説教と手当と手がかりと

無音のまま、進んでいく武をそっと見上げる。その顔にはどこまでも読めない無表情が張り付けられている。今まで、怒った顔とか心配した顔とかは見たことがあるけれど、完璧なまでの無表情というのは初めてだった。


これは怒っているのか、それともまた違う感情なのか。いまいちわからず、しかも、聞くことのできない雰囲気に私は小さく溜息をつくしかない。


よく女とは言え、人一人を腕の力だけで抱えてこんなに長く歩けるな、と違う方に思考を飛ばそうと必死になっていると、ようやく保健室についたようだった。


「風、ドア開けてくれ」


「う、うん」


言われるままドアを開ければ、運が悪いことに保健教諭はいなかった。そういえば、救護本部をしつらえてあるとか言ってたかもしれない、と大して気にしていなかった情報を思い出す。おそらくそこにいるであろうこの部屋の主が恨めしくなる。


ベッドわきにゆっくり下ろされ、武が無言のまま足の処置を施していく。今までなら無言でも大して気にはならなかったが、今日のものは特に気まずいと感じた。


怒っているの、だと思う。ちら、っと跪くようにして私の足にテーピングしていく武を見る。その手つきは手慣れたもので、さすが長年野球をやっていただけはあると言えるだろう。


ようやく処置が終わったらしく、武は椅子を引き寄せて私の足を両足で挟むように開いて座った。なんとなく逃げ場をふさがれたような状況に視線を泳がせる。


「あ、あの武?」


「なあ、」


「は、はい」


突然口を開いた武に、思わず肩を跳ねさせた。膝に両肘をつき、手を組むようにして額をつけているため、私から彼の表情は見えない。


「あいつらとなんか話してただろ?何、しゃべってたんだ?」


「え、えっと…、まあ他愛ないことよ」


あいつらっていうのは、私を転ばせた先輩のことだろう。ごまかそうとすれば、武の目が鋭くなった。流石マフィアの端くれといえばいいのか。同年代には出せないだろう迫力に、ごまかすこともできず視線をさまよわせる。


「何だ?」


「その、ちょっと挑発されたから、挑発に乗ってみただけというか、なんというか…」


ようやく顔を上げた武がじっと私の目を見つめてくる。まるで睨み合っているような状況だが、武の目は、その内容を詳しく言えと物語っている。折れたのは私だった。


「…ただ、武に付きまとうなっていわれたのよ。それ以上付きまとうなら、どうなっても知らないわよって。空も含めて、ね」


安い挑発だった。普段なら聞き流すような言葉に、返事をしたのはそこに空の名前も出てきたからだろう。


空は今まで南先輩と付き合っていたおかげで、獄寺と一緒にいてもそこまで敵視されなかった。それに、獄寺と空はほとんどじゃれあいのような言い合いをしていることがほとんどなため、恋愛対象にはならないだろうと踏まれているのだろう。


そこらへんは、ファンが勝手に思い込んでくれたおかげで空への被害はほとんどない。それに比べれば、武にも獄寺にも普通に話す私の存在はさぞ邪魔なのだろう。


どこのガキのいたずらだというようないじめが多かったため大概は受け流していたし、対してダメージも受けないでいられたが、それが空に向かうなら別だ。


第一彼女たちはわかっているのだろうか。空はこの学園の理事長の愛娘だということを。あの理事長なら、空に矛先が向いた途端相手の会社ごとつぶしかねないと思うのだ。冗談抜きで。


「だから、やれるものなら。って答えたのよ。まさか、あんな大勢の目の前で仕掛けてくるとは思っていなかったわ。やるならもっと、陰湿なものが来ると思っていたのに」


それだけ焦っていたのだろうか。武が最近目に見えて私と距離を縮めてきたから?


あの文化祭の時のキスに始まり、スキンシップが最近多くなってきているのはわかっている。わかっていて何も知らないふりをしている私はずるいのだろうけれど。


「これくらい大したことじゃないわ。だから、武が気に病む必よ―――」


必要はないと言おうとした言葉は、武が私の肩をつかんだことによってさえぎられた。


「頼むから、もっと自分を大切にしてくれ!」


半ば怒鳴るように、懇願するような悲痛な声を上げる武に目を瞬かせる。こんな彼の顔は初めて見た。そして、彼らがこっちに来てから私に対して声を荒げた武を初めて見たことに気付いた。


「いつもそうだぜ。風は自分が犠牲になればいいと思ってんだろ。でも、そんなの誰もうれしくねえよ。お前が傷つけば、空だって悲しむし、俺だって…」


自分を責めるように目を伏せる武。私には自己犠牲をしているつもりなどなかった。ただ、大切な人を守るための最善の方法のための小さな犠牲だっただけだ。それがエゴだろうとなんだろうと、結果オーライなら何でもいいと思っている。しかし、その選択が彼を傷つけていたのだろうか。


いつから?


「もっと自分が大切にされてることを自覚しろ」


捕まれた肩に痛みが走った。思わず顔をしかめると、武は慌てて力を抜いてくれた。吊りあがっていた眉が下がり、少しだけ情けない顔になる。そして、痛みを和らげようとするかのように私の肩を撫でると、苦笑した。


「悪い。でも、これだけは覚えといてくれ。俺はお前が傷つけられて黙ってられる程大人じゃねえのな」


「…あいては女の子よ?」


「関係ないぜ」


「……、わかったわ。気を付ける」


「ん」


あまりにもその瞳が剣呑な輝きを持っていたためうなずいた。それに満足そうにうなずいた武は、いつもの彼に戻っていて気づかれないようにほっと息をつく。漫画で見たときから思っていたが、武もそこはかとなく腹黒い気がする。というより普段と怒っているときの差が激しくて怖い。


武は私の隣に腰を下ろすと、そういえば、といつもの彼の調子で切り出した。


「なんであいつらの話に俺が出てくるんだ?」


思わず絶句した。


普段はあまりそんなことを感じないためか、彼が天然であることを忘れていた。いや、忘れていたというより、これだけいろいろ言われたのだから原因もわかっているものだと思っていた。


「……天然って怖いわ」


思わずつぶやいた言葉はしょうがないと思う。相変わらず首をかしげているけど、彼は自分がモテている自覚がないんだろうか。というより、あの3年生に好かれているっていうことに気付いていないだけかもしれない。


説明しようと口を開きかけたとき、突然保健室の扉が乱暴に開かれた。


「風ちゃん!」


慌てて入ってきたのは波音さんで、いつも凛々しい彼女からは想像がつかないほど息が乱れていた。


「波音さん?」


「保健室に運ばれるほどの怪我をしたって聞いて…っ、あの子たちがやり過ぎたのかと思って」


「いえ…、あの、ただの捻挫です。動かせるし、大丈夫です」


「本当に?」


「はい」


「……ハア、それなら、よかったわ」


深く息をつき呼吸を整えた波音さんに、申し訳ない気持ちになる。まさか彼女がそこまで心配してくれるとは思わなかった。


「体育館で、貴方を怪我させた女子を出場停止にするかどうかで揉めてて大騒ぎだったのよ。だから、あわてたわ」


そんな騒ぎになってるなんて驚いた。おそらく誰かが抗議したのだろう。結構大胆に転ばされたから。


波音さんは、髪をかき揚げ深く息をつく。


「武君、しっかり風ちゃんを守ってね」


「当り前っすよ」


「……君の方はあと一押しってところかしら」


「え?」


「―――…なんでもないわ。私は一度職員室に寄るから。無理はしちゃだめよ?」


「はい。今武にも釘を刺されたところなので」


「フフッ、そう。上で空ちゃんが待ってると思うわ」


最後にウインクを一つ残し、保健室を出て行った波音さん。きっと、この学校内でもウインクがあんなにも自然で似合う人なんて彼女以外いないんじゃないかと思った。


「さ、戻るわよ。空が待ってるらしいからね」


「まさか試合に出るのか?」


「状況によりけり、ってとこかしら」


「ハハッ、風らしいな。でも、無理はすんなよ」


「大丈夫よ。武が手当してくれたもの」


きっちりテーピングされた足を見せながら言えば、最初はきょとんとしていたものの、すぐに肩をふるわせ始めた。そして大爆笑。今度はこっちがきょとんと目を瞬かせる番だった。


そんな私に気づいた武は、再び笑うと私の頭を撫で回した。撫で回すというより、掻き回すというほうが正しいかもしれない。とにかく髪をぐちゃぐちゃにされ、慌てて振り払うととても楽しそうに笑う武がそこにはいた。さっきまでの剣幕はと聞きたくなるぐらい。


「ほら、行こうぜ!匠も心配してるだろうしな!」


「なんでそこで匠が出てくるのよ」


「きっと、また匠から説教されるぜ?」


「えー、勘弁してほしいわ。匠の説教は部活で十分。というより過保護なのよ。重いものは下に任せろとか、遅くまで残るなとか、一人で朝早くに来るなとか。何のためのマネージャーなんだかわからないじゃない」


「まあまあ。俺も思ってるしな」


「武も?…思うんだけど、武も匠も本質は似てるのね」


「ハハッ!まっ、タイプが同じみてえだからな!」


「タイプ?」


「ほら、さっさと行こうぜ。それとも、また運んでくか?」


「……遠慮しておくわ。これ以上不況は買いたくないもの」


うんざりして肩をすくめれば、武はまた笑った。その不況の原因の8割は自分だとわかっているのだろうか。いやわかっていて笑っているのかもしれない。


まあ、それでも離れようとか思わないのだから、自分も大概物好きなのだろう。


だんだん近づいてくる喧噪に耳を澄ませながら、私達は体育館へと急ぐのだった。


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