g.short
差し延べられた手 (山崎)
好きだよ。と
退は言った。
いつも通りの調子で。
明日は雨だよ、とか言うように。
「好きって、なに?」
私は、尋ねた。
「それは、退が私に片想いしてるってこと?」
「‥片想い‥ね。
せめて振るんだったらもう少し気を使った言い方をしてくれない?二重にショックだよ」
ショックだ、と言う割に、退は
やはり苦笑いして見せただけ。
こんな今の私達を誰かが見ていたとしても、特別な会話をしているようには思わなかっただろう。
でも、私は、予感している。
この会話が終わったら、私達は
今までの私達じゃいられなくなるのだと。
振る?
ねぇ、何を言ってるの?
「私は、退が好きだった」
とてもとても、好きだった。
長い、片想いだった。
そして、
辛い、恋だった。
「だった?」
退は、地味だけれど、
本当はよくモテていたのを私は知ってる。
今までだって、そういう仲になった女の人がいたのも、しかもそれが2、3人じゃすまないのも、私は知ってる。
「退が、私を妹のように扱う度に私は苦しかった。
街で退が、女の人と歩いているのを見る度に、苦しくて消えてしまいたいと思ったの」
「あー‥それは‥仕事の場合もあったと思うんだけど」
「うん、知ってる。
わかってたけど、そんな仕事をさせるトシさんのことも、恨めしく思ったし。そんな自分が情けなくて許せなくて、苦しかった」
「夢乃、
そんなに俺を想ってくれてたんだね、ありがとう」
「だけどね、退。
遅かったの」
「え?」
きょとんと目を開いただけで、
焦らない退。
ほらね、
やっぱり遅かった。
「もう、退のことを考えても、苦しくない。
私の恋は、どこかに行ってしまったの」
「‥‥‥‥」
退は、始めて笑みを消して私をじっと見た。
哀れみを向けているようにも見えたし、何かを考え込んでいるようにも見えた。
「私を好きになってくれたっていうのに、‥あんなに夢見てきたことなのに、私は今、嬉しさも喜びも‥感じられない。
‥退、ごめ‥」
「そうかな?」
「‥え?」
「本当に、遅かったのかな?」
にこり、
細められた黒い瞳に吸い寄せられる。
「夢乃。
もう君は小さい女の子じゃない。
想い、想われる幸せを知っていいんだ」
「‥それが、何。
遅かったって言ってるじゃない!
だいたい、退はいつもそう。
私のことを全て知ってるような顔して!」
「知ってるよ。
夢乃がずっと俺を見てきたことも」
「‥知ってても、知らないふりをしてた。
私の気持ちわかってて、わざと妹扱いしてたんでしょう?
だから、私はもう‥」
「さすがに、子供には手を出せないでしょ」
「退だって子供だった」
私とそんなに変わらないのに。
退は、笑うだけ。
ほらね、また子供扱い。
「好きだよ、夢乃。
何も気にしなくていい。きみはもう大人の女性なんだから。
きみが怖がってるのは、想い、想われる重みなんだ。
片想いは楽だったでしょ?」
ああ、言葉が出ない。
「報われなくても、自分だけ好きでいたら良いんだから。
夢乃は、好かれることに憧れながらも恐れている。他人との深い結び付きを、ね。
俺は、そんな臆病な夢乃が大好きだよ」
またそうやって、退は私を手なずけてしまう。
私には、その手を振り払う勇気なんかないから。差し出された退の手に縋り付くの。
退。退。
退がいるから、生きていける。
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