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届かない手、空けられた距離

「───伯爵の手下の癖に」


小さな声ではあったが確かに聞こえたその言葉に神田は舌打ちする。その理由は、神田の組手の相手をしていた人物の雰囲気があからさまに殺気を帯びたものへと変化したからだ。神田は自分の拳を止めたまま固まっている人物に声をかける。


「おい、篠神」
「あ゛?」


あからさまにキレている返事に神田は再び舌打ちする。こうなった篠神が非常に面倒臭いことをよく知る神田は、先ほどの小声の人物を恨む。


「俺にキレんな」
「だから人が多い時間嫌だっつったんだよバ神田」
「誰がバ神田だ」
「ったく、普段人が黙ってりゃいい気になりやがって」


そういった篠神は掴んでいた神田の拳を離し普段とは違う行動に出る。神田の側から離れ鍛練場の比較的見えやすい位置で篠神は叫んだ。


「俺に文句あるなら出てこい!鍛練のついでに相手してやる」


その言葉に周りはざわめき、神田は顔を引き攣らせる。普段から篠神と組手をする神田は何をしたいのかを察したからだ。挑戦者が出る前に引きずってこの場から去るべきだと判断した神田は急いで篠神の元へと走るが、一歩遅かった。
篠神の前に1人の探索部隊所属と思わしき体格のいい男が出てきたのだ。


「お相手願おうかエクソシスト様よぉ」
「俺は誰でもいいぜ」


ニヤニヤと笑う男相手に神田も篠神も察する。先ほどの小声を言った人物はこの男だと。尚更不味いと思った神田は2人の間に入る。


「やめとけ。てめーみたいな奴がこいつに勝てるわけねぇだろ」
「俺はお前から相手でもいいんだぜ?」
「邪魔だバ神田」


振り返って文句を言おうとした神田は固まる。あの神田が素直に篠神の手で押され下がってしまうほどに、篠神から漏れる怖い空気を感じ取ったのだ。それを感じていない時点であの探索部隊に勝てる保証はないと神田は思うが、自分にしては珍しく最低限止めたのだからあとは自己責任だと思い止めるのを放棄することに決めた。


「そっちからどうぞ」


構えはするものの指で挑発する篠神に馬鹿にされたと感じた男は大ぶりで殴りかかろうとするが、篠神はそれを避け手を掴み勢いを利用して背負い投げた。勢いを殺せずそのまま地面に叩きつけられた男が立ち上がることは、己の喉に押し付けられた指とピクリとも動かせない手を押さえつける腕によって許されなかった。その一瞬のことに周りが静まり返る。
男の上に乗っている篠神は鳩尾を膝で容赦なく押すと、男がカエルが潰れたような声を出す。そこで男はようやく篠神から漏れる殺気に気がつく。


「お前さ?俺がアクマだったり、ノアや伯爵なら今どうなってると思う?」


喋ろうとした男の喉と鳩尾を再び押した篠神。男はようやく目の前の人物が喋らせる気がないというのと同時に、一歩間違えれば自分を殺せるのだと理解した。


「跡形もなく殺されてるぜ?」


その冷たい声に男は背筋に鳥肌が立ち体が震える。


「良かったな?俺が み か た で」


ようやく喉に押し付けられた指が退けられ男は安心するが、耳元で周りに聞こえない様な小声で篠神がボソリと口にする。


「テメェを殺そうと思えば殺せる事忘れんな」


そのまま上から退いた篠神から逃げるように後退りした男は走って鍛練場から一目散に逃げていった。


「あれだけの瞬発力があればアクマから逃げられるだろうな。道理で生き残ってるわけだ」


それをさきほどの冷たい雰囲気とはまるで違う篠神が笑って言うが、鍛練場の空気は酷く冷えきっていた。


「あれ…」
「やり過ぎだろ」


いち早く我に帰っていた神田がため息をついた。


「伯爵の手下っていうくらいだから、俺に殺されたいのかと」
「アホか」
「まあ、悪口言うなら反撃される覚悟くらいもちろんあるだろ?人を馬鹿にしてんだからなァ?」


笑いながら言ってはいるが顔が冷えきっている篠神のその言葉を聞いた瞬間、鍛練場にいた面々の心がひとつになる。敵に回してはだめだと。
いつもとは違う怒り方をした篠神に神田は思った。いつもの怒り方の方が比較的マシだったなと。


「おまえ……」
「こっちは手加減してやってんのに調子乗りやがって」


どうやら見た目以上にキレていたらしい篠神は、自分のタオルと上着を取ると神田に背を向けた。


「悪ィな神田。空気冷えきっちまったし、俺部屋に戻るわ」
「待て、俺も戻る」


神田は自分の荷物をとり篠神のあとを追いかけ、2人は鍛練場を後にする。


「別残っても良かったのに」
「あの空気のまま鍛練なんか出来るか」
「スミマセンデシタ」


どうやらすでに我に返っているようで篠神は神田から顔を背ける。


「お前に勝たなきゃいみねーからな」
「組手で俺に勝つなんてセリフテメェには千年早い」


反論しようかと神田は口を開いたものの噤んだ。先程の大柄の男を一瞬で押さえ込んだ篠神ですら本気ではなかった。アクマ戦では神田は今や自分の方が強いと言えるが、今まで篠神と組手をしても一度として勝てたことは無い。それは力の強さなどではなく、きっと単純に経験差ではないかと神田は思っている。
伯爵の元で彼は人と戦ってきた。一度だけ本人から聞いたことがあるが、暗殺などは日常茶飯事だったと言っていた。それを数千年という単位で約百年前までやっていたのだ。いくら神田が経験を積もうともそれに追いつけはしないだろう。それほどまでに戦い続けた篠神は、いくら当人が否定しようとも染み付いて離れない動きが未だに彼の中に残っている。
篠神の千年早いという言葉に偽りは全くなく、反論を神田はし損ねた。そんな神田をみた篠神は物珍しそうな顔しながら言った。


「今ので黙んなよ、気持ち悪い」
「うるせェ」
「……お前の思ってる通りだよ。嫌でも体が動いちまうんだ」


神田はその言葉にハッと篠神をみる。普段の篠神とはまるで違う複雑そうな表情。


「あー!!やだやだ!変なコト口走りそうだ!さっさと部屋に戻る!」
「おいっまて!」


神田が止めようと手を伸ばすのも虚しく、篠神は付いてこられるのを避けるかのように走ってその場から立ち去った。掴むものを失ったその手を握りしめ神田は舌打ちした。




届かない手、空けられた距離

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