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短編集・読み切り



「…先生?

 具合が悪いようでしたら今日の診察はも

 う終了しますか?」

「えっ!?ど、どうして?」


 こっそり吐息を逃がしている途中で突然

かけられた言葉に余計に動揺して顔を上げ

ると、呆れ顔の看護師はため息をついて口

を開いた。


「どうしてって…。

 今日は朝から調子悪かったんじゃないで

 すか?

 それに医者の不養生って言葉もあります

 し。

 若いと思ってる研修医や新米医師の頃の

 方が過労で倒れる先生も多いって聞きま

 すから」


 とても涼し気な目元で何事でもないよう

にさらりと返事を返してくる。

 あまり口数の多い同僚ではなかったが、

見抜かれていたことに驚いた。

 まさか今、勤務中である私の下半身にあ

んなものが入っているなんて夢にも思って

いないだろう。


「だ、大丈夫だ。心配ない。

 今日の診察はあと数人だろうし」


 机の引き出しに忍ばせた紹介状も渡さな

くてはならない。

 でなければ芹澤の次の通院日にまたロー

ターを仕込んでこなければいけなくなる。

 こんな不謹慎な状態でちゃんとした仕事

などできるわけもないし、来院した芹澤を

会わずに帰すことが彼を刺激したらDVD

を何処かに置いて帰る危険もあった。

 今日、どうしても彼に会わなければいけ

ない。

 そして今日を最後の日にしなければなら

ない。

 いい歳の大人が高校生に脅されいいよう

に遊ばれて、あまつさえこんなことまで強

要される関係は清算しなければならない。


「わかりました。

 では無理なさらないで下さい」


 あくまでも事務的な口調だが、口数の少

ない彼女の優しさがほんの少しだけ垣間見

えたような気がした。

 診察室の表のドアへ向かった彼女の背中

にチラリと目をやると罪悪感が胸を刺した。

 なにをやっているんだと、苦い気持ちが

こみ上げる。


「芹澤さーん。芹澤一也さーん」


 が、半開きにされたままのドアの向こう

へ響いた呼び声がこちらにも届くと否応な

く鼓動が跳ねた。

 体の奥でローターの位置がずれて思わず

息を呑んでしまう。

 ローターを入れる時に使った潤滑液がぐ

ちゅっと音を立てたような錯覚さえ起こす。

 ひっそりと吐き出す吐息がいっそう熱を

はらむ。

 一刻も早く彼に会いたいような、今すぐ

ここから逃げ出してしまいたいような、身

の置き所に困る思考が飛び交う。

 しかし実際の私は、頬の熱を自覚しつつ

も椅子に縫い付けられたように動けずにい

た。

 私は医師だ。

 そして芹澤は私が担当する患者だ。

 それは揺るがない事実だったから。


「名前をお願いします」

「芹澤一也」


 挨拶もなく驕慢な態度で丸椅子に座った

芹澤にいつも通りの確認作業を終える頃に

は、彼を呼んだ看護師は廊下に姿を消した。

 ドアを閉めると待合室の人の気配が遠ざ

かる。

 私が受け持っている精神科はその特質上、

個人情報の保護がまず第一に優先される。

 また医療関係者とはいえ他人の目がある

場所では本音を言えない患者も多い。

 そのため診察中は広めの診察室に医師と

患者の二人きりだ。

 芹澤の気配だけで平静を装う体の奥では

どんどん体温が上がっていっているような

気がして、芹澤の顔を見ることはおろかそ

れ以上何か言葉を発することも出来ない。

 芹澤も自分の喋りたい時にしか喋らない

性格なので、必然的に部屋に静まり返る。

 しかし、それは眠っていた獣が起き出す

ような、妙な熱をはらんでいた。


「約束のもの、入れてきた?」

「っ!」


 何の前置きもなく直球できた。

 芹澤が遠回しな言い方をするとは思って

いなかったが、まさか第一声がそれだとは

思わなかった。

 両肩がビクッと跳ねてしまい、芹澤の口

の端が上がる気配がする。

 彼は自分の思う通りにしていれば機嫌が

良い。

 彼の言いなりになって、彼の熱を欲しが

る変態でいる間は、だ。


「じゃあ、見せて」

「それはっ…!」


 ありえない、と一瞬で耳まで駆け上がる

熱を自覚しながら震える声を絞り出すと彼

はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。


「見せられないなら俺は信じないけど?」


 そしておもむろに肩にかけていた肩掛け

ショルダーに手をかけて膝の上に下すと、

ファスナーを開けて中に手を突っ込む。

 あの日、DVDの入っていたのと同じシ

ョルダーバック。

 ニヤニヤ笑う彼がショルダーバックの中

で何を掴んでいるのか、一瞬で理解した。


「そんな…!あれは私がっ」

「あれって?DVDはコピーだけど。

 デジカメの元データはSDに決まってる

 じゃん?

 まさか気づいてなかった?」

「っ!」


 紅潮して息を呑む私の前で、芹澤は本当

に面白いものを見たように肩を震わせて笑

った。


「本気で気づいてなかったの?嘘でしょ?

 俺に辱められたくて気づかないフリ、し

 てたんだよね?

 先生は変態だから、玩具突っ込んだまま

 俺を待ってたんだよね?」

「断じて違うッ!」


 思わず声を荒げてしまうが、芹澤は意地

の悪い目を細めただけだった。


「違わないと思うけど?

 もし本当にあれが元データだと思ってた

 なら、どうして今あんな物をケツに突っ

 込んでるの?

 自分がレイプされた時の録画データを観

 たいくて他人のカバンを漁っちゃう変態

 プレイ大好きな先生が、自分で玩具仕込

 んできたんでしょ?違うの?」

「そ、それはっ…!」


 指摘された矛盾点に言い返せない。

 否定すれば、DVDを盗みだそうとした

言い訳まで否定することになってしまう。

 しかもやはり芹澤は気づいている。

 この関係を清算したがっている私の本心

に。

 このままでは芹澤の中で私は変態だけで

なく盗人のレッテルまで貼られてしまうの

だ。

 ぐっと膝の上で拳を作った。

 彼の前では従順な変態でいなければいけ

ないのだ。

 そうでなければ、彼がいつ暴走して私の

社会的地位が失墜するかわからない。





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