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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*


「私はこの子を見捨てたりしない。

 手放したくなんてない。

 出来れば、ちゃんと私が引き取って育て

 たい」


 まだ少し不安げに見上げてくる子猫に微

笑みかけながら秋月がその体を撫でると、

やがて子猫は小さな口であくびをしてクッ

ションを敷いた小さな籠の中で丸くなって

目を閉じる。

 それを見つめる秋月の横顔は優しくもあ

り、同時にすごく寂しそうだった。

 うまく言えないけど、子猫可愛さだけで

構っているのとは少しだけ違うような気が

した。


 翌日の昼、秋月に呼ばれて屋上に来てい

た。

 いつもなら部室でお弁当を食べて、簡単

なストレッチをして軽く走ったりもする。

 けれど秋月が話しかけてくるなんて子猫

の件しかないと思ったし、階段を上がる秋

月に黙ってついていった。


「白浜さんの家ってご両親仲いい?」

「えっ?あ、多分…?」


 唐突に関係のない話題に飛んで驚きなが

ら答えると、秋月はふっと緩く息を吐いた。


「そう…だよね。

 ウチね、再婚なの。

 私はお父さんの連れ子」


 とっさにどんな言葉も出てこなかった。

 驚きがまず先にきて、気まずさと困惑が

押し寄せる。

 秋月は頭のいい優等生で、読書してる姿

を見かけたことがあるくらいだった。

 そもそも口数が少なく親しい友達ともあ

まり騒がないタイプで、家庭事情が複雑だ

なんて話も聞いたことはなかった。


「ごめんね、突然こんな話。

 今のお母さんにも連れ子がいて、血は繋

 がってないんだけど弟もいる。

 両親は共働きで私と弟の面倒も見てくれ

 てる。

 私はまだ学生で、高校は無理だけど大学

 に入ったら奨学金をもらいながらバイト

 して、就職して働き始めたら少しずつ両

 親にお金を返そうと思ってる」


 オレを含めてまだ大学の話さえ未来の話

だと思っている生徒が多いだろう。

 けれど秋月は違った。

 ちゃんと地に足を付けて未来を見据えて

いる。

 そういう横顔に見えた。


「昨日帰ってから、あの子のこと話してみ

 たの。

 そうしたら…お母さんね、猫アレルギー

 なんだって。

 涙とくしゃみが止まらなくなるから一緒

 には住めないって」


 遠い空を見上げていた秋月の顔が歪んだ。

 泣くんじゃないかと思った。

 でも秋月は泣かなかった。

 秋月の視線の先には抗うことのできない

壁があるように見えた。


「だから、私の我儘でこの子を飼いたいな

 んて言えない。

 これ以上親に負担をかけたくない」


 金銭面、住宅的な条件、そして家族の体

質的な問題。

 全ての要因が重なって秋月があの子猫を

引き取るという未来は重く閉ざされている。


「でもこの子を公園に戻せば、車やカラス

 の危険もある。

 ご飯の心配もしなきゃいけないし、まだ

 夜は冷えるだろうし。

 健康だったとしても生き抜くには厳しい

 環境でしかないのに、あの子は持病まで

 もってる。
 
 あの子を手放すなんて考えられない。

 私、どうしたらいいんだろう…」


 小さな弱音が秋月の唇から漏れた。

 願望だけではどうにもならない現実。

 覆すことのできない事実の積み重ねに抗

う力もない悔しさ。

 目の前にいるのはオレの大嫌いな、無責

任な偽善者じゃなかった。

 ちゃんと子猫のことも自分のことも考え

て、最善を尽くしてもどうにもならない現

実を抱えた心優しい人間だった。

 だから、次はオレが動かないと。

 批判するだけなら誰にでも出来る。

 何の責任も負わずただただ誰かの非を高

みから責めて追いつめて、そうして結局自

分は何もしないような人間もいる。

 そういう人間にはなりたくない。


「オレん家で飼えないか、聞いてみる」

「え…?」


 驚いた顔で秋月がこっちを見た。

 まるで最初から手助けなど期待していな

かったような目。


「ほっとけねーし。

 このまま公園にあのチビ一匹で戻すなん

 てそもそも考えられねー。

 言いっ放しなのも嫌だし?」


 じっとこちらを直視したままの秋月の視

線に耐えられなくなって横を向いて頬を掻

く。


「べ、別に秋月の為じゃねーから。

 あのチビの為だし。

 あー、まーたまにならチビの顔見に来て

 もいいけどさ」


 公園で独りぼっちだったあの子猫を見つ

けてから昨日の朝まで面倒を見ていたのは

秋月だから。

 そこで命を繋げていなければ、もしかし

たらあのチビは今生きていられなかったか

もしれない。

 そういう意味ではチビにとっては紛れも

なく秋月は恩人だろう。


「白浜さんって実はいい人…?」

「知るかっ!」


 “実は”ってなんだ、“実は”って!

 心外だと腕組みして睨むが秋月はさっき

の表情など嘘のような明るい顔で笑ってい

る。

 緊張の糸が解れたのもあるかもしれない

が、そんな風に笑った顔を教室で見たこと

はなかった。

 そんなに親しくなかったと言われればそ

れまでなのだが、いい意味で秋月の今まで

のイメージを崩す花が咲くような笑顔だっ

た。





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あきゅろす。
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