一言では言い表せないけれど
私は全面鏡になっている壁に手をついて深く、それはもう深くため息をつく。学校帰りのために着ていた制服はすでに取り上げられ、今は手元にあるワンピースのみ。鏡には下着姿で疲れた顔をしている私が映っている。


とにかくこれを着るしかないと思考をなんとか切り替え、気を奮い立たせた。


すでにこの店に入ってから30分は経っている。なかなか帰らない私を空たちが心配しているかもしれないが、私の連絡手段は車の中に引っ張り込まれた時点で取り上げられている。誘拐だと主張してもえへへというなんとも気の抜ける笑顔で流されてしまった。


いい歳をしたおばさんが、えへへなんてしても可愛くない。


カーテンの向こうではあの人のテンション高い声と店員の素晴らしい接客の声が聞こえてくる。それを聞いていると恐ろしいことに新たな洋服を見つけたらしく、風ちゃんに似合いそう!、お似合いですねという会話が繰り広げられている。


太客っぽそうだからって店員さんも適当なことは言わないでほしい。


普段買うものとは違ってかなり上質な布に体に変な力が入る。気なれないワンピース姿は気恥ずかしいというよりも道化になった気分だ。鏡に映った自分に似合ってないと評価を下してからようやくカーテンを開ける。


レジ台の上には新たに二着の洋服が追加されるところだった。


「もういらないわ。こんなにワンピースがあっても着ないし、買ってもらう理由もないわ」


「きゃあっそれも似合ってる!やっぱりかわいいわあ。楓も最近は自分で洋服を買っちゃうからお買い物させてくれないのよねえ」


会話が成立しないことにげんなりする。こんな着せ替え人形のごとく次々に着替えさせられ、自分で選べもしない状況で一緒に買い物に行きたいだなんて思うわけがない。


「とにかく、本当にいらないから。いい加減に制服を返して」


「あらだめよう。あと靴もバックも買わなくっちゃ!」


フルコーディネートさせる気らしい彼女に最早突っ込む気力もわかない。


そうこうしている間に着ていたワンピースのタグを切られ、会計は滞りなく進み店員さんによって積み上がった洋服は綺麗に畳まれ大きな紙袋の中へ仕舞われた。


さあ次の店へと連れていかれそうになった時、店に飛び込んできたのは楓だった。


「ママ!お姉!」


「あら楓?どうしたのそんなに慌てて」


「ママがお姉を攫ったからでしょ!?空ちゃんたち心配してたよ!何考えてるの!」


「だってお買い物したかったんだもん」


「だもんとか言ってもかわいくないから!あーあー、またあんなに買って!まーくんに怒られるよ」


「正明さんもわかってるわよ」


「あーもうっ!とにかく!ママはもっとお姉のこと考えてよ!」


「考えたわよ。考えて、考えたの。でもこんなに長い間離れてたらお互いのことなんてわかるわけないじゃない?だから、お互いのことをもっとわかり合うためには一緒に過ごす時間が必要だとおもったのよ」


名案でしょとでも言いたげな彼女に楓は頭を抱えた。私も同じ気分だった。


「だからってなんでお姉の洋服の爆買い……。ずれてるよ。ママ」


「ええ?どこが?」


「とにかく、買ったなら満足したでしょ。もうお姉を解放してあげて」


「あら、だめよう。このあと家に帰って家族でご飯を食べるんだから」


すでに決定事項のように言われた内容に楓が目を見開き私の方を見た。その顔はそんな話になってるの?という確認だ。もちろん私も寝耳に水なため首を横に振る。


「お姉に了承取ってないじゃん!ママ!」


「あら言ってなかった?」


すでに精神的にいろいろなものを削り取られている私はもはや抵抗することすら面倒になってきていた。


「お姉、顔が死んでるよ!?」


「もうなんでもいいからとにかくおみせからでたい」


「カタコトになってるっ!」


結局流されるがままに楓の家へと連れていかれることになる。そこは高層マンションの一室だった


家に入ると正明さんはすでに仕事から帰ってきていたようで、外国のようにハグで出迎えていた。それを甘受するあの人と、するりと通り抜けた楓。いつものことらしく楓の塩対応も正明さんは何も気にしていない。


「この間ぶりだね。この前はごめんね。ついカッとなって手をあげちゃって。もうあんなことはしないから」


「まーくんママにこってり絞られたもんね」


「うっ……」


「まーくんはママのことに関しては短期なんだよ」


楓は正明さんを一通りからかうと私の手を引いてリビングに通した。さきに入っていたあの人がキッチンに立っている姿を見て楓がぎょっとしてる。


「え、今日ママが作るの!?」


「そうよ!私が腕によりをかけて作るんだから!」


「げっ……、あたし今日友達とご飯たべる予定が……」


「今日は何もないって言ってたでしょ」


「いやあ、そんなこと言ってたかなあ……」


突然慌て出す楓に首を傾げていると、正明さんも彼女の行動を必死に止めようとしている。


「何?料理オンチなの?」


「オンチっていうかアレンジャーなんだよね」


げんなりしていう楓はああなったら止められないから放っておこうと言って私の手を引いてある部屋に入った。そこが楓の部屋らしい。


楓の部屋は女の子っぽく、ファンだと聞いたことがある歌手グループのポスターが壁に貼られ、棚には漫画やCDが並んでいる。勉強机の上は雑多にいろいろなものが積み上げられて本来の用途としては使われていなさそうだ。


「お姉がこの家にいるのってなんか変な感じ」


「私も変な感じよ」


「本当に住むの?」


「まさか」


「だよね。お姉はここにいないほうがいいとおもう。お姉ってお父さんと性格似てるじゃん。あたしはママ似だけど。だから、ママといたら息苦しくなるんだと思うんだよね」


「楓はしんどくならないの?」


「慣れてるからね。変なこと言い出すこともあるけど、自由にはさせてもらってるし」


「そう…。そういえば、正明さん、って何の仕事をしてるの?」


「なんか、IT関係の、幹部?だったかな。前、一回忘れ物届けに行ったけど、結構でかい会社だったよ」


「あの人は?」


「ママもそこで秘書として働いてる」


「秘書!?似合わない」


「そー?品行方正、礼儀正しく、おしとやかに毎日を猫をかぶって過ごしてるよ。ちなみにマー君は普段のパワフルさとのギャップに撃ち抜かれたらしい」


バキューンといいながら、指を鉄砲にして撃つ真似をした楓。そんなプチ情報などどうでもよかった。


「楓はこの結婚、平気なの?」


「うん。別にどうでもいい」


「どうでもいいって、アンタね。一緒に暮らすんでしょう?」


「それこそ、今更だって。結婚してから暮らすんじゃなくて、同棲してからの結婚だもん」


「ああ、もうあの人って本当に……」


確かに、それならば一緒に暮らす云々に関しては今更なのだろう。


「それに、あと一年だし」


「何が?」


「あたし、県外の大学に行って一人暮らしするつもりだから」


「家を出るのね」


「新婚で子持ちはつらいっしょ。ママも。あたしだって、ママのラブシーンなんて今更見たくもない」


「まあね」


「一回、帰ってきたときにおっぱじめようとしてた時はさすがにキレたけど」


「……楓、私たちと暮らす?」


「ハハッ、そんなことしたら、彼氏に殺される」


わが妹ながら、濃い人生を送っていると思う。いや、送らされることになったというかなんというか。


「あたしは大丈夫だよ。あたしはあたしでいろいろ考えてるし、お姉も好きなようにしたらいいと思う。たとえ一緒に住んでなくてもお姉はお姉だし」


「楓にそういわれると、心強いわ」


二人で顔を見合わせて微笑み合っていると、リビングがらあの人の悲鳴があがった。


「キャーっ!燃えてる燃えてるっ!」


普段は料理すらしないらしく、キッチンを使うのはもっぱら正明さんなのだとか。といっても二人とも仕事で忙しいことが多く外食に行く方が多いらしい。


「だから無理だって言ったんだよ」


「楓、嫌になったらいつでもこっちに来ていいからね」


そんなことを言いながらリビングに顔を出すと、涙目のあの人と彼女を抱きかかえてフライパンを水に浸している正明さんがいた。


「楓ちゃん!説得してくれ!危ないから、僕がやるって言ってるのに!」


「ママは何をそんなに意地になって、できもしない料理を……」


「だってっ!せっかくなんだから、母親の味って物を!」


「普段から料理しない人の味とかレトルトが関の山じゃん。何言ってんのまーくんの味のほうが母親の味だよ」


「だから正明さんはダメなの!」


全力で拒否された正明さんはがっくりと肩を落としている。あの日私たちの家に来たときの強気な態度はどこにも見えず完全に尻に敷かれているようだ。


キッチンを見ると、いくつかの材料が転がっているが何を作るつもりだったのかいまいちわからなかった。夕飯を作るのにいちごジャムが必要な料理って何?


「…何を作る気だったの?」


「お、オムライス…」


オムライスにイチゴジャム?と首を傾げながらキッチンへ入る。彼女をキッチンの外へ追い出してからもう一つあったフライパンを取り出した。


「私が作るわ。変なもの食べたくないし」


「へ、へんなものなんて作らないわ」


「自覚がないアレンジャーほど面倒なものはないわ」


言いながら使わない食材を冷蔵庫へ戻し、材料を切っていく。ご飯はすでに炊けているらしく、楓を顎で使いながら調理を進めていく。しばらくするとグスグスという鼻をすする音がして顔を上げると、あの人が号泣していた。


「な、何……?」


「風ちゃんがキッチンに立ってるぅぅ〜っ」


「楓、通訳」


「お姉の手料理を食べられるって感動してるんじゃない」


「何それ」


大の大人が鼻水すら垂らしながら泣く姿に引きつつ、オムライスを仕上げる。楓にはサラダを作らせて夕飯が完成した。なんでよその家に来てまで夕食を作ってるんだろう。


そして四人で囲む食卓。なんだかちぐはぐだった。あの人は食べながらも泣いていて、正明さんはそれを笑いながら慰めていて、楓は一人元気にオムライスを食べている。私は、目の前にいるのが空や武、隼人くんじゃないことに違和感を感じて仕方がなかった。


いつのまにかこんなにも彼らがいることが当たり前になっていたことに気づく。いつか帰ってしまう存在なのに、また離れていってしまうのに。


「ねえ、なんであの時置いていったの」


そろそろ夕飯も食べ終わる頃、私は何も考えずに口に出していた。漫画の世界から武たちのことや、ずっとそばにいてくれている空のこと、お父さんのことやほとんど覚えていない昔の母のこと。そんないろいろなことを思い出していたからかもしれない。


「え?」


「お父さんと別れた日、楓は連れていって私は連れていかなかった。なんで?」


「……子供を産んでも仕事を選びたかった私と、家にいて欲しかった彼とで意見が分けれたの。なんども話し合った。でも、私は忙しい毎日に加え子育てでノイローゼ気味だった。もう限界だとおもったの。でも子供を置いて出ていくなんてしてはいけないと思った。だから、しっかりものの風じゃなくて甘えたな楓だけでも連れて行こうって思ったのよ」


「お父さんのお葬式の時に来なかったのは?」


「仕事が忙しかったから、は言い訳にはならないわよね。でも、本当に大事な案件を抱えているときだったの。それに加え、ちょっとトラブルもあったから私が抜け出すわけにはいかなくなった」


「………あの時あなたに二度も捨てられたんだって思ったわ。私の何が悪かったんだろうってたくさんたくさん考えた。空のご両親が引き取ってくれたあと、ストレスで一度倒れたこともある。でも空たちはいつも優しくて親身になってくれた。支えてくれた。助けを求めたとき、いつもいてくれたのは空たちだった」


私は彼女の目をまっすぐに見つめた。


記憶よりも幾分か老けた目元。私たち双子は彼女の顔によく似ている。


「私にとって家族はずっと前から空と空の両親よ。あなたが、私と一緒に暮らしたいと言っても、家族になりたいと思ってくれても……私はあなたを家族とは思えない」


「風ちゃん……」


「憎んでるわけでも、恨んでるわけでもないわ。もしかしたら、いつかは考え方が変わるのかもしれないけれど、でも、今の私はあなたの理想の家族にはなれない」


私たちによく似た顔ではらはらと涙を流す彼女を静かに見つめる。不思議と言いたいことを全て言えたからなのか、この前のような激情なく、心は凪いでいた。


「今日はお邪魔しました。そろそろ帰ります」


全て食べ終わった皿をシンクへ持って行く。後片付けは楓が請け負ってくれた。


「お姉。お迎え呼んでおいたから」


「迎えって、武?」


「うん」


「まったく。勝手なことして」


「すごく心配してたよ。たけちゃんいい人だよね。逃したらもったいないよ?」


「はいはい」


「もー。素直になりなよ」


帰る準備をして玄関に立つと、正明さんが出てきた。


「風ちゃん。いろいろと悪かったね」


「いえ。楓を……、あと一応あの人もよろしくお願いします」


「うん」


頭を下げて玄関を出た。扉を閉める間際、あの人が私を呼ぶ声を聞いたような気がしたけれど私は振り返らなかった。


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