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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


「うーん…覚悟、じゃないかな」


 頭の中から零れ落ちた答えはマーブル模

様のコーヒーの水面に落ちて吸い込まれて

消える。

 俺の落とした言葉を内包したコーヒーは

直ぐに混ざり合って柔らかなブラウン色に

変わる。


「どっちの選択をしても後悔したのは、自

 分が選んだ人と幸せになる覚悟がなかった

 んじゃないかなって。

 お互いに歩み寄って助け合って生きていく

 覚悟ができていたら、それ以外の選択肢っ

 てもう頭の中には残らないものだと思うか

 らさ」


 もちろん、長い人生を生きる中で後悔し

ない人なんていないだろう。

 心が弱っている時に“あの時もし別のこ

とを選択していたら”と考えることは誰に

でもあることだ。

 でも“たられば”なんて、結局は頭の中

でしか実現しない。

 頭の中で夢想する可能性を選ばなかった

現実がいつでも目の前にあって、誰もがそ

れをどうにかしながら生きていく。

 その為に必要なのが覚悟なんじゃないか、

と麗に問われてふと思ったのだ。

 結婚相手が同棲中の彼女であろうと、社

長令嬢であろうと関係ない。

 もし主人公に選んだ相手と共に幸せにな

ろうという覚悟をもっていたら、どちらと

も上手くいったかもしれない。
 
 神様が言った“家族の為の努力”も勿論

その中に含まれると思う。

 夫婦も家族も互いを支え合わなければ形

を保っていけないものだからだ。

 相手と幸せになろうと覚悟したのなら、

まずはその為に努力するだろう。 

 社長令嬢と結婚しても自分のプライドを

保つ為に嘘を重ねる必要はなかっただろう

し、背伸びなどせず縁故採用ではなく普通

に就活を続けることも出来たはずだ。

 同棲中だった恋人と結婚しても、もとよ

り相手を気遣うことが念頭にあったのなら

妊娠前から家事の分担をしてもおかしくな

かったはずだ。

 仮にそうでなくても自分の子を必死に生

んでくれた妻に暴言を吐こうなどとは思わ

なかっただろう。

 主人公の間違いは結婚相手を間違えたこ

となんかじゃない。

 伴侶となる相手と一緒に幸せになるには

どうするべきかを考えることを怠っていた

からだ。

 俺にはそう思えた。


「ふうん」


 麗は俺の答えを聞いてブラックのままの

コーヒーを一口啜った。

 俺もつられるようにして甘くしたコーヒ

ーに息を吹きかけて一口分を喉の奥に流し

込んだ。

 ほろ苦さを含んだ甘さが熱と共に喉を通

り抜けていく。

 兄貴にはお子様嗜好だと笑われることも

あるけど、やはり甘い方がコーヒーは美味

しい。


「兄さんはさ、考えたことない?

 もし別の誰かを選んでたら、今とは違っ

 た未来があったかもしれないって」


 穏やかな音楽が流れる店内で暖かな日差

しに照らされながら、麗はゆったりとした

口調で尋ねてきた。

 そんな麗の声は珍しく微かな震えのよう

なものが垣間見えて、俺はおや?と顔を上

げた。

 穏やかないつも通りの口調を装っている

けれど、実は緊張している…そんな気配を

何とはなしに察したのだ。

 麗はその長いまつげを伏せて焦げ茶色の

水面をじっと見下ろしている。

 その表情からは感情が読み取り辛かった

けれど、普段の麗をよく知っている俺は兄

貴の言葉を思い出した。

 麗は俺に嫌われることを何よりも恐れて

いるという、数日前に兄貴が俺に言った言

葉を。

 今目の前の麗を見てなるほど、と少しだ

け思った。

 たった一言、なんでもないように問いか

けられたその言葉の真意を考えて、俺はゆ

っくりとそれを脳裏で噛み砕く。

 麗の問いの真意がどこにあるのか、それ

を考えてみればこの問いの危うさが理解で

きる。

 いや、逆にそうであるから麗は緊張して

いるのではないか…とも考えられる。

 別の相手…それはつまり俺が兄貴ではな

く麗やクロード、或いはまったく別の誰か

という意味だろう。

 現状を照らし合わせ突き詰めて考えれば、

この問いの真意は“もし俺が兄貴ではなく

麗と共に生きる未来を選んでいたら”とい

う問いかけなのだろう。

 だからこそ麗は緊張している。

 それは俺の気持ちを推し量る為の問いだ

から、というだけではない。

 問いかければ必ず何らかの答えを受け取

ることになるだろう。

 その答えが麗にとって優しいものである

可能性は限りなく低いと麗自身がきっと理

解している。

 その上、こんな話が兄貴の耳に入ったら

もう二度と二人きりでなんて会わせられな

いと態度を強固にする可能性だって十分に

高い。

 それでもこの問いを投げかけなければな

らなかった麗の気持ちに思いを馳せてみる。

 もしかしたら麗は、毎日部屋の中で閉塞

感を感じている俺をただ心配しているのか

もしれない。

 そして、その上で別の未来もまだ選べる

んじゃないのと一石を投じたのかもしれな

い。





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あきゅろす。
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