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無関心と魔王様
1−3


 にいさん。にいさんって、よく眠るよね。

 ――そうだな。

 にいさんは、眠ることが好き?

 ――ああ。

 なんで?

 ――眠るときは、考えずに済む。

 ふぅん。ねぇ、でもにいさん。にいさんは、起きなければいけないんだよ。

 ――なぜ。

 起きなければ、そこに行った意味がない。

 ――そこ?

 そう。そこ。――異界。俺達家族の故郷。

 ――馬鹿な。

 でも、本当なんだよ。にいさんはこれから、そこで生きていかなければならないんだ。

 ――――。

 ねぇ。にいさんは。にいさんは、俺たちのこと、好き?

 ――――。

 俺はね。好きだよ。多分、どんなに離れていても、どんなに時間が経っていようと。俺は、にいさんが好きだ。にいさんは、俺たちの誇りだ。

 ――――。

 にいさん。だからさ。

 好きだから、黙ってそっちに行かないでよ。兄さん。

 ――……っ!

 な。兄さん。俺、小学校なんてもうとっくの昔に卒業したぜ。中学校だって。高校は、まだだけど。でも、生徒会長になったんだぜ。すごいだろ? ……なのにさ。なのに、祝ってくれる家族が、一人足りねぇよ。

 ――れ、――。

 だからさ兄さん。早く起きなよ。起きて、俺たちがそこに行くのを、楽しみに待っていて。

 ――……おい、待て。

 もう無理。時間切れ。……ほら、兄さん。起きて。兄さんを待っている人が、沢山いるんだよ。

 ――おい、お―――――――――………………………………。


 バチ。バチ、バチッ!


 * * *


 それはまるで、動いているようだった。

 天地が、流動している。互いが互いを欲するように、まるで、混ざり合いたいとでも言うように。その中心で、それは動いていた。

 見た目は、大きな黒い球体に見える。それが、どくどくと、心臓のように脈打っていた。球体自体が脈打っているわけではない。球体の周囲、正しく言えば、球体以外の全てが、脈打っていた。空も。地も。木も。川も。草も。獣も。人も。魔力も。呪力も。空気も。この星も。命あるものすべてが、脈打ち、球体に力を注ぎこんでいるようだった。

 世界が、鳴動していた。振動していた。ふるえ、震え、振るえていた。喜ぶように、慈しむように。愛でるように、まるで我が子を胸に抱く母親のように、世界中が沸き立っていた。

 黒い翼。巨大な蜥蜴のような身体。天に向かって捻じれた角。神々しい姿は、つい先程まで、冷たい美貌を有していた黒髪の男の正体だった。

 聖竜。かつては、彼らがこの星を支配していたと言われるほど、神聖で、犯しがたい、高潔な生き物。その王たる竜は、人々から聖竜王と呼ばれていた。

『――っ』

 人型の時とは明らかに違う音で、聖竜王は息をのんだ。そうでもしないと、この世界の震えにのみ込まれそうだった。鋭い牙をギリリ、と噛み締めて、辛うじて意識を保つ。強大な、力の塊。それは俗に、魔力と呼ばれていた。

 竜族は、魔力を主にして生きている。つまり、今の魔力が流動し、融合し、世界さえものみ込まんとする魔力の量は、彼らにとって、甘すぎる毒なのだ。毒は、気付かぬうちに身体を浸食し、死に至らしめる。歓喜に身体を震わせながら、逝くのだ。それのなんと甘美で、残酷なことか。恐らく、魔力を主として生きている生物の中で、この甘くしびれる毒に耐えきっているのはごく僅かであろう。聖竜王も、その一人であった。

『……ぐ、っ…………!』

 苦しげに、呻く。毒に耐えきっているとはいえ、彼の体に影響がない、というわけではない。むしろ、彼がもともと保有していた魔力が多すぎるゆえに、毒などとは比べ物にならないほどの苦しみが、王と呼ばれる竜を襲う。あまりの魔力の量に、聖竜王は今まで抑制していた自身の魔力が操れなくなってきていた。心臓を握り潰されるような苦しみ。奥歯を噛み締め、聖竜王は必死に苦しみを耐えていた。人型になれば、この魔力が操れるようになれば、多少は苦しみも和らぐだろう。しかし、操るどころか、操ろうという意志さえ、膨大な魔力の前でかき消されていた。

(危険だ)

 無意識が、警報を鳴らす。

(――! 行かなければならない)

 本能が、訴えた。強く、強く。

『…………あ、るじ、どの……!』

 ――気を失われてはおられないだろうか、怪我をされてはいないか、自身が犯した罪とも呼べるこの状況に慄いてはおられないか、――。

『――大丈夫、です。必ず……』

 ――御傍に。

 誇り高き聖竜王が、ただ一人の人間の為に飛び立った瞬間。

 世界に、亀裂が走った。



 人はその者を、銀狼と呼んだ。
 銀の狼であるから、銀狼。なんとも単純で分かりやすいと、零一号と呼ばれる男は、焦る頭で考えていた。零一号は、必死に逃げ回っていた。だというのに、そんなときほど余計な事を考える自分の脳みそが恨めしかった。だいたい、猟犬じゃないのだから、逃げさせてくれても良いじゃないか。また、余計な事を思った。

 破門にされた。その事実から、零一号は己の全力を持って逃げていた。逃げる先は、誇り高き竜の王が住まう、森の中。湖の森と呼ばれる、自然豊かな水源地だ。

 追手がやってきた。軽く舌打ちして、ためらわずに閃光を放った。目を守るものを一切身につけていなかった追手は、瞳を焼かれた。もう二度と、視力が戻ることはないだろう。零一号は、それほどまでに強かった。つい数刻前まで笑い合っていた仲間さえも迷わずに攻撃する覚悟。それが出来ていたから、零一号は普段にも増して強かった。

 止まれと叫ばれた。誰が止まるかと叫び返した。話があるんだと訴えられた。話を聞かなかったのはどちらだと訴え返した。

 切実だった。捕まるわけにはいかなかった。零一号は、何がなんでも、竜の住まう森へ向かわなければならなかった。もう後戻りはできないという理由もあるが、それ以前に、彼はあの場所が大好きだった。一族に対して申し訳ないとは思っている。罪悪感で、胸が押しつぶされそうだ。胸の中心部を、足の裏で無遠慮にふまれている感覚。耐えられそうに、無かった。あと、もう一度。もう一度だけ、振り向く事を許して下さい。懇願して、零一号は振り返った。振り向きざまに、追手を木に縫い留めることを忘れない。ずぐ、と樹皮と金属がまじりあったにしては鈍い音が立った。かつての仲間だった男たちが、自分たちを木に縫い留めた零一号を、憎々しげに見ていた。しかし、憎悪にも似たその表情は、すぐに驚きの表情になった。

 なにを、驚いているのだろう。疑問に思いつつ、零一号は彼らに歩み寄った。反逆者が寄ってきたというのに、彼らは自分を捕まえようとするそぶりも見せない。どういうことだろうか。もしかしてこちらの意思を汲み取って、最後の情けでもかけてくれるつもりなのか。分からない。分からないが、彼らの顔がにじんで、とてもではないが読み取りにくい、ということだけは分かった。

 視界が歪んでいた。なぜ歪んでいるのかなどは、今の零一号には到底分かるはずもない事だった。しかし、その答えを、追手のリーダー格の男が、いともあっさり教えてくれた。

「……零一号、お前。泣いて……?」

 ああ、そうか。自分は、泣いていたのだ。だからこんなにも、視界が不明瞭なのだ。このリーダー格の男は、自分の顔がよく見えているようだ。自分の方からは、見えないのに。
 彼の目は、焼いたつもりだったのだが。どうにも失敗したようだ。

 自分が泣いていると自覚した瞬間、零一号の瞳から、涙がこぼれた。否、こぼれていた。振り返る前から、零一号は泣いていたのだ。

 一度涙をこぼすと、視界が幾分か明瞭になった。遮るものを、流しているからだろうか。だったら、流れなくてもいい。そう、思った。流れるくらいなら、いっそため込んでしまえば――。

「三号。お前の部下の目、奪ってしまった。申し訳ない」

 ぺこり、腰を九十度に曲げて、零一号は謝罪した。零一号の行動が予想外だったのか、追手の連中から動揺した気配が感じられた。そんなことではだめだ、と思う。自分の感情を見せること、それはつまり、弱みなのだ。弱みを見せれば、つけ込まれる。
 だが、最後に、彼らが自身の感情を零一号に見せてくれたことが嬉しかった。しかし同時に、彼らは自分の教えた感情は見せるなという心得を忘れている気がして、ひどく情けない気持ちになった。今の気持ちを表現するとしたら、複雑という言葉以外にないだろう。

「それで」

 振り切らなければならないのだ。心の中で強く念じながら、零一号は言った。

「お前たちは、こんなにも人数を動員しておいて、俺一人すら殺せないのか」

 情けない、と、侮蔑と軽蔑を込めて言った。同時に、心が悲鳴を上げた。情けないのは、この俺だというのに。

「零一号……」
「そう。お前たちは、ずっとそう呼ぶがいいさ。もう、師匠とも先生とも呼ばなくて済む。良かったな。面倒から一つ、解放されたぞ」
「……っ、ちが、違います。私だって、できることなら、ししょうと……!」
「は。無駄に高い忠義心だ。損をするぞ。直せ」
「……零一号!」

 彼は、感情のままに言葉を発しているように感じた。
 三号。彼は、零一号が担当していた部隊の中でも、特に優秀な戦士であった。つまり、感情を見せず、与えられた任務を確実にこなすという意味だ。
 そんな彼が、普段から滅多に見せない感情を、晒している。なんとも皮肉な事だった。こんなことでもなければ、彼の感情すら知ることがなかったのだから。

 三号が与えられた任務は、零一号の抹殺、ということに違いなかった。零一号も、経験があるから分かる。銀狼の一族は、裏切り者を許さない。
 もともと忠義心が高い種族だからであろうか。この、三号のように。

 ――裏切り者には、死しかない。だからこそ今回、三号は零一号の抹殺を命じられた。おそらくは、零一号の直接の部下だという理由で……。零一号は、三号に命令を下した人物に、憤りを感じた。なにも、こんな残酷な選択で抹殺など命じなくても良いだろう。そして、命令に背けない三号は、念を入れて、たくさんの追手を、自分に付けた。おそらく、ポーズの問題だ。全力で任務を全うしたというポーズがなければ、銀狼族の幹部たちは納得しない。
 幹部たちの、そういった態度を思い出して、零一号は再び憤りを感じた。今は、憤怒さえ覚える。

「……三号。お前は、優秀だ」

 おもむろに、零一号は言った。これが、最後だ。本当に、最後だ。せめてしっかりと、目に焼き付けておこう。心から信頼した、仲間の顔を。

「三号、七八号、二号、六零号、皆、優秀だ。俺はいつだって、お前たちを誇りに思っていた」

 明らかに、彼らは困惑していた。涙もろい七八号は泣きそうに表情を歪め、生真面目な二号は何かを責めるように眉根を寄せ、淡白で冷淡な六零号は、耐えるように奥歯を噛み締めていた。

 三号、彼らを頼む。まだまだ中途半端で半人前な奴らだ。お前がしっかりと躾けて、誰にも屈しない立派な戦史に育て上げてくれ。どこでも生きていけるように、種族のしがらみにとらわれないように――。

 しかし、それを口にする事はしない。今の自分に、裏切り者たる自分に、彼らを見捨てた自分に、そんな権利はない。だからせめて、最後こそは。

 ニッ、と笑った。快活で、元気で、明快で、見る者をぽかぽかと温かにさせる笑み。それは、普段からいつも見せていた、零一号のありのままの笑顔だった。

「ちょっくら、行ってくらぁ」

 ふざけた調子で、敬礼をする。じゃあな、言って、零一号はその場から姿を消した。急いで森の中を駆けていく中で、自問する。涙は出ていなかっただろうか。声は震えていなかっただろうか。情けなくは無かっただろうか。自答する。分からなかった。

「……くそ」

 悪態を吐いた。誰に聞かれたわけでもないが、言っておきたかった。

「悪者らしく別れるつもりだったのに……」

 彼らの顔を見ていたら、つい我慢できなくなった。つい、いつも通り、出てきてしまった。

「なんか、駄目だよなぁ」

 また視界が滲んだ。不快な感覚だ。ぐい、と服の袖で涙を拭く。顔を上げた時に出てきたのは、未練を捨てきった大人の顔だった。

 と。その時。世界が揺れた。

 ぐわり、零一号としては、そんな感覚であった。何の感覚か、分からない。零一号にはあまりにも未知な感覚であった。まるで、体内の核にある生命力が、直接掻き回されているような……。

 そこまで考えて、零一号の鋭い第六感が働いた。そこから退かないと、死ぬ。本能でそう悟り、零一号は慌てて伝っていた木の上から、上空へと飛び跳ねた。上空で足場を確保して、下を見た。
 その瞬間、今までいた森の一帯が、荒野と化した。

 鼻から、息が漏れた。何が何だか分からなかった。暫く困惑して、零一号は慌てて、三号たちと分かれた場所を見た。幸い、そこまではまだ、この異常現象の被害は到達していなかった。しかし、このままでは時間の問題だ。どんどん範囲を広げて、異常現象は進行している。思わず、三号たちのいる場所に手を伸ばす。瞬間よりも早く、結界を張る準備が出来た。

「…………あ」

 次の瞬間に、思い直した。今の自分に、彼らを守る義務も権利も無いし、ここで守ってしまったら、彼らを裏切ってまで里を出てきた意味がなくなってしまう。零一号の顔が、情けなく歪んだ。やってしまった。隊長の時の癖で、守ろうとした。何も考えずに、当然という態度で。
 ぐ、と息をのみ込んだ。手を振り、集まっていた光を霧散させる。大気に足をかけ、さらに上空に駆け上がった。気温の低い場所に行くと、脳が冷静になって行くのを感じた。うん、もう大丈夫。

 今度こそ覚悟を本当に決めた瞬間、背後に悪寒を感じた。それはあまりにも恐ろしく、零一号は声にならない悲鳴を上げながら、ば、と後ろを振り返った。――そこにあるのは、ただの地平線。

 地平線が、あった。

「〜〜〜っ! !! !! !?」

 そんな、ことが。ありえるというのか。先程まで確かに、零一号が駆け上がるまでは確かに、そこには一面に広がる森があったはずなのだ。それが今では、生命一つの声も聞こえない。まるで、なにかに吸収されてしまったかのように。訳が分からないたとえだが、零一号は自然とそう思った。

「――」

 零一号は、ためらいなく自身の周りに結界を張り巡らせた。それから、零一号の存在までを吸収しようとする力を探そうと、身体を百八十度反転させた。

 ――それは、すぐに見つかった。なにも無い荒野に、そこは不自然なほど自然に、当たり前のような顔をして鎮座していた。それは、森だった。

 その森の中央には、遠くから見ても大きな、天にも届かんばかりの大樹があった。そして、その大樹を従えるようにして、真っ黒な球体が浮かんでいた。どうやら、あの球体が、ここの森一帯の力という力を奪っていったらしい。どくどくと脈打つそれは、力を得て喜んでいるように見えた。

 ――しかし。

 あの森が生き残っているのは、いい。あの球体がこの異常現象の原因だとしたら、自身の住処を守るために、そこぐらいは守るだろう。
 あの大樹があれほどまでに育っているというのも、いい。あの黒い球体の近くにいて、おそらく力のおこぼれをもらっているのだろう。おこぼれ自体であそこまで大きくなるというのも問題だが……。
 しかし。しかしだ。異常現象についてはまあいい。問題は、あの森だった。あの森は、零一号の記憶違いでなければ、聖竜王が住まう、湖の森だったはずだ。そこにいるのは、選ばれた獣たちや、精霊たち。それに、聖竜王に、“あの方”。

「…………」

 零一号の考えが間違っていないのだとしたら――。

「結構、大変な事になった」

 結界を張っていても、生命をもぎ取られる感覚がする。恐怖とも呼べるその感覚に、零一号は背筋に垂れる冷や汗の存在を認識しつつ、薄笑いを浮かべた。あまりにも強大な恐怖感に支配されると、笑いが出てくるらしい。

 あそこに、行きたくない。でも、聖竜王とあの方がいるのならば、行かなければならない。一年間、毎日通っていたのだ。情も湧く。聖竜王とあの方が、あの強大な力に影響されていないか、それだけが心配だった。

 世界に亀裂が走った。恐ろしい。なんて、怖ろしい。怖い、怖い怖い怖い。いっそひれ伏してしまいたい。情けなくても良いから、命乞いをしたい。許しを請いたい。何一つ、自分は悪くないけれど。とにかく、この恐怖から生き残りたかった。
 それでも、零一号は走る。亀裂よりも、ずっとずっと早く。

(間に合えよ……!)

 結界の一枚が割れた。それでも走る。森に近づくにつれて、結界が悲鳴を上げ始めた。二枚が割れた。あと、十枚。森につくまで、もつか。全身の神経に力を込めて、零一号は大気を蹴り続けた。


 * * *



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