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無関心と魔王様
1−2


 まこと、甘美なものよ。

 その人は、実に艶やかだった。

 のう、我が息子よ。そうは思わぬか。

 その人は、実に穏やかだった。

 地球は素晴らしい。こんなにも、愛しさにあふれておる。

 その人は、俺の母親。

 息子。妾の愛しき息子達よ。お前たちを、愛しているよ。

 母は、言う。

 どんなに離れていようと、どんなに会えなくなっても、お前たちを愛しているよ。


 * * *


「竜の兄さんって、母親、いるのですか?」

 何となしに放たれた疑問に、黒髪の男は閉じていた瞼を上げる。

「……なに?」
「だから。母親。もしかして寝てました?」
「……ああ」

 何の疑問なのか、それに対する納得の声と、さらなる疑問に対する応答の声を織り交ぜて、黒髪の男は頷いた。

「いることには、いる」

 晴天。

 昨日のどしゃ降りがまるで嘘のような、快晴。この空が、夕刻にはまた重く垂れ込めた雲を侍らせるようになると思うと、にわかには信じがたい。

「いることには?」

 暇そうに寝転び、ゴロゴロとせわしなく地面を回っていた銀髪の男が、座っている黒髪の男の前で静止し、不思議そうな表情で首をかしげた。

 その姿を、ともすれば冷たいと言われる瞳で、黒髪の男は静かに見下ろした。昨日とは違い、その瞳に侮蔑の光は灯っていなかった。黒髪の男も、なにもこの男を嫌悪しているわけではない。むしろ、毎日飽きずここにやって来てくれるのは、正直言って有り難いものなのだ。

 昨日はただ、銀髪の男が調子に乗りすぎただけで。

 黒髪の男は、銀髪の男の不思議そうな顔に向かって、頷いた。

「そう。別に私とて、天涯孤独の王というわけではない」
「へー?」

 明らかに信じてなさそうに、確実に面白がっていた。にやり、と唇の端を持ち上げ、一般人に絡む不良のように、銀髪の男は黒髪の男に絡んだ。

「へー? へぇー? 竜の兄さんがぁ? ふぅん」
「なんだ」
「いやいや? 兄さんって、自ら一人になろうとしているから。まさかそんな台詞を聞くとは思わなかったです」
「失敬だな」
「敬ってますよ、ちゃんと。ただ、礼儀を知らないだけです」
「じゃあ、失礼だな」
「そう」

 昨日とは違って、二人の間で会話が途切れることはなかった。黒髪の男の機嫌が上昇している証拠だ。

 くすくすと面白そうに笑って、銀髪の男は反転、仰向けに寝転んだ。

「晴れましたねぇ」
「そうだな」

 いったん会話が途切れた。

 ふと、銀髪の男には珍しく、静かな声で呟かれた。

「今日は、一体どんな夢を見られているのでしょうね、あの方は……」
「…………」

 こればかりは、機嫌のいい黒髪の男でも、答えることが出来なかった。

 あの方がどのような夢を見ているかなど、あの方にしか分からない。ただ分かるのは、悲しんでいるか、憤っているか、嬉しいか、喜んでいるか。それだけだ。

 それしか分からない。分からないから、二人は空を見上げる。そこには、真っ青な空に、真っ白な雲がまばらにちりばめられているだけだった。

「感情を表してくれるというのなら、天体観測も悪くないのですがねぇ」

 そうだな。

 黒髪の男は、静かに頷いた。

「致し方あるまいよ。指先一つ動かせぬほど、魔力が枯渇しきっておられたのだ。天を御操りになるのは、まだ早い」
「そうですけどー……」

 何処か不満そうに、銀髪の男は唇を尖らせた。

「でもやっぱり、今何を感じているのか、くらいは知りたいわけですよ。それだったら今は幸せな夢を見ているはずだし、幸福な気持ちになっているはずだし」
「だったら毎晩、彼のお方は悲しんでおられるのか」
「…………やっぱり、天気なんて操るものじゃありませんね」
「理解するのが遅い」

 冷たく言い放たれた言葉に、銀髪の男はウグッ、と心臓に槍でも突き刺さったような顔をする。次いで、胸の上で服を握りしめた。

「む、胸が痛い。こんなに心に響いた言葉は初めてです……!」
「…………」

 苦しげな表情で胸を押さえていても、きっとそれは演技なのだ。

 黒髪の男は、銀髪の男を冷たい瞳で見下ろした。

「……兄さんの眼光は、アレですか。人を傷つけるために埋め込まれているのですか」
「別に」

 そういうわけでは決してないが。

 感情らしい感情を一切宿さず放たれた言葉に、銀髪の男は深くため息をついた。快活が取り柄の男にしては、これもまた、静かな声と同様、珍しいことである。

「ま、いいや」

 言って、銀髪の男は再び反転し、うつ伏せの格好で頬杖をついた。にこにこと無邪気な笑顔は、真意が読めない。

「で、竜の兄さんの母親って、どんな人なのですか?」

 話題が変わって、改めて放たれた疑問に、黒髪の男はふと、視線を逸らして考える仕種をした。

 どんなひと、とは。

「……さてな」

 黒髪の男は、思い出す。

 確か彼女は、愚か者のはずだった。

「随分と前のことで、覚えておらぬ」
「……自分の母親でしょう?」
「あの女は、どうしようもないほどの愚か者だった。我ら聖竜の誇りを踏みにじる、愚かな娘だった」
「娘って」
「娘だよ。五百年ほど前に、寿命で死んだ。当時百歳だったから、私の方が年上だ」
「へー……」

 黒髪の男の言葉を聞いて、思案するように、銀髪の男はぼんやりとした表情を作った。

 聖竜とは、竜族の中でも特別な一族だ。寿命がないと言われ、老いることも無い。もしも聖竜で老いている者がいたら、それはわざとそうしているか、本当に長生き過ぎたか、だ。対して、普通の竜族は、平均寿命が百五十歳。老い自体は無いが、寿命があるのだ。

「ということは、兄さんって、ハーフ、ってことですか?」
「否。我ら竜族は、両親のどちらかの血だけを受け継ぐ。私は幸いなことに、父の血筋だ」
「……面白いのですね、竜って」
「別に」

 そんなことは、決してないのだ。

 竜族がどれほど優れていようと、そこに情など存在しない。確かに、上に行けばいくほど、竜族というのは知性も気品も力も、全てが優れている。しかし、王以外の者が深く温かな情に目覚めるなど、同じ竜族である黒髪の男でさえ、想像がつかなかった。

 もう、自身の嫌な過去は話したくなかった。黒髪の男は、代わりに、銀髪の男へ問うた。

「お前はどうなのだ」
「んん?」

 考え事をしていたのだろう。銀髪の男は、再び反転して仰向けになると、不思議そうな表情を作って黒髪の男を見た。そして、質問の意味を理解すると、彼は困ったように笑った。

「んん。秘密です」
「…………」

 人に質問をした癖に。自分は質問に答えないつもりか。

 あまりの理不尽さに眉根を寄せた黒髪の男であったが、やがて、諦めたように空を見上げた。話は切り上げ、という合図だ。それにクスリと笑って、銀髪の男も空を見上げた。

「…………晴れているな」
「はい。晴れてます」

 珍しく、黒髪の男の方から呟かれた言葉に、銀髪の男は柔らかな笑みを浮かべて、後頭部と地面の間に両手を差し込んだ。

「あー! 気持ちいい! 晴れているって、いいことですねぇ!」
「……そうだな」

 珍しく、本当に珍しく、黒髪の男も笑った。それはとても薄く、微かなものだったが、銀髪の男が感じ取るには十分すぎるほど空気の流動であった。

「あの方の御心も、こんなに晴れ渡っていたら、いいですね」
「そうだな」

 もう一度、確認するように。

「まこと、そうであればよい」



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あきゅろす。
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