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短編集・読み切り



「この紹介状を持っていけば、あちらの先

 生にも君の症状を分かってもらえる。

 病院の方には後でこちらから」

「ハッ」


 行儀悪く両手をポケットに突っ込んでい

た芹澤は、その姿勢のまま小馬鹿にしたよ

うな態度で言いかけていた私の言葉を鼻で

笑い飛ばした。


「…で?」

「でって…」


 完全にこちらを見下した視線を向けてく

る芹澤に戸惑う。

 今、たった一言でも間違えたら芹澤が暴

走する。

 それを確信させるだけの狂気がこの場に

満ちていた。

 どの言葉を続ければ芹澤を刺激しないの

か、迷って口ごもっている間に芹澤が動い

た。


「そういえばさ、院長センセってこの病院

 の近所に住んでるんだってね?」


 そう言いながら芹澤はポケットからデジ

カメを取り出した。

 視線の鋭さはほんの少し和らいだが、そ

の目にはもっと危険な光が揺らめいている。


「脅す、つもりか…?」

「脅されると思うのはやましいことがある

 からでしょ?

 たとえそれが診察室でも白衣を着てても、

 一方的に乱暴されただけなら立派な傷害

 罪なんだし?」


 デジカメをクルクル回しながら、その目

が意地悪く歪む。

 そうではなかっただろう、と無言で突き

つけてくる。

 良からぬ物を体内に入れて診察したばか

りか、診察中にいやらしく強請っただろう

と。

 心臓に刃物をあてられているような心地

だ。

 冷や汗が流れて、喉が渇く。

 あの映像を見たら、それこそ合意の上で

なかったなんて言い訳はきっと誰も信じな

い。

 見ようによっては私の方が彼を引きずり

込んだようにもとられかねないかもしれな

い。

 そんなものをこの病院の院長である叔父

に見せようと言うのだ。

 いくら私が院長の甥であっても、叔父は

私を庇わないだろう。

 庇おうとしても庇いきれるものではない。


「芹澤君、転院は何よりも君の為だ。

 このままここに通院し続けても、君の症

 状は」

「コレ、誰に見せればいいかなー。

 院長先生とウチの親とー」


 説得を試みた私の言葉を遮って芹澤が言

葉を被せてくる。

 私の心を容易く締め上げる言葉を。

 芹澤が映像を叔父と自分の両親に見せれ

ば、私の社会的信用は簡単に地に落ちる。

 そして一番恐ろしいのは、おそらく芹澤

は本気でそれを目論んでいて、かつ実行す

る気だということだ。


「どうすれば…いい。

 どうすれば、そのデータを消去してくれ

 る?」


 声が震える。

 これ以上彼を刺激してはいけないという

警鐘が頭をいっぱいにした。

 一時的にでも彼に服従したフリをして彼

の油断を誘い、機を待つしかないと。

 芹澤の口の端が持ち上がり、触れただけ

で切れそうな視線が影を潜めた。

 手の中で回していたカメラをショルダー

バックに入れた彼の表情は、まだ狂気の色

を色濃く残しながらも悪戯が成功した子供

のような笑みを滲ませていた。

 芹澤の中で辛うじてバランスの崩壊だけ

は防げたのだと、少しだけ肩の力を抜いた。

 が、その安堵は続けられた言葉を聞いて

すぐに霧散した。


「俺は大学とかどうでもいいんだけどさー、

 親が煩いんだよね。大学行けって。

 しかもそこそこのレベルのとこに入れっ

 てさ。

 で、センセって医学部出てるんだから頭

 いいでしょ?」


「え…?」


 芹澤が何を言おうとしているのか、すぐ

には理解できなかった。

 医者になっても研修という名の勉強は続

けているし、この道を進む以上は一生勉強

し続けなければならないだろうということ

も覚悟している。

 卒業大学や学部の偏差値という意味では

世間一般的には高いということにはなるだ

ろうが、それが芹澤の進路とどう繋がると

いうのだろうか。


「俺も今更ちゃんと学校行くなんて面倒だ

 し?

 ってか、ぶっちゃけサボりまくってるし。

 受験勉強とか余計にやる気起きないしー。

 だからセンセがチャッチャとヤマかけてく

 れたらそこだけ勉強すれば楽だなって」

「ヤマなんて…」


 ない。

 芹澤の志望校が何処かも知らないが、セ

ンター試験ですら出題範囲が広くて専門家

さえ大まかなヤマをかけるのが精一杯だ。

 それに、それなら過去問題集を何度も繰

り返した方が効率的だ。

 多くの受験生はそうやって勉強している

はずだ。


「世間体が大事な親も心配してるらしいん

 だよねー。

 塾とか予備校なんて学校サボってる俺が

 通うわけないし、下手に家庭教師つけて

 も俺がいつぼーそーするか分からない

 し?」


 わざとふざけた口調で言う芹澤の言わん

としていることがやっと理解できてきた。

 学校も塾も予備校もまともに通うつもり

のない芹澤の受験勉強の手伝いをしろと言

いたいのだろう。

 芹澤の症状と性格を考えると、事情を何

も知らない人間に家庭教師を頼むわけにい

かないというのはよく分かる。

 担当医である私なら薬の処方を中心に対

応することはできる。

 受験対策の為の勉強を教えるならばちゃ

んと塾や専門の家庭教師をつけるほうが効

率的だろうが、少しくらいなら手助けにな

るだろうか。


「それに淫乱なセンセのケツも俺のチンコ

 無しじゃ寂しいだろうし?」

「っ!」


 その意地悪い笑みで全てが吹き飛んだ。

 家庭教師の話は建前だ。

 それを口実にしてこれからも私の体を好

き勝手するつもりだと、その目が告げてい

る。

 しかも今までのような不定期ではない。

 家庭教師をするという名目で定期的に呼

び出すつもりだろう。


「で、でも君も知っているように平日はず

 っとこの病院にいるし、土日だってよく

 研修や学会があって時間が作れないと思

 う」

「土日ずっとじゃないでしょ。

 それに泊りだって構わないし?

 客用寝室余ってるし、なんならセンセの

 部屋でもいいよ?」


 笑う芹澤の目が少しも笑っていない。

 映像を誰の目にも触れさせたくないなら

NOの返事はありえないと。

 今の私に選択肢などあるはずもなかった。





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