す。 「武、そろそろ戻ろう?」 「ああ……、そうだな」 二人で手を繋いで歩く。静かな廊下に二人分の足音が響いては静かな光の中にきえていく。すこし薄暗いこの廊下は人気がなく、なんとなく不気味さを感じさせた。 どちらとも口を開くことなく歩く。しかし、それは気まずいものではなく、逆に心地のいい沈黙だった。 エレベーターの前につき、風が上の階へ行くためのボタンを押す。 しばらくすれば、上から降りてきたエレベーターが扉を開ける。それに風は乗り込もうと、足を前に出すが隣に強く引かれ立ち止まった。 エレベーターは乗り手が乗らないことに痺れを切らし、扉を閉めてしまう。しかし、呼んでいるところがないのか上へ行こうとはしない。 「………武?」 「…なあ、歩かねえ?」 歩くということは、階段で上へいくということだろうか?私の部屋は4階に位置していて、現在は1階。 「だめか?」 「………いいけど」 拗ねたように俯きながら言った武に、少しかわいいと感じてしまった。惚れた弱み、みたいな感じ? 再び心地のよい沈黙の中、階段を上って行く。 北海道は夜が冷える。寒さに手を繋いでいるほうとは反対の手で、腕を擦る。底冷えする寒さは、きっと外に出たなら吐息を白くさせただろう。 「さみいな」 「うん」 ぎゅっと強く握られた手の温もりを感じながら、静かに頷く。 「そういえば、ラフティングのときむかついた」 「え?」 「風があんな顔、他の奴に向けっから」 「どんな顔?」 「俺だけが知ってた顔」 それどんな顔?と首を傾げる私に構うことなく武は続ける。 「俺が助けたかったのになあって」 「あれは、場所的にあの人の方が近かっただけで」 「そうなんだけど…、なんつーか、嫌だったんだよ。あいつ絶対に見惚れてた」 「嫉妬したってとこ?ならおあいこでしょ」 「?」 わからないといったように首をかしげる武に、私は呆れたように溜息をついて見せる。 「武は、もっと自分に興味ある人のことを気付くべきだわ」 「?」 「いったい、どれだけのファンがいると思ってるのよ」 ため息交じりにいってやれば、やっとわかったのか武は口をポカンと開けた。私が嫉妬することがそんなに意外なのだろうか。 「学校だし、何も言わないけど見てて良い気分ではないのよ?」 「そんなこと、思ってたのか?」 「まあ、半分は諦めてるけどね。逆に、その子たちを追い払う武っていうのも嫌だし」 「……どっちにしてほしいんだ?」 ゆっくりと上がっていく階段に、少しだけ体の内側から熱が出てきてくれた。途中にある窓には、中が明るいせいで窓に反射した私たちが写るだけで、外の景色は見えない。 「つまり、自然な武が一番好き、ってことよ」 突然止まった武につられて足を止め、逡巡してからそう答えた。そうすれば武はまた目を見開いて、固まってしまう。まあそうよね。私がめったに好きって言わないものね。 なんかこういう反応されると、言ったこっちがかなりはずかしくなってくるんだけど。いまさらながらに、素直に言った言葉を撤回したくなって視線をさまよわせていたら、上に影ができて視線を上げた。 「風」 いつのまに、こんなにも近づいたのかってくらいの距離に武の顔があって、おまけに低い声で名前を呼ばる。つないでいない方の手が顎をとらえて上を向かされて、あ、キスされるんだ、と思ったら反射的に目を閉じていた。 「おい、そこの」 その声が先生だと気づいた瞬間、武は素早い身のこなしで私の身をかがめさせ暗がりに紛れ込んだかと思うと、そのまま階段を登り、関係者以外立入禁止とかかれたドアの中へするりと滑り込んだ。 その身のこなしはマフィアの片鱗を思わせるもので、リボーンが武を「生まれながらの殺し屋」と評価していたことを不意に思い出した。 真剣な表情で外の音に耳を済ます武を見つめる。ドキドキと胸が高鳴っているのは先生に見つかるかもしれないという緊張か、武のあまり見ることのない鋭き視線にか。 「行ったな」 ようやく息がつけた。辺りを見回したら、そこは用具庫みたいなところだった。段ボールがところせましと積み重なっていて、窓からかろうじて月明かりが漏れていて中の様子をうかがえる。 狭くて、武とくっついていないとどうにもできないような状態だった。服越しに体温が伝わり恥ずかしくなる。もうそろそろ外に出ようと扉に手をかけると、その手を武がとった。 「武?」 振り仰いだ顔は思った以上に近い距離にあり、思わず身を引く。それを逃がさないとでも言うように、手を腰に回され引き寄せられた。そして、扉に押し付けられて、そのまま唇どうしが重なった。 それは、優しいというよりも荒々しい口づけで、息もつけないほど深く、深く口づけてくる。抵抗しようにも、片手は武の手に捕まえられているし、もう反対の手も力が入らなくなってきていた。 息が苦しくなってきて、弱々しく武の胸を叩くと名残惜しげに唇が離れた。 目の前の武は、いつもの余裕そうな表情なんてどこにもなく、その瞳には熱を孕んでいる。名残惜しげに離れた熱と、その瞳の熱に息をのんだ。 「…たけ…し?」 でも、武はそのまま何も答えずに私の背中に腕をまわして、肩に額を押し付けた。武の髪が首筋に当たってくすぐったいけど、そんなことを言える雰囲気ではない。なんだか弱々しく見える武に、私はどうしていいかわからなくてそのまま武の背中に腕をまわした。背中に触れるときにビクッ、と肩を跳ねさせていたけど、それでも抵抗はされなかった。 「本当は…、もっと風に触れたい……。今日の風呂でだって、俺そんなに余裕ねえんだぜ?」 そっと離された体。今まで接していた場所の熱が、空気に触れて冷やされていく感覚が無性に寂しく感じた。 暗いなか、だんだん目が慣れてきたのか武の姿がはっきりと見える。それと同時に目があって金縛りにあったかのように動けなくなった。 瞳の奥に孕んでいる熱に、体が無意識のうちに震えだす。こんな武私は知らなかった。 「あんま、隙見せんなよ」 伸ばされた腕に、思わず目をつむった。しかし、それは私に触れることはなく、降ろされたようだった。武を見上げればさっきまでの熱を孕んだ瞳はどこかに影をひそめてしまっていた。 「まあ、もう少し待つけどな!」 最後、イタズラのような小さなキスを残し、何でもないというようにそう言うと、武はドアを開けた。廊下の灯りに、暗闇に慣れた目を瞬かせる。 「戻ろうぜ。送ってく」 伸ばされた手をとって、私たちは今度こそ部屋へと戻る足を進めた。 今度は先生に見つかることもなく部屋へと戻れて、武と別れたあと私はすぐに布団の中にもぐりこんだ。武の瞳が、触れた手が、その熱が、忘れられそうになくて目をきつくつぶった。 *** 気配を殺してするりと、部屋の中へ入る。部屋の中では壁際にあるスタンドの微弱な明かりがついていて、ほの暗さを保っていた。 あいているベッドの横のベッドには獄寺が寝ているはずだ。部屋の灰皿には獄寺が吸った煙草がまだ燻(くすぶ)っていた。 そのまま起こさないようにと気配を殺してベッドに座ると、寝ていると思っていた獄寺がこちらに向いた。 「どこ行ってたんだよ」 「……起きてたのか」 「起きたんだ。ったく。移動するならわざわざ気配を殺すんじゃねえ。逆に気になんだよ」 「ハハハ、悪かったな」 しかし、すぐに笑顔は消えてどさっとベッドへと身体を横たえさせた。 「……で?」 カチッと音がして、そちらを向けば、獄寺はどこから取り出したのか、煙草に火をつけているところだった。 何もない天井を眺めながら先ほどのことを思い出す。服越しに感じる風の体温や柔らかさ。閉じ込めた吐息や彼女の体の震えを思い出すだけで体が熱くなる。 「……獄寺。俺、やばいかも」 「は?」 意味がわからないといったように、眉根をよせる獄寺を視界の隅でとらえてから、全ての遮るように腕を目の上に載せた。光はさえぎられても、どうしようもなく、身体は言うことを聞かない。 「抑えられる自信、なくなってきた……」 さっきの風を思い出す。少し、震えていた。 獄寺は少し考える仕草をしたがすぐになんのことかわかったらしい。呆れた視線を向けられた。 「……バカだな」 「けどよ、怖がらせたくねえんだ。わかるだろ?」 獄寺が俺をまっすぐにみる。翡翠の瞳の中にオレンジの炎が揺れたように見えた。それは間接照明の色だったのかもしれない。でもツナの死ぬ気の炎を思い出させた。 「………中途半端なことだけはすんじゃねえぞ。いつか、俺達は帰るんだからな」 灰皿に煙草を押しつけて火を消すと、獄寺はすぐに布団の中へと入って行ってしまった。 「そう、だな」 いつも首に下げているボンゴレリングに触れる。それが今日はやけに重く感じた。 |