学校をでて、家に帰ってくるまで、私はずっと悩んでいた。さっき、体育館から出た後にかかってきた電話は、私が前に友達に頼んでいたことについてだった。それについて、少ししらべてもらったんだけど、予想通りというかなんというか…。それは空に関係あることで、言おうかどうか迷っていた。 そんな私を不思議に思った空は何度も、どうしたの?と聞いてくるけど、私はどうともいえずに言葉を濁すだけ。ああ、どうしようか。 「悩んでるなら、言った方がいいんじゃねーか?」 前方に空と獄寺が歩いているのを見ながら、隣で同じスピードで歩く武が言ってきた。 「何悩んでるのかしらねえけど、相談した方がいいぜ?」 「…そう、ね。うん。そうよね」 言った方がいいわよね。それでどうするかは空が決めることだし、ね。一人でうんうん、とうなずいている私を不思議そうに見つめている武に、微笑みだけで返した。 家についてからは、武に食材の買い物を頼み、獄寺にはお風呂に入るように勧めて空と二人っきりになれるような状況をつくった。もちろん、獄寺には怪しまれたけれど。 私は、夜ごはんをつくる準備をしながら、空にどうやって切り出そうか考えていた。早くしないと、獄寺が出てきちゃうし…。 「…ねえ、空」 「んー?」 「単刀直入に言うけどさ、」 空は冷凍庫からアイスを取り出し、机に座った。それを見てから、言葉を切りだす。 「南先輩の噂、知ってる?」 「え、」 カップのアイスにスプーンをさしていた空は、私の言葉に目を見開いた。 「聞いた話では、先輩、空と付き合ってるのに女と遊んでるらしくて…」 「…な、…んで…」 「匠が、先輩がよく夜に電話してるって聞いたのよ」 「それだけじゃ、わからない、じゃん…」 とぎれとぎれに話す空の目をしっかりと見る。 「他にも、先輩が夜中とかに女性と会ってどこかに行ったのを見たって言う人もいる。それが、一人や二人じゃ無いのよ」 「…そんなの、知らない」 「でも、本当かもしれないでしょ?火の無いところに煙は立たないっていうし」 「…先輩のこと、悪く言わないで!先輩のこと何も知らないくせに!」 スプーンをダンッ、と机に叩きつけて立ち上がる空。やっぱり怒ってしまったか、と気付かれないように溜息をついた。 「知らないから、心配なんじゃない」 「心配しなくても、あたしたちはちゃんとやってるから!」 「でも、噂はあるのよ。ねえ、空。先輩に確かめよう?」 「風は、先輩のことが嫌いだからそんなこと言うんだよ!だいたい、何?心配って!」 まくしたてる空の声が部屋の中に響く。怒りに顔をゆがめる空。 「確かに、嫌いだけど…。でも、空、」 「保護者面しないでよ!あたしは、風の子供じゃない!」 「……、保護者面なんて…。それに、武も先輩がゆりなといるところを見てるのよ?」 「そんなの、たまたまでしょ!先輩は絶対にそんなことしない!するわけない!」 「信じたいのは、わか―――」 「風は好きな人がいないから、そんなことが言えるんだよ!」 「それとこれとは、話しが別でしょ!?」 いつもなら、これくらいで流す私も、今回ばかりは流すわけにはいかなかった。なんで、わかってくれないんだ、と苛立ちが募る。空も苛々してきているのか、どんどん声を荒げていった。 「大体、なんであたしたちのことに、風が口出しするの!」 「心配だからじゃない!口出しだってするわよ!」 「居候のくせに口出ししないで!」 まるで冷水をかけられたようだった。一気に冷えていく頭と、心臓をわしづかみにされたかのような感覚。反論する言葉も何も出てこずに、その言葉はしっかりと脳に意味を伝えた。 「………そう。じゃあ、もういいわ。好きにすればいい」 私は、そう吐き捨てると、キッチンの方へと行くために空に背を向けた。後ろで、扉が勢いよく閉まる音が聞こえて盛大に溜息をつく。そのまま、椅子へと座り込んだ。それと同時に、ガチャという音がして、武が帰ってきた。 「珍しいじゃねえか。お前らが喧嘩なんて」 「…どこから聞いてたの」 風呂上がりの獄寺に顔を伏せたまま聞く。武は、買ってきた荷物を置いて、このただならぬ雰囲気に体を固めていた。 「お前が声を荒げ出した当たりからだ」 「…そう。…武。買い物ありがとう。今つくるから。獄寺はそれをあとで空に持って行って。同じ部屋なんだし」 反論しようとする獄寺が口を開く前に、よろしくねと言って遮った。机の上の、食べられることのなかったアイスがゆっくりと解けていくのを、見ていられなくて、冷凍庫へつっこんだ。 *** コンコン、とノックの音がして、潜っていた布団からそっと顔を出す。 「入るぞ」 その声に、枕にしていたクッションをひっつかむ。そして、ガチャッと、扉を開けて入ってきた人物が見えたとたん、あたしはそれを入ってきた人物めがけて投げた。 みごと、顔面へと飛んでいくそれを、隼人は片手でパシッと受け止める。なんで、当たんないの。本当にむかつく。 「おわっ!テメエ!あぶねえじゃねえか!」 「勝手に入ってくる隼人がわるいんじゃない!ノックしたんなら、返事が来るまで開けないでよ変態!」 「なっ!…チッ、腹減ってんだろ?」 舌打ちをひとつして言い争いを止めた隼人は、片手で器用に持っているお盆をずいっと差し出した。 その上にはおいしそうな匂いのするご飯が乗っている。あたしは、風と喧嘩をしてから部屋を出なかった。だって、合わせる顔ないし…。あんな、酷いこと言っちゃったし…。でも、風だって悪いんだもん。あたしだけが悪いんじゃない。先輩のことを悪く言うなんて…。あんな噂、先輩はモテるから噂が一人歩きしているだけだ。 「食え」 「お腹なんて空いてない!」 そう大声を出した途端、まるではかったようにあたしのお腹の虫が鳴いた。な、なんで、こんなタイミング良くなるの……。 「………減ってんじゃねえか」 「う、うるさい!あたしじゃないもん!」 恥ずかしくて熱くなる頬を隠すために、布団の中にもぐりこんだ。 「じゃあ、誰のだよ」 「知らない!誰かいるんじゃない?」 「…行ってること意味不明だぞ。ほら、食え」 「………」 ちゃぶ台の上に置かれたご飯を見て、やっぱりお腹が限界だったから、のそのそとベッドからはい出て無言のまま食べ始める。 「で?何があったんだよ」 普通、聞く?本当に、隼人ってばデリカシーがないんだから。 「隼人には関係ない」 「テメエ…。人がせっかく心配してやってんのに」 「心配してなんていつ頼んだの!?」 心配、心配って、あたしは何もできない子供じゃ無い!もう、そんなのいらないのに! 「ああ?」 「風も隼人も、あたしなんかほっとけばいいじゃない!関係無いんだから!もう出てってよ!」 近くにあったクッションをもう一つ投げれば、余裕でよけられて、さらに苛々がつのる。なんなの?なんで構うのよ。あたしと先輩のことなんだから、放っておいてくれればいいのにっ! 先輩は、そんな浮気なんてしない。あたしのこと、ちゃんと好きでいてくれてる。あたしだって先輩のこと、好きだもん。お兄ちゃんみたいに優しくて、そりゃあ少し怖いときもあるけど、よくからかわれたりもするけど、でも優しいし、南先輩は絶対にそんなことしないもん。 「関係無くはねえだろ。一緒に住んでんだろうが」 「うるさい!だいたい、この世界の人間じゃ無いくせにっ!」 言ってから、ハッとなった。ざわざわと騒ぎ立てていた心が一気に小さくなっていく。膨れていた怒気が空気が抜けたようにしぼんでいく。隼人の顔を見れば、無表情の彼がそこにいた。 「…いいから、食え。食ったらちゃんと流しに出しとけよ」 静かにそう言うと、立ちあがって出ていってしまった。どうしよう。あんなこと言うつもりなかったのに。この世界の人間じゃないなんて、そんなこと言うつもりなかった…。ああ、あたし、最低だ…。 「気をつけなよー。南ちゃん女癖悪いから」 「綺麗な女の子ばっかりかと思ってたけど、君みたいな可愛い子もいたんだねー」 不意に先輩の友達が言っていた言葉が脳裏をよぎった。 「そんなことない!」 その声を振り払うように叫ぶ。 「そんなこと、ないよ…」 呟いた声は、思ったよりも情けなくあたしの耳に響いて、なんだか悲しくなった。チラッと、机の上に置いてあるご飯を見て、ゆっくりと手に取る。 今は、何も考えたくなかった。風のことも、隼人のことも、何も考えたくなかった。 食べ終わってから携帯を手にとって、先輩の電話番号を押した。しばらく、コールが続いて、先輩が出てきた。 ≪空。どうしたの?≫ 「みなみせんぱい…」 ≪何かあったの?≫ あたしの弱々しい声にか、すぐに真剣そうな声が耳に届く。ほら、先輩はこんなにも心配してくれてるんだよ。浮気なんてするわけないじゃん。 「なんでもないんです!ただ、先輩の声が聞きたくなっちゃって、」 ≪かわいいこと言ってくれるね≫ 「あの、南先輩」 ≪何?≫ 「あ、…えっと、今度合宿ありますよね!それって、いつなのかなーっておもっただけです!」 ≪?…空?≫ 「もう、大丈夫なんで、忙しいところ、ごめんなさい」 ≪空ならいつでも、電話してきていいよ≫ 「はいっ!じゃあ、おやすみなさい」 ≪うん。おやすみ≫ 通話を切って、ベッドに伏せる。あたしはそのまま眠りについた。 |