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短編集・読み切り



「帰れって言われても、覚えてないし」


 は……?


「ぶっちゃけ、なんでここに居るのかも解

 ってないし」


 いや、ぶっちゃけなくていい。

 君の身の上なんて興味がない。

 僕は自分の生活を守るのが精一杯で、記

憶喪失(?)な人外さんの面倒を見るような

余裕は…


「ホントえぃちゃんに会えてよかった。

 誰も俺のこと見えてないし、俺の声聞こ

 えてなくてさー。

 俺は俺で、自分のこと全っ然覚えてない

 し。

 手がかりゼロ、協力してくれる奴もゼロ

 でどうしようかと思ってたんだよねー」


 “聞きたくない”と思うのに、ヘラッと

笑う彼の口から身の上話がスラスラと零れ

落ちてくる。

 危機感とか緊張感とか悲壮感とか、そう

いうものは一切ないのだけど。

 “空っぽ”であるが故の切なさはその笑

みからヒシヒシと伝わってくるようで、空

腹とは違う何かが胸を詰まらせた。


「……」


 これでもなお“帰れ”と繰り返したら、

僕はそんな自分を許せるだろうか。

 勿論このまま彼に居座られるのは困るし、

彼の記憶が戻るまで面倒をみるつもりなん

てサラサラないのだけれども。

 それでも、たとえこれがただの夢だった

としても、彼をこのまま追い出して僕は気

持ちよく目覚められるだろうか?


「はぁ……」


 僕は善人じゃない。

 他人の面倒を喜んで見るような世話好き

でもお人好しでもない。

 だけど、どうせ夢なら自己満足の為にこ

の人でない何者かに少しくらい優しくした

っていいような気がしてきた。


「天ぷら、サクサクじゃないけど…」


 ススッ…とカップ麺の容器をテーブルを

挟んで向かいに座っている彼の前に押し出

す。

 テーブルに顎を乗せていた彼はきょとん

とした顔で体を起こしてこちらを見つめる。


「えっと、今夜…だけだから。

 一晩だけだったら、その、泊めてあげな

 いこともないっていうか…。

 これ食べて、さっさと寝て、明日の朝に

 ちゃんと帰ってくれればいいから」


 カップ麺ならまた買えばいい。

 家探しするとかならちょっと困るけど、

なんだかさっきからちっとも怖いと思わな

いし。

 というか、そもそも夢だし。

 夢だったら、もうそろそろ適当なところ

で目が覚めるだろう。


「でもえぃちゃんのご飯なんじゃないの?」

「僕は…ほら、また買えばいいから。

 それに買い食いしてきたから、そんなに

 お腹すいてないんだよね」


 嘘だけど。

 でも、どうせ夢だし。

 って、そもそも帰れって言っても帰らず

に居座ろうとしてる奴が、カップ麺一つで

そんな申し訳なさそうな顔をしないでほし

い。


「えぃちゃんって、いい奴だな」


 いい歳した男のくせに、彼はじわっと涙

を溢れさせて鼻をすすり始める。

 いや、そんな感激されるとむしろ後ろめ

たくなる。

 別に彼の為に言ったわけじゃない。

 僕は僕の為に、自己満足の為にやってる

だけだ。

 夢の中でくらい誰かの役に立って、誰か

に必要とされる善人でいたいだけだ。

 ただ、それだけ。

 彼の都合なんてこれっぽっちも優先して

いないし、彼の哀れな身の上話にも微塵も

興味はない。

 彼はひとしきり泣いてスッキリしたのか、

すっかり待ち時間を過ぎてしまったカップ

麺を前にして両手を合わせる。


「イタダキマス」

「はい、どうぞ」


 カップ麺くらいで大袈裟だな。

 そう思って見ていたら、彼の指先はカッ

プ麺の蓋に触れようとしてすり抜けた。

 どうやら、彼は生身である僕の体だけで

なくカップ麺の蓋にすら触れられないらし

い。

 つまり物理的に影響を与えることはでき

ないらしい。

 …こんなんで箸を持てるのか?

 いや、そもそも蕎麦をすすったり天ぷら

を噛んだり出来るのだろうか。

 カップ麺の蓋を目の前にして悪戦苦闘し

ている彼の手を制して、蓋をゆっくりと開

いてやる。

 こんなに長身で肩幅があって外見的には

筋力的な問題なんてなさそうに見えるのに、

カップ麺の蓋一枚剥せない姿はちょっと滑

稽だった。

 カップ麺の蓋が開くと、覗き込むように

していた彼の顔面に湯気がもわっとかかる。

 彼は顔を綻ばせて、カップ麺の容器に鼻

先を近づけると何度も繰り返し湯気を吸い

上げている。

 その顔があまりにも嬉しそうで、そして

一生懸命で、顔が緩む。

 カップ麺一つでこんなに喜ぶなんて安上

がりな奴だな、と心の中で笑う。

 なんだかよくわからない所はあるけど、

悪い奴ではなさそうだ。

 まぁたまにはこんな訳のわからない夢も

いいかな、程度だけど。





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あきゅろす。
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