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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


「…帰る」


 これ以上ここに居たって喧嘩が悪化して

傷つくだけだ。

 兄貴と口喧嘩して勝ったことなんて一度

もないんだから。

 今日はもう帰ろう。

 帰って思いっきり泣いたらきっと少しは

マシになる。


「待ちなさい。

 まだ話は終わって」

「兄貴には解らないだろっ!!

 “あの桐生秀の弟”って言われ続けてき

 た俺の気持ちなんて!」


 掴まれた手を強引に振り払う。

 喉から飛び出した声は悲痛に響いて、う

っかり滲んだ涙の水分を隠せたことがせめ

てもの救いだった。


「兄貴にとってはどうでもよくても、俺に

 はそうじゃないから…。

 頭冷やしたいし、帰る」


 理解してくれなんて贅沢は言わない。

 だけど必要以上にその傷を抉るような真

似はしないでほしい。

 変なつっかかり方をした俺だって悪いけ

ど、これ以上兄貴の言葉を聞いているのは

辛い。

 飲みかけのカフェオレも広げていた勉強

道具もその場に残してフラリと立ち上がっ

て玄関に向かう。

 頭のどこか変に冷静な部分が、ポケット

に入ったままの財布と携帯があれば家に帰

りつけると他人事のように考えていた。

 今はもう兄貴の傍に居るのが辛い。

 その言葉を聞くのが辛くて、何も話さず

に短い廊下を歩く。


「まだ話は終わっていないでしょう」

「俺はもう終わったんだよっ」


 でも結局そこまで辿りつけずに兄貴の腕

に捕まった。

 あんなに触れたいと、抱き締めて欲しい

と思っていた腕に包まれてもちっとも嬉し

くない。

 しかし離せとひとしきり暴れたのに兄貴

の腕は解かれることなく、やがて疲れて俺

が諦めるまでただ黙って腕の中から逃げ出

そうとする俺を封じ続けた。

 抵抗したことで乱れた息を整える俺を兄

貴は今度こそしっかりとその腕の中に抱き

込む。

 その腕を嬉しいとか幸せだとか思えない

ことが余計に辛い。

 俺を引き止めて兄貴はどうするつもりな

のか。

 つっかかった俺が悪いと断罪するつもり

なのか、それともやはりどうでもいいこと

を気にし過ぎだと傷口に塩を塗り込むつも

りなのか。

 今は兄貴の腕の中から逃げられないと諦

めてもその不安が胸をざわめかせた。


「駆は本当によそ見ばかりですね。

 でもきっと今の駆に“外野なんてどうで

 もいいでしょう”と言ってもきっと無駄

 なんでしょう。

 駆が気にさえしなければ、通行人や一度

 会話をした位の相手なんて本当にどうで

 もいいんですけど」


 俺がもうその腕から逃げ出すことを諦め

たと悟った兄貴の腕がようやく少しだけ緩

む。

 それを肌で感じながらもう投げやりな気

分で兄貴の言葉を待った。


「駆は僕がどうすれば満足なんですか?

 通行人に見られないように出かけなけれ

 ばいいんですか?

 それとも家庭教師のバイトを辞めれば安

 心できるんですか?」

「そんなこと、言ってない…」


 兄貴が割のいいバイトだと言っている家

庭教師のバイトをやめたらきっとバイトの

掛け持ちになる。

 ただでさえ大学のレポートや資格の勉強

で忙しい兄貴がそんなことをしたら俺と会

ってる暇なんてほとんどなくなるだろう。

 誰にも見られないように外出さえしない

なんて、そんなのどう考えてもリアリティ

のない提案だ。

 それを守ろうと思ったら大学にも通えな

いし、バイトにも行けないし、買い出しす

らできない。

 兄貴だって本当にそのつもりがあって言

ってるんじゃないだろう。

 そうは思っても、兄貴の態度が歩み寄る

ものに変わって俺の肩からもほんの少しだ

け力が抜けた。





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あきゅろす。
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