無冠の皇帝【01】連合から来た男
おまけ◆主従漫才
歴史映画のセットのような執務室から一歩足を踏み出したとたん、彼のすぐ後方を歩いていた男が待っていましたとばかりに大声を上げた。
「レイモンド様! 今日のこれからのご予定は?」
執務室のすぐ外には来客用の控室がある。入室する前にはいたはずの士官はカウンターから姿を消していたが、彼は眉をひそめて男を振り返った。
「まだその名で呼ぶな。誰が聞いているかわからない」
しかし、男は悪びれた様子もなく、上機嫌で笑いつづけている。
「ファミリーネームでなければかまわないでしょう? それよりご予定は?」
こういう状態のときの男には何を言っても無駄だ。彼は嘆息してからまた前に向き直った。
「そうだな。宿舎に行って荷物をまとめるか。今日中にここを離れたい」
「それでは俺もお手伝いいたします!」
彼がまだ言い終わらないうちに嬉々として叫ぶ。そんな男に彼は再び冷ややかな視線を投げた。
「馬鹿を言うな。一応騎士団員のおまえに引っ越しの手伝いなどさせられるか」
一瞬、男はきょとんとしたが、すぐに自分の制服に目を落とす。
「これを着ていなければ団員だとわかりませんよね? なら、どこかで着替えて」
「着替えは?」
間髪を入れず彼が問うと、男は笑顔でこんな答えを返してきた。
「サイズが合いそうな兵隊、脅して調達――」
「追い剥ぎか!」
予想以上の悪質さに全力で突っこむ。彼にはわかっていた。この男は冗談でも何でもなく、本気でそうするつもりだったということを。
「とりあえず、おまえも帰れ。いつまでもここにいたら怪しまれる」
そう言い捨てて控室を出ようとした。と、いきなり右腕をつかまれ、そのまま後ろに引き倒されそうになった。
「では、俺はあなたを拘束しにきたことにします」
さりげなく彼を抱きとめながら、ふてくされたように男が言う。
「容疑はあの男と同じ。今から家宅捜索をします。さあ、急いで!」
「え、あ、ちょっと待て!」
力まかせに腕を引っ張られ、彼は内心あせった。とてもそうは見えないが、同じ騎士団員でも一対一では止められないかもしれないとまで言われている男だ。腕力では絶対にかなわない。
一時期彼の護衛もしていたこの男は、彼の前ではおおむね愛想がよく、彼の我儘にも嫌な顔ひとつ見せたことがなかったが(むしろ、妙に嬉しそうだった)、正当な理由のあるなしに関わらず、彼に追い払われることを異常なほど恐れていた。もちろん、彼に強く命じられれば渋々ながらも従うのだが、時々このように暴走することがある。離れていた時間が長すぎて、うっかりそのことを忘れていた。
「場所はもう知っていますから! 早く済ませて早く帰りましょう! 早く! 早く! 早く!」
控室の自動扉――ここはさすがに木製ではなかった――が開く速度もこの男には遅すぎたのか、完全に開ききる前に右手で押し開ける。勢いあまって扉が少し歪んだが、彼は見なかったふりをした。
「……本当に拘束された気分だ」
通路を男に引きずられるようにして歩きながら溜め息を吐く。騎士団はこの階の人払いはしただろうが、途中で誰かと行き会う可能性はゼロではない。男二人が腕を組んで歩いている姿はさぞかし不気味に映ることだろう。しかも、そのうちの一人は緑の悪魔≠ニ畏怖されている騎士団員で、今にもスキップしだしそうなくらい浮かれまくっている。
「そのとおりですよ。あなたは俺に拘束されました」
彼のぼやきを耳に留めた男が、彼も初めて見るくらい楽しげに目を細める。
「もう二度と逃がしません。いえ、逃げても今度は必ず追いかけます。死刑場≠ナも『帝国』でもどこまででも」
彼は思わずまじまじと男を見つめた。
今は三十代半ばくらいだろうと思っていたが、もしかしたら若く見えるだけで、ドレイクとさして変わらないのかもしれない。髪も髭もきちんと手入れされていて、今のように笑ってさえいれば、人当たりのいい好人物のように見える。だが、彼は淡々とこう評さずにはいられなかった。
「一見まともそうに見える、おまえのほうが変態だ」
誰と比較したのかと責められてもおかしくはなかったが、男は一瞬固まった後、親に秘蔵本を見つけられた思春期の少年のように激しくうろたえた。
「えっ、へ、変態って、俺はいつもあなたを見ているだけでっ」
だったら今、自分の右腕を抱えこんでいるのは誰の腕だ。そう突っこむ前に、彼は冷然と男に告げた。
「それだけでもう充分変態だ!」
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