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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


「(日本人のお客様ですか。

 だいぶ緊張されていたご様子でしたが)」

「(初めてのロンドンだ、仕方ない。

 支払いはカードで。

 彼が欲しいと言ったものは全て清算して

 いい)」

「(左様でございましたか。

 失礼致しました。

 カードお預かり致します)」


 カードを一瞥した店員はブランドに見合

う丁寧な対応でカードを受け取って頭を下

げると店の奥へ一度引っ込む。

 カード社会のロンドンだからこそ手渡し

たカードにどれだけの価値があるのか、こ

の店の店員はよくわかっているようだ。


「や…やっぱりちょっと明るすぎるような

 気がする、この色」


 試着室から姿を見せた駆はどこかしっく

りこない顔で首を傾げている。


「そうか?似合うと思うけどなぁ」


 笑顔を浮かべる駆はこんなイメージだと

思ったのだが、駆自身が違うと思うならし

ょうがない。

 そもそも駆らしくいてくれるなら安く売

っている古着でも主張の激しいブランド服

だろうが何でも構わないのだが。


「(もしよろしければこちらの服などいかが

 ですか?)」

「え?あ、あの…」


 2着の服を左右それぞれの手に持った店

員が駆に話しかける。

 しかしネイティブな英語で話しかけられ

て意味が分からなかったのか、駆は不安げ

な表情で店員と俺を交互に見た。


「駆に似合いそうなオススメの服やて。

 着てみるか?」

「で、でももうこんなに持ち込んでるし」


 駆が言いにくそうにモゴモゴ言い訳する。

 やはりこの店の空気は駆には馴染めない

のかもしれない。

 扱う服や靴などの品質は折り紙付きなの

に、つけられた値段で憶するのはもったい

ないと思うのだが。


「駆、ちゃんと服選ばんと着替えなくなっ

 てまうで?」

「っ…!」


 勿論、二人きりなら一糸まとわぬ姿でも

問題はないが。

 ニッコリと笑いかけると、それで察した

のか駆は真っ赤になって試着室のカーテン

を乱暴に閉めた。


「(あの…何か気に障る対応でしたでしょ

 うか?)」

「(彼はシャイなんだ。悪気はない)」


 戸惑う店員に問題ないとジェスチャーを

するとそれで無理やり納得した顔で傍を離

れた。

 さて駆はどんな服を選ぶだろうか。

 ここの服が気に入らなければあと2件ほ

どチョイスした店はあるのだが、ここで怖

気づかれると後々に響くから今は告げずに

いる。

 カーテンの向こうで駆がどんな顔で着替

えているだろうと考えるだけで楽しくて自

然と口元に笑みが浮かぶ。

 こんなに楽しいデートは久しぶりだ。

 仕事でもプライベートでも無駄は嫌いだ

が、駆といると全てが無駄で無くなる気が

するから不思議だ。

 出来るだけ早く事を運んで父上からバケ

ーションの許可をとらなければと心に決め

る。

 駆は夏の終わりと同時に日本へ帰さない

といけない。

 本音を言えば、このままここに永住して

くれないだろうかとも思う。

 毎日帰ってきたら駆が笑顔で出迎えてく

れて、駆を抱いてキスで終わりキスで始ま

る日々はどれだけ幸福だろう。

 それを今すぐ手に入れられるとしたら、

それこそ労力など惜しまない。

 けれど引っ越しや大学の退学の手間や決

断を差し引いても、永住となればまだ駆に

はすんなりとは呑めない話になるだろう。

 駆が自分自身の意思を曲げてまで頷くと

は思えないし、何より贈った指輪とこの名

に誓った。

 それを違えれば駆の信用は失われて二度

と戻らないだろう。

 今は駆の指に指輪がはめられたことで満

足しなければ、とついつい欲深くなってし

まう自分を戒める。

 “クロードはいつも俺を振り回す”と頬

を膨らませる駆も可愛いが、本当に駆を困

らせるのは本意ではない。




 駆を待ちながら、ふと昨日の夜の事を思

い出した。

 昨夜、一昨日に約束していたとおり少し

だけ子供の頃の話を聞かせた。

 一日の殆どをベッドの中で過ごしたらし

い駆は終始目を輝かせて聞いていて、あま

り遅くなっても翌日の仕事に差し支えるか

らと説得して寝かしつけたほどだ。

 駆の寝息が深くなるのを確認してからそ

っとベッドを抜け出して屋敷の地下へ向か

った。

 本邸の地下には抜け出すことはおろか侵

入することも難しい地下牢がある。

 スコットランドヤードに介入させられな

い淫魔絡みの罪人を一時的に拘束する為に

未だに現役で機能している。

 ニール兄上は自殺の心配はないと踏んで

ある程度家具の整えられた独房へ連れて行

かせた。

 贅沢を言わなければトイレやシャワーな

どは独房内で自由にできるが、デジタルば

かりでなくアナログのロック解除も得意な

兄上でさえ脱走は困難な場所だ。

 会いに行ったのは深夜だったが、もとも

と夜型の生活をしていたらしい兄上はやつ

れた顔で起きていた。

 『Ripper』…ハッカーの世界でそんな通

称で呼ばれている者はただ一人。

 どんな難しいセキュリティプログラムで

も最速で突破しまうと有名で、家族にも言

えない個人の秘密データから国家機密レベ

ルの極秘データまで、ネットワークの繋が

った場所から『Ripper』の盗み出せないデ

ータはなかった。

 そのデータを売る相手を選ばなかったの

は決して足がつかないという絶対の自信が

あったからなのか。

 それとも長く画面と顔を向き合わせてい

る間に己が万能だと錯覚が生まれてしまっ

たのか。

 それは分からない。


「(答えは出ましたか、兄上)」

「(クロードか…)」


 一日でこんなにもやつれるものなのか。

 見張りの者から食事に手をつけていない

と報告はあったが、このぶんだと恐らくろ

くに眠っていないのだろう。

 椅子に座りテーブルにつくその姿はおよ

そ動き回るのに必要な気力さえないように

見えた。

 もともと部屋に籠りきりの兄上は体力が

落ちているだろうと思っていたが、死ぬの

を恐れていたのに食事をとっていない事は

予想外だった。


「(決まったかい、俺の処遇は)」

「(決める?選ぶのは兄上だ)」

「(選ぶ?随分とお優しいんだね、お前は。

 お前がご執心なフェロメニアに手を出し

 た俺が憎いだろう)」


 投げやりにどうでもいいように吐き出さ

れる言葉。

 けれどそれを吐き捨てるその目の奥には

恐怖が居座っている。

 様々な可能性を弾き出して、けれどどれ

もおぞましい想像にしかならず疲れきった

のかもしれない。

 そんな顔を見下ろしてだったから、一瞬

握りしめた拳を振り上げるのを堪えた。

 殴っても無駄だ。

 どれだけ殴っても、たとえ殴り殺してし

まったとも、きっと俺は満足できないだろ

う。





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あきゅろす。
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