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Long
sang de te'ne`bres(サン ドゥ テネーブル) 短編

 僕には、たった一人の愛している女性がいます。彼女はいつも僕の家に来ては、庭で母とお茶をしながら楽しそうに話しているのです。


 僕も話したい。アルシフォンはそう思いながら、彼女の姿を見つめていた。目の前で見て、少しでも声が聞きたいと望んでいた。しかし、今の彼には実現不可能な望みであった。
 アルシフォン=ディリオは、隔離された一室に身を置いている。外へ出ることは禁じられており、廊下すら歩いた記憶がないほどだ。室内へは日光が入らないつくりで、風すら通さない。窓など論外だった。
 それでも、唯一外を眺められる場所があった。不思議なガラス張りの壁。外から部屋の様子は見られなくても、中から外は見られる、というものだ。外部と遮断されている彼にとって、これだけが、外部と繋がることの出来る手段であった。

「少しでもこちらを、見てくれればいいのに…」

 使用人が食事を持ってくるぐらいの出入りしかないこの部屋で、アルシフォンがここでの生活に堪えてこられたのは、彼女がいたからだ。人の声も聞けず、太陽すら見られない。孤独という時間の中で過ごすだけ…。そんな彼を「人」という存在に興味を持たせたのだ。

「貴方と話せたら、楽しいだろうな」

 そう呟いたときだった。彼女がアルシフォンの方を向いている。目が合った。そして―――、


   彼女が、微笑んだ。


 アルシフォンは驚き背を向けた。彼女にわかるはずがないというのに。

「何故だ?何故こちらに目を向けたんだ…?」

 嬉しいはずなのに、不安や恐れが心に渦巻く。見られるのが恐いとさえ思った。身体が震え始める。


ガタガタ…ガタガタ…。


 アルシフォンはその場にうずくまって、そのまま目を閉じた。


 目が覚めると、既に外は真っ暗になっていた。あのまま眠ってしまったようだ。いつ運ばれて来たのか、食事が冷めた状態で置いてあるのがわかった。
 ガラスの壁へと近づく。月明かりがアルシフォンを包み込む。不思議なことに、日光は遮っていても、月光だけはよく通した。その月光に、彼は懐かしさを感じることが多々ある。アルシフォンは満月を愛おしそうに眺め続けた。

 ふと、月から目を逸らすと、昼間見ていた庭に人影があった。普通なら暗くてわからないだろうその姿を、アルシフォンははっきりと理解していた。


  僕が…求めている人。


 いつも想っていた、あの女性だった。こちらを向いて微笑(わら)っている。月光に照らされる彼女の姿は、いつもより目がはなせられないほど、美しかった。
 

 なんで彼女がここにいるのだろう。僕が見えているのは何故?


 そんな考えも浮かばなかった。アルシフォンは彼女に呼ばれたかのように、何度も壊そうとしても壊れなかったガラスの壁を突き破って、外へと足を踏み出した。初めて身体で感じる風、土、花の香り…。その全てが新鮮だった。
 足元に散らばるガラスを避けつつ、アルシフォンは彼女へ近づいた。

「…貴方は……」

 話したくて、声が聞きたくてたまらなかった人。手を伸ばせば届く距離に、彼女がいる。

「お帰りなさい。アルシフォン」
「僕は、貴方と会うのは初めてです」

 名を口にされ、更に、おかえりと言われ戸惑うアルシフォンだったが、彼女はその言葉を予測していたかのように言葉を返した。

「いいえ。貴方は私と会ったことがあります。私は、貴方を覚えている…」

 切なそうに話す彼女を見ていると、アルシフォンは胸が痛んだ。忘れてはならないことを忘れている違和感。そう感じていると、突然、彼女が大声をあげた。

「全てを思い出して欲しいとは言いません。ですが、これだけは思い出して下さい!私たちはお互いに惹かれ合っていた。私は、貴方を愛しているということを…」

 今にも泣き出しそうになりながら、彼女は訴えかける。

「それ以外には、何も、望みません。どんな存在だろうと…」

 紡がれる言葉に戸惑いしか感じられない。もし彼女の言葉が真実なら、アルシフォンは昔から目の前の女性を知っていたということになる。しかし、実際は知らない。外へ出ることを禁じられ、母親にあの部屋へ閉じ込められていたのだから。

「僕は知らない…僕は、何も知らない!」
「そこで何をしているの!?」

 ランプを手に歩み寄ってきたのは彼の母親だった。頭を抱えしゃがみ込んだアルシフォンと傍らにいる女性を見た途端、顔が青ざめていった。

「…リーゼ嬢が何故このような時間に?それに…」

 アルシフォンに目を向け、母親は見下すように言い放った。

「あの部屋を抜け出すなんて。それもこの満月の夜に…恐ろしい。さすが禍々しい血の持ち主といったところかしら」
「禍々しい血…?彼のどこが禍々しいというのです!そのようにおっしゃる貴方のほうが…恐ろしいですわ」

 二人の会話が全く分からないアルシフォンは混乱していた。昼間とは違い、言い争っている。原因は自分のようで、しかも、禍々しい血…?なんだ?僕は何を忘れているんだ!?


 思い出さなければ。
 彼女の存在を…。
 思い出さなければ。
 僕はいったい何者なのか。


 常に暗闇の部屋。初めからそれが当たり前になっており、その状態に居心地が良いと感じる自分。
 全てにおいて麻痺していた。

「僕は、なんなの?人間じゃ、ないのか…?」
「アルシフォン…」
「もしそうなら、僕は…悪魔だろうね。真っ黒な翼を生やした、不幸へ導く闇の使い…」

 風が身体を突き抜ける。感覚が鈍っているため、きちんと感じられない。
 アルシフォンはこの場から去りたいと思っていた。どこか遠くへ消えたかった。この屋敷を離れ、自由になりたかった。だったら、翼を持つなら悪魔でも良いと考えた。これまでの状況を思うと、自分自身、悪魔なのかもしれない、そんなことしか浮かばなくなっていた。
 しかし、彼の母親は吐き捨てるように言い放った。

「…お前は、悪魔なんかじゃないわ」
「お母様…」
「そう、お前は…夜な夜な彷徨う吸血鬼(ヴァンパイア)。人間の血を貪り食う化け物なのよ!」

 言われた瞬間、激しい頭痛がアルシフォンを襲った。締め付けられるような、中枢から何かが込み上げてくるような激痛が。

「アルシフォン!やはり、貴方が彼の記憶を…!?」
「ふっ…ふははは!そうよ。でなきゃあんなもの、閉じ込めておけないわ」

 彼女たちの会話で、彼の身体で何かが弾けた。



  胸が…熱い。
  吸血鬼。
  血を吸う。
  僕は、人の血を吸い取る…。


  闇の住人。


 満月を背に、漆黒の翼が開かれる。深紅に光る、瞳…。
 己の存在について、確信した瞬間だった。

 アルシフォンは、人間であるリーゼを愛した。闇の掟を破り、彼女を連れて逃げ出した。聖職者、ヴァンパイアハンター、そして、太陽から身を隠した。時には血を求め町を彷徨った。それでも彼女はアルシフォンから離れることはなかった。


 種族など関係ありません。
 貴方は私を連れ出してくれた。
 私には、貴方しかいないのですから。


 その言葉を口にしながら…。


 記憶の糸が繋がる。僕は吸血鬼であり、彼女を愛していた。
 アルシフォンが母親だと思っていた人物はきっと彼を消そうとする者だろう。

「思い出しましたよ、奥様(マダム)。僕の記憶を封じることで力を抑えたようですが、貴方の言う禍々しい血はそれを忘れなかったようです。レイル氏よ…」

 
 反吸血鬼組織のレイル=ゼーラン。記憶を操作することで相手の力を抑えることができる術師。吸血鬼はヴァンパイアハンターや特定の聖職者にしか殺せないため、彼女はこの力を利用したのだろう。

「だったら…なんだというのだ」
「いえ…ただ、僕をこのような場所に封じるなんて、許せないと思いまして」

 レイルは引きつった顔をしながらアルシフォンに言った。

「仕方がないじゃない。お前たち吸血鬼を野放しにしておくわけにはいかないのよ。私たちだって、生きるのに精いっぱいなんだからね!」

 持っていたランプをアルシフォンに向けて投げつけると、レイルはリーゼの腕を引っ張り、彼女を人質にした。忍ばせていたナイフを、リーゼの首に突き立てる。

「まさかジェラリア家の者と関係があったとは…。まぁいい。この子に傷を付けたくなければ、大人しくすることね」
「…アル……っシ………」
「そんな物で僕が黙らせられるとでも…?」
 レイルとリーゼの真上をアルシフォンは舞い、瞬時に後ろへと回る。その動きについて行けず、レイルが振り返った時にはナイフが宙を舞っていた。

「!な…ぜ……」
「当たり前でしょう?僕は…」


  吸血鬼…なのですから。


 リーゼをレイルからはなし、アルシフォンはレイルの首筋に牙を立てる。叫び、暴れ、抵抗したが、それも無意味に終わった。


 庭に咲いていた真っ白な薔薇が


  真っ赤に染まっていた……。


「…アルシフォン」

 埋めていた顔を上げた彼を、リーゼは心配そうに見つめた。彼は吸血鬼でも吸血行為を好まない。血がないと生きていけないというのに、その行為による罪悪感。彼は、異端だった。人間でなければ、吸血鬼にもなりきれない。彼はそんな自分に嫌悪していた。

「リーゼ。また真っ赤に染めてしまった。こんなことはしたくないのに。人間と共に、過ごしていきたいのに…」

 涙ではない、真っ赤な液体が頬を伝う。思い出された記憶と力だが忘れていたほうが幸せだったのだろうか。しかし、リーゼのことを忘れたままにすることは、耐え切れなかっただろう。
 リーゼがアルシフォンの頬に触れようとした。しかし、彼はそれを拒んだ。彼女が穢れてしまうように思ったからだ。

「大丈夫。私はどうにもならない。狂ってしまうときは、私も貴方も一緒よ。…私たちはずっと一緒」

 そう言って、彼女はアルシフォンの頬に触れた。そっと包み込むように。懐かしく、安心感が込み上げてくる。
 そのまま彼もリーゼを包み込む。彼女の肩が微かに震えているのがわかった。……泣いていた。白い頬に伝うその涙は、月光に照らされ美しかった。

「本当に…お帰りなさい。アルシフォン。やっと会えましたね」
「……ただいま。リーゼ」


 満月が彼らを照らし出す。赤く血塗られた白薔薇が、とても妖しく光っていた。







 女性の遺体が庭で発見。首筋には何らかの牙の痕があったという。
 同日に、屋敷から青年の姿が消える。また、ジェラリア家からリーゼ嬢の消息も絶った。事件に関連があるものとして、警視庁は捜索している。









   人間を愛した吸血鬼。

   吸血鬼を愛した人間。









 二人の行方は未だにわからないという………。



 fin


あとがき
吸血鬼ものが好きなので、また書いてしまいました。
いつか二人の過去についても書こうと計画中です。

2011'2/8修正


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あきゅろす。
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