華の人
◇
主人公 side
その日は本当に偶然だった……
仕事で、近くを通った時に足が自然と動いていた。
部下にアイツはここにはいない、と聞いていたからかもしれない……
ガキの頃、しょっちゅう出入りしていた『碓氷道場』。
「変わってねぇな……」
ぽつり、と呟く。その時視界の端に一枚の張り紙が入った。
『師範代募集中』
パソコンで作られたソレは一番上にそう書かれていた。
「…師範代、ね。」
何の感情も含んでいない俺の声は、風に静かに運ばれていく。
用など全くないので、俺は踵を返す。平日の昼間とはいえ、早くこの場を離れないと誰かに見られる。
「ちょっとちょっとお兄さん!」
見られた…………
目線だけで声をかけられた方を見ると、重そうな買い物袋を二つ下げた主婦。
しかも何故か目を輝かせている。嫌な予感……
「お兄さん、師範代希望者かしら!?」
……俺の勘は当たるんだよ。
「違う。ただ近くを通っただけだ。」
俺は無表情に返す。俺は基本的に表情が変わらない。──時々サイボーグかお前は!って言われるぐらいだ。
「まぁまぁ、取りあえず入って頂戴よ。話はそれからで、ね?」
「俺は師範代をする気はない。……それに俺は本名すら明かす事も出来ないような奴だぞ。」
だから諦めろ、と遠回しに言ったつもりだ。だが、この女は俺をじっと見つめてこう言った。
「大変だったでしょう……。」
何だこの女。俺を同情するつもりか?
怒りと苛立ちで目を細めて睨む様にして女を見る。
「どういう意味だ。」
「別に同情じゃないわよ?ただ、純粋にそう思っただけ。…でも、今の殺気といい、かなりの手練れである事はわかったし。師範代やりましょ〜。」
最初はキレた俺に慌ててそう言ったが、最後は歌い出してしまいそうなぐらい上機嫌になって俺の背中を押す。
…………両腕に買い物袋持ってんのに力持ちだな。
つか、マイペースすぎだろコイツ…………。
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