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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


「……」


 兄貴は何も答えなかった。

 今まで通りの…隙のない笑みを浮かべた

ままスッと目を細める。

 ルビーのような赤い輝きが一瞬、その目

に宿った。

 え?と驚いて瞬きしている間にそれは幻

のように消えてしまったけれど、兄貴が一

言も返事を返していないのに女生徒の方が

慌てだす。


「あっ、ご…ごめんなさい。私ったら。

 急にこんなお誘いしても、桐生先生がお

 困りになるだけですよね。

 今のお話は忘れてください」


 両手を赤くなった頬にあてた女生徒は1

人で慌ててペコペコ謝っている。

 きっと俺が兄貴の顔を見ておらず傍から

聞いているだけなら、それほど不自然な話

の流れではなかっただろう。

 でも、と考える俺の横で兄貴は相変わら

ずの笑みを浮かべたまま首を横に振った。


「お世話になっているのは僕の方ですから。

 お母さんにもよろしく伝えて下さい」


 それはもう完全に優等生として満点の笑

みで女生徒との会話を打ち切った。


「帰りますよ、駆」

「あ、うん…」


 一応ペコリとお辞儀だけして先に歩き出

した兄貴の隣を歩く。

 それ以上その女生徒の声がかかることは

なかったけど、俺の心の中の分厚い雲はち

っとも晴れなかった。




「聞いているんですか、駆?」

「うん…」

「だったらどうして答えないんですか」

「うん…」


 兄貴の部屋で教科書を開いても兄貴の声

が右から左に素通りして全然内容が頭に入

ってこない。

 色んなことが頭の中でグルグルして、生

返事だけを繰り返しながら頭はパンクしそ

うだ。


「答えないということは…いいんですね?」

「うん…。うん?」


 何が“いい”のか。

 ノロノロと追いついてきた思考が聞き逃

したらマズイ空気を察して尋ね返す。

 それはもう条件反射というべきか、自己

防衛本能といった類のものかもしれない。


「“うん”と言いましたね。

 聞いていなかったなんて今更言っても遅

 いですよ?

 聞いているのかという僕の問いに聞いて

 いると答えたんですから」

「だから何のことかって聞いただけだろ?

 了承なんてしてないし」


 なんだか兄貴が自分のいいように話をも

っていこうとしている空気を察してムスッ

と睨む。

 生返事をした俺がもちろん悪いんだけど

それを知りながら利用しようとする兄貴が

どんな意地の悪いことを俺に押し付けよう

としているのか考えたら兄貴の方が悪質だ

ろう。


「聞いてもいないのに返事をしていた駆が

 悪いんですよ。

 さぁ、コーヒー淹れてきてください。

 どうせそんな頭では何を言っても頭に入

 らないでしょう」


 “僕がどんな要求をすると思ったんです

か?”とその意地悪い目が俺を見て笑う。

 やましいことが一瞬頭を過っただろうと

見透かしたように。

 こういう時の兄貴は本当に抓ってやりた

い衝動にかられる。…やらないけど。


「コーヒーくらい、普通に言えばいいだ

 ろっ」


 悔しくて腹立たしくて思わず語気を荒く

してしまったけれど、それでも兄貴は涼し

い顔で本のページを捲るだけだ。

 俺の勉強を見ながら自分は分厚い資格の

本を読みながら勉強しているのだから、本

当に器用だとは思うけど。





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あきゅろす。
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