g.long
3
『ただいま』が言えなくなってどのくらい経つのかな。
まだ小さい子供だった頃、家の玄関で『ただいまー!』って言うのが好きだった。
『おかえりなさい』がなくても構わなかったけれど、母や祖母から『おかえりなさい』がもらえると、くすぐったさを感じたものだ。
思春期を迎えて、素直に『ただいま』が言えなくなった。
変わらず『おかえり』があっても、それに答えることが素直にできなくて。
恥ずかしさで『あ‥うん』とかでごまかす私でも、家族は相変わらず『おかえり』と言う。ずっと変わらずに。
『おかえりなさい』は、見返りを求めない家族の気持ちなんだって、少し大人になって気付いた。何気ない言葉の重み。
この一言に詰まっているんだなぁって思ったら、余計に『ただいま』が言いづらくなった。
大人になって家族のもとから離れて一人で暮らし始めて。
『ただいま』も『おかえり』も無い毎日を過ごした。
『ただいま』を言わなくても良い毎日は誰にも気兼ねせず楽に暮らせたけれど、いつも家の空気が少しひんやりする気がしていた。
帰宅して『ただいま』の代わりに『‥疲れた』と一人呟いてみても、声は部屋に飲み込まれていくだけで。ただ疲れを実感させるだけだった。
「もう本当に無理です!!」
「そうは言ってもなんだかんだでミッションクリアしちゃってるからね、夢乃さん」
屯所への帰り道。
説得力ないんだよなーと山崎さんは困ったように笑って頭を掻いて、とんでもないことを言った。「向いてると思うよ、この仕事」。
はいぃぃぃ!?
「だってさ、張り込みも潜入もできるようになってるじゃん。
張り込みも見つかってないし、潜入もバレなかった。優秀優秀」
「あのですね!万が一見つかったりバレたら‥」
「ジ・エンド?」
「ひぃ!
そんな怖い思いしたくないですもん!‥っていうか!昨日潜入先で怪しまれそうになったのって山崎さんのせいじゃないですか!
だいたい普通に働けばバレません。山崎さんが余計なツッコミするから‥」
「まぁまぁ。これでも俺、貴重な地味キャラ・ツッコミ担当だからね、組では」
「関・係・ない・です!」
そう。
あたしは今、真選組で仕事をしている。
監察という部署で、山崎さんはベテラン?の先輩だ。
あたしの仕事はつい1週間ほど前まではカメラマンで、女性向けの雑誌に江戸のイケメン、土方十四郎の写真を撮っていたはずだった。
それが今はどうだ?
突然真選組の巣に連れてこられ、悪徳役人の密会の証拠写真を撮ってこいと放り出され、怖い思いをし、いつの間にか真選組の一員みたいになっている。
なんだ、これ。罰ゲーム?
罰ゲームだよね。うん。
こんな毎日毎日恐怖と隣り合わせなんて!
「夢乃さん、声に出てるよ?
面白いよね、夢乃ちゃんって。‥あ。馴れ馴れしいの嫌だったらごめん」
「いえ‥別にかまわないです。
意外と時々まともですよね、山崎さんは」
「それ褒めてんの?
俺だって、あんな人類か疑わしい人達と一緒にされたくないよ」
「本当に疑わしい限りですよ、あの集団」
ああ。
道の向こうに屯所が見える。
また今日も帰ってきてしまった。
時折聞こえる奇声は幻聴だと思い込むことにしたい。
聞こえない聞こえない。
「俺、退ね。山崎退」
振り返って微笑む。
好青年の微笑みだ。クラスに一人は必ずいるタイプ。
こういうのは地味にモテる。
「山崎でも退でもいいけど。山崎さんてのはやめない?
しばらくは相棒だしね。
‥でも、退さん、とか結構いいかなあ。なんかちょっとイケナイ感じ?うん、萌える」
「‥‥‥退くん、でいいですか‥」
一般的好青年の中身は腐っても真選組の人間なだけあってやっぱりおかしいと思いました。
「ただいまー」
がらり、と玄関を開けて入って行く退くんのあとに続く。
「あ、お疲れっす、山崎さん!
夢乃さんも一緒だったんすか?いいなー。うらやましー。
おかえりなさい!」
「‥た、だいま‥?」
とても若そうな隊員のすがすがしい笑みが印象的だった。
「お。ザキ!夢乃ちゃん!おかえり!」
「怪我ないかー?」
「お疲れー」
「おかえりなさい!」
「おかえり。今日はカレーだぜ」
―――カシャリ。
思わず。カメラに収めてしまった。
大した理由なんかなく、衝動的に。
向けられるたくさんの笑顔にシャッターを切って。
もやもやしていた何かが、すとん、と落ちた気がしたんだ。
「ん?どうした?夢乃ちゃん?
なななにかあった!?」
「なんでもないですよ、近藤さん」
カメラを下して。
ちゃんと自然に笑えてるかな?
少し息を吸って。
「ただいま、‥ただいま帰りました!」
「おかえり!」
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