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悪魔も喘ぐ夜
*


「そんなこと言ったら、俺はもう二度と外

 に出られないじゃないかっ」


 納得なんて出来なくて握りしめた拳でベ

ットの端を叩く。

 そんな俺の手首を掴んで引き寄せた兄貴

は、冷たい声で俺の耳元に囁いた。


「では行きずりの淫魔に攫われて、そのま

 ま死ぬまで精気を吸われ続ける事になっ

 てもいいんですか。

 ただの“食糧”に成り下がることがどう

 いうことか、まだ能天気な駆の体は理解

 してないんですか?

 声が枯れるほど泣き叫んだとして、その

 時に助け出してくれる誰かがいる可能性が

 どれだけあると?」


 囁く兄貴の声が暗い冷気を帯びたような錯

覚を起こす。

 それはあの夜のようで、それを思い出した

体が震え、硬直する。


「フェロメニアを攫う誘拐犯は、僕のように

 優しくなんてありませんよ?

 それとも、どんな窮地に陥っても助かるほ

 ど自分が強運の持ち主だとでも思っている

 んですか?

 もしどうしても外に出たいと聞き分けない

 ようなら、今度こそ僕が全部吸い尽くして

 あげます。

 駆の命ごと、全て」


 囁き声と氷より冷たい視線で俺を縫い止め

る兄貴に心が震え上がる。


「もういいっ!」


 強張る腕を乱暴に揺すって手首を掴んでい

る兄貴の手を振りほどく。

 そしてそのまま、逃げるように部屋から飛

び出した。

 食器を下げ忘れたと気づいたのはドアを閉

めてからで、けれど部屋に戻るのも嫌だった

からそのまま階段を下りる。

 階段を下りきると目の前に葉をモチーフに

細工のされた玄関ドアが視界に入る。

 あのドアを二度とくぐったらいけないなん

て、いくら俺の身を心配してくれているのだ

としても極端すぎる。

 けれど兄貴は本気なのだ。

 今までの兄貴ならあんな事…学校へ行かな

くてもいいなんて、たとえ夢であったとして

も絶対に言わなかったはずなのに。

 全てはあの日から狂い始めてしまったとい

うことなのだろうか。

 どうにか出来るはずだと何の確証もなく俺

が信じている間に、もうどうしようもないほ

と歯車は狂ってしまったということなのか。


「…兄貴が何言ったって、学校には行くし」


 あの夜を思い出して強張った体の緊張を

解す為に、そして自分の心を奮い立たせる

ためにわざわざ声に出す。

 小さいながら自分の呟きを聞くと、それ

だけでちょっと元気が出てくる。

 そうやって自分を奮い立たせた。

 もしクロードが本気で俺を捕まえようと

思ったら、この家に閉じこもっていたって

きっと無駄だ。

 クロードは家の場所をもう知っているし、

きっと引っ越しや転校が出来たとしても必

ず調べ上げて追いかけてくるだろう。

 だったらどこにいても同じだ。

 俺がクロードを説得できなければ、俺が

家の中にいようと外にいようと大した差は

ないだろう。

 だったら俺はちゃんと学校へ行きたい。

 ちゃんと授業受けて友達と遊んで部活動

もして…そんな何でもない日常に戻りたい。

 まだ出会ってもいない他の淫魔の陰に怯

えて家に閉じこもるなんて、絶対に嫌だ。

 でも俺が元の生活に戻る為には兄貴を説

き伏せなきゃいけない。

 それは学期末試験よりもずっと難題かも

しれなかった。

 それでも諦めるつもりはないけれど。


「おにい…ちゃん…?」


 そんな俺の耳にリビングの方からか細い

声がとどく。

 ソファに寝かせていた麗が目覚めたのだ

と察した矢先に床に倒れ込むような音が響

いて慌てて駆つける。


「麗っ、大丈夫か!?」


 リビングの床に膝をついていた麗に走り

寄って肩を掴むと、麗は顔を上げた。

 まるで迷子のように今にも泣き出しそう

に歪んでいた表情が俺の顔を見るなり緊張

の糸が切れたようにふっと表情が緩む。


「お兄ちゃんっ、お兄ちゃん…!」


 俺が驚くような強い力で麗が抱き着いて

くる。

 その様子が尋常でなくて、俺は驚きなが

ら麗の震える肩をぎゅっと抱き締めた。


「大丈夫だから。

 俺はちゃんとここにいるから」


 麗は信じられない位の力で俺にしがみつ

き、こらえきれない嗚咽で肩を震わせてい

る。

 そんな麗をしっかりと抱き締めて、何度

も大丈夫だと繰り返し背中を撫でる。

 堪えるような肩の震えはやがて泣き声に

変わり、麗はきつく俺にしがみつきながら

幼子のように泣きじゃくった。

 全ての恐怖を溶かして溢れたような泣き

声は洪水のように溢れ出し、まるで幼い頃

に時計を巻き戻してしまったようだった。


「言っただろ、俺は何処にも行かないって。

 ちゃんとここに居るから。

 な?」


 麗は泣くばかりで応える言葉はなかった。

 言葉さえ失うほどの恐怖だったのだと、

その腕の強さと涙が全てを語っていた。

 だから俺は麗が泣き疲れて再び夢の中に

落ちるまでずっとそのまま抱き締めて背中

を撫で続けた。




 泣き疲れて眠ってしまった麗を麗の部屋

のベッドに運んで寝かしつけた後は、いつ

もは当番制で回している洗濯や掃除をした。

 程よい運動になったのか気分はスッキリ

したけど、昼食を用意する時間になって気

分は再び重くなる。

 どんな顔をして食事を運べばいいのか、

その疑問がぐるぐると頭の中を回り続ける。

 サラダ用のキュウリを水洗いしながら悶

々としていた俺の横で流し台に食べ終わっ

た皿を置く手がスッと伸びてきた。


「わっ…?」

「何をそんなに驚いているんですか」


 いつも通りの冷静な声が斜め上から降っ

てきて、俺は返答に困って口ごもってしま

う。

 何でベットで寝てるはずの兄貴がキッチ

ンに…と思いかけて、もうすぐ昼時なのと

結局俺が回収し損ねた食器を運んできてく

れたのだろうという考えが浮かんだ。

 でも、まだ心の準備が…と不安が頭をも

たげる。

 俺と兄貴の考え方は正反対だから、また

何か言われたらさっきみたいな事になりか

ねない。

 …今の兄貴にそんな元気はないと思うけ

ど、この前の夜の続きをしようと思えば出

来るかもしれないし…。

  


[*前]

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