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夜風の旋律
001:The beginning
郊外の隅にある村のそのまた隅っこにその家はあった。
村からその家に行くための道は少しばかり舗装されてはいるが、歩けばすぐに生い茂った木々に囲まれなんだか心もとない。
しかし木々の隙間から零れる太陽の光が辺りを照らし、横からやってくる涼しい風が人々のうなじをくすぐるようにして通り抜ける。
おいしい空気の中深呼吸をすれば心はあっという間に癒された。
そんな感じでこの道を楽しめば目的のその家の茶色い屋根が林の中からひょこんと顔を出す。

この家こそが薬師のセレナが住んでいる場所だった。


 + + +


「じゃあ口開けて、もっと大きく…………うん、やっぱり喉からの風邪ね。まだ症状は酷くないけど大丈夫だと思って普通に仕事なんかしたら確実にこじらすから、今日と明日は私の薬飲んで安静にしてなさい」

「でもこれから仕事が」

反論する青年の患者の口を手で遮るとセレナは立ち上がって青年を見下ろしながらその眉の寄った顔を近づける。

「口答え禁止。風邪で足手まといになって仕事仲間に移すのが関の山よ。仕事の効率を考えるなら一刻も早く風邪を治すこと。いいわね?」

「……はい」

「よろしい」

絞り出された返事にセレナはにっこり笑うとお終いと言うように青年の頭をぽんぽんと2回叩いた。
その仕草に青年の顔が赤くなり、ギロリとセレナを睨み付けたが本人は何も気にしていない。
そのまま振り返って奥のドアに向かって叫ぶ。

「それじゃあアリア、風邪薬と喉の……ってああ今買い物に行ってるんだったわ。ちょっと待ってて」

弟子の不在を思い出し、青年を奇妙な道具や大量の本が置いてある――青年曰くまるで魔女の実験室のような薄気味悪い――部屋に置き去りにすると、薬の保管室に目的のものを取りに行くことになった。
階段を降りなければならないので不便なのだ。

取りに行った薬を渡し、代金をもらったセレナはとっとと青年を追い出すと玄関そばのソファーにどっかりと体を倒した。
まだ昼を少し過ぎた頃だったが、今日は今の患者で8人目。
多い、多すぎる。

どうやら町では喉の風邪が流行っているようなのだが、症状が軽い者まで駆けつけてくるのだからたまったもんじゃない。
心配なのは分かる。
自分の体に異常を感じれば、不安さゆえに誰でもいいから――特に知識のある医者を――頼りたくなる気持ちも分かる。
セレナだって初めはただ薬を売るだけだったのに買う者達が自分の症状はどうなのかと訊いてくるものだから、気付けは町に風変わりな医者がいるという認識をされてしまった。
まあ、セレナとて頼ってくる者を見殺しにする程非道になった覚えはない。
快くとまではいかないまでも、引き受けたら最後までやり抜くのが主義だ。

しかし普段は自分のことを陰で悪く言っているような奴でも心身弱ると掌返してやってくるからセレナの心境も複雑だ。
わざわざセレナの処までやってくるのだから町に一人しかいない医者の処は毎日行列だな、と疲れを紛らわすように小さく笑った。

こんな青葉が繁る、忙しい時期のことだった。

コンコンとドアを叩く音が意識の沈みかけていたセレナの耳に届く。
アリアが帰ってくるにはまだ早すぎる時間だし、第一ノックする必要がない。
また患者かぁ、とだるそうに体を起こしたセレナは、はぁーいとこれまただるそうな返事をして覗き穴から覗くことなくすぐにドアを開けた。
そして3秒間硬直した後、両手でドアの取手を掴むと勢いよく閉めようとして、失敗した。
ドアの隙間から見える靴を踏みたくなるのをなんとか抑える。

落ち着け私、大丈夫、私なら言葉で十分追っ払えるわ、と心の中で唱えると静かに取手を離した。
次第に見えてくる三着の軍服に軽く顔をしかめる。

「初めまして、こんな出迎えは初めてだな」

手前にいる軍服がしゃべった。
その言い方にセレナの中で遠慮という言葉があっという間に吹き飛ぶ。

「初めまして、私も実際に足を挟んでくるのを初めて見ました」

目線を上げればなかなかの好青年が苦笑しているのが見えた。
どうやら先程のは嫌味ではなく本心のようだ。
一人で突っかかった自分に少し羞恥を感じるが、軍服を着てくる奴が悪いと開き直る。

軍服イコール皇帝の使い。
しかもセレナは知っている、というか誰でも知っている。
高級そうな生地に上品な装飾がこれでもかという程施されたこの黒い軍服が皇帝直属の近衛隊の服だということを。

非常に面倒な者が舞い込んできた、とセレナはあからさまなため息をついた。





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