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無関心と魔王様
驚く


「……っ」

 その男は宝月を見て、目を見開いた。呆然としたように、口が半開きになっている。
 やっと帰ってきた、と寒さに震える全身を出来る限り密着させて、指先に息を吹きかけていた宝月は、男に視線を向けた。そして、彼も驚いた。しかし、男の方も驚きは大きいようだった。男は、宝月の視線が動いたことにすら驚いているようであった。もっとすると、慄いているいるようにも見えた。

「……お目覚めですか」

 このままではらちが明かないと思ったのであろう。男は、手に持っていたタオルを壁の突起に掛けると、宝月の方へ近づいてきた。溢れ出てくる動揺を、必死に隠そうとしている表情をしている。男が近づいてくるにつれ、宝月の方も、驚きを隠せなくなっていた。きっと、怪訝そうな顔をしているのだろうと、宝月は自分の鉄仮面を想像した。だが、それはとても奇妙なもののように感じた。自分が常に無表情だということは自覚済みだ。だから、そんな自分が顔の筋肉を使って表情を作っているのを想像するのは、宝月自身、不思議な感じがしたのだ。

「失礼いたします」

 ベッドの頭部付近に片膝をついて、男は宝月の手をとった。凍えそうなほど冷えていたそこに、男の温かな体温が流れ込んできた。ほっと安心する温度が伝わってきて、宝月は、全身の力が抜けていくのを感じた。もっと温まりたい、と更に溢れる欲求に、宝月は男の手を握っていた。
 次の瞬間には、はっと驚いたように、宝月は手を離そうとしたが、男が手を握り返してきたため、叶わなかった。どうやら、温まりたいと思っていた宝月の心情を読み取ってくれたらしい。量の手で包み込むように握られた手を見て、ありがたいと思った。そして同時に、申し訳ないと思った。見ず知らずの男に、暖をとるような真似をしてしまった。

 やがて、だんだんと手が温まってくると、そのタイミングを見計らったように、男が片手を離した。その手を、宝月の額に持ってくる。

「…………熱、ではないようですな」

 生真面目そうな表情が、少し和らいだ。安心したように、そして何より嬉しそうに。自分のベッドを占領していた客人が目を覚ましたから、面倒事が一つ減ったことで喜んでいるのだろうか。そう考えたが、敵意も悪意もなく、それどころか全身から好意的な雰囲気を垂れ流している男に対してあまりにも失礼な事を考えたな、と思い直した。思い直すこと自体が、勝手な思い込みなのではあるが。
 そっと、指先で慈しむように頬を撫でられた。優しいその手は、次に宝月の頭を柔らかく撫でた。触れるような撫で方だ、と宝月は思った。いたわりを持って接している、といえば聞こえはいいが、まるで何かに恐れているようだ。自分でも何を言っているのか分からないが、強く触れてしまったらそのまま消えてしまいそう、とでも思っているような。
 昔、幼い頃。母に撫でられたのを思い出した。落ち込んだ母は、いつもこんなふうに宝月の頭を撫でていた。そうすることで自分を慰めていたのであろう。子供の時はただただ喜んでいたが、今となっては、恥ずかしさやくすぐったさで、もうやめてくれ、と思うばかりであった。

 しかし、と思う。
 しかし、この男のことを、俺は知っているのだ。

 『見ず知らずの男に』、暖をとるような真似、はしていない。なぜなら、宝月はこの男を知っているから。

 腰まで続く、静かな、だけれど艶やかな黒髪。それを馬のたてがみのように結っている。凛としているが、無表情。美貌と相まって、それはとても冷たい印象を受けた。しっかりとした体格をしている。ただ、筋肉質というわけではない。ちゃんと筋肉は付いているのだが、細い。『着やせする人なのだろう』――。
 そう、こんなことを、夢を見た日は絶対に思うのだ。

 今朝。
 つい、先程。

 宝月は確かに、『夢の中』で『この男』を『眺めて』いた――。

 まさか、と思う。まさか、夢の中の人物が、現実で出てくるだなんて。
 もしかしたらこの状況こそが夢で、起きたら自分は、いつものように木目の天井を見上げているのだろう。そう、思いたかったが……。

(どう考えても、本物の感覚だ)

 『夢の中の人』の頬に手を伸ばす。暖かな手と同じ、暖かな頬の体温。ああ、そう。五分もしない前に自分は、この体温に安心したのだ。あの包み込まれるような安心感を夢と称すことは、なにより宝月自身が許さなかった。

(だとすれば)

 考え始めたところで、宝月は、自分が未だに男の頬に手を添えている事を思い出した。感情の色を灯すことのなさそうな赤い瞳が、驚いたように瞠られていた。『夢の中の人』につられるように、宝月もキョロリ、瞳の動きを停止させた。
 驚きからか、二人の動きが止まっていた。

 はたから見たらシュールな光景である。
 結構体格のいい男が二人、手を握り合って頬に触れ合って、見つめ合っている。

 ――いや、違う。別にそういうことじゃない。

 表現の仕方が悪かった。別に見つめ合っているわけではない。なんというか、本当に驚いたのだ。自分がこんな行動をするとは、という意味で。だから固まってしまっただけで、俺は別に同性愛者などという不埒な輩ではない。

 内心で必死に弁解しても、それを聞き入れてくれる人物はいない。
 一体どうすればいいのか。ようやく驚きの沼から自我を引き上げたところだけれど、これからどうやって行動すればいいのか分からない。何でもないふりをしてしまうのもいい。が、気まずくなってしまう。では、わざと慌てたような雰囲気で手を離すというのは。ああ、これもだめ。自分の性に合わない。だったら最後の手段だ。『夢の中の人』が手を離すのと同時に、俺も手を離せばいい。多少は気まずくなってしまうが、進展がないよりはいい。何でもないふりなどという虚しい行為よりも断然いい。だからさあ、『夢の中の人』よ。手を離せ。

 何やら必死そうな『夢の中の人』に向かって、宝月も必死に訴えかける。

 さあ、離せ。離せ。離すのだ離すのが良い断然いい何よりも良い。頼むから離して下さい。

 そう、念じていたのだが。ふと気付く。

 ――もしかして、この人も、俺と同じ狙いか……?

 だとすれば、男の必死な瞳の理由もよく分かる。漫画的に言えば、もうすでに目の中がぐるぐると渦巻状になっていそうな、ありふれた表現を使えば失神しそうな表情をしているが、宝月と距離を取りたいと思っている事は、『夢の中の人』の狙いを悟った今となれば、明白。
 『夢の中の人』は宝月に動いてほしくて、宝月は『夢の中の人』に動いてほしい。

 ……打開策が、非常に情けない形で消失した。

 もう、無理である。宝月にはこれ以上どうする事も出来ない。というか気力が起きない。このまま像になってしまいたい。動かない何かになってしまいたい。意思のない何かに――!

(できることなら)

 一番は、今この状況で、誰も来ないこと。

 何も勘違いすることはないと祈っているが、もしも、もしもだ。二人の間柄がそういうものだと勘違いする輩が入って来たら、それこそ自分は恥ずかしさの余り死んでしまうだろう。

(まあ)

 そんな可能性、無いに等しい――。

「グッドモーニング兄さん! 湖の森おなじみ朝の顔! 愛の宅急便、狼隊長のお出ましでーい!!」

 ――等しくなかった。

 非常に鬱陶しいテンションで玄関と思われる場所から現れたそいつは、宝月と『夢の中の人』の状態を見て固まった。
 そして、入ってきたときと同じ人物とは思えないほど困りきった声と顔で、言った。

「え、っとですね。思いが通じ合うのは、いい事だと、思い、ます。ハイ。失礼しました」
「違ぁあああああう!!」
「ぐほぉ!?」

 瞬時に宝月の手を離した『夢の中の人』は、思わず称賛したくなるほどの見事なアッパーカットを、その男に決めた。

(…………)

 よくやった、としか言えなかった。


 * * *



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