第五話「激流の大鰐」A 「ヴルギィアアアアッ!!」 轟く咆哮は荒々しく、たぎる闘争本能を訴えるかのように。「黒いもや」に包まれたヴルムモンの目は血のような赤に染まり、体の端々から殺意を漏らしていた。 「嘘だろ……」 呆然と見上げる巧にはそう漏らすことしかできない。自分達とともにいたこのデジモン達だけは「黒いもや」に捕われない、と無意識のうちに思いこんでいた。いや、ただそのことだけは考えたくなかったのだ。 「邪魔な奴は消すぜ。クリムゾンバースト!」 「くっ……」 だが、これが現実。実際にヴルムモンは紅蓮の炎をあろうことか巧に向かって吐き出している。慌てて躱す巧だが、平静など保っていられない。 「ちょっと、おい止めろ! ヴルムモン、聞こえてんだろっ!」 「あ? 誰だか知らねえが俺に口出しすんな。もう一発、クリムゾンバースト!」 依然とは違う凶暴な口調でそう言い、ヴルムモンは再度紅蓮の炎を吐きだす。仮に巧が灰と化してしまってもかまわないようだ。 「ちょっ、おい、嘘だろ……」 「グルアアアッ……ヒャハッ、サイコーの気分だ」 転がりながらなんとか避けた巧は目を見開く。そこにあるのは自分の知っている飛竜の姿ではない。 「戦わなきゃいけないのか……そんなの……くそっ、どうすれば良いんだよおぉっ!」 認めたくない現実。迷いと苦しみの中で巧が叫んだそのときだった。 「――アホか、お前。さっきから何しとんねん」 「――ほんま、情けないなぁ」 「なんだと……お前ら誰だっ!」 巧を馬鹿にするような声は、前方から歩いてくる者達のもの。彼らは、巧と同年代と思われる紺色の髪の少年と、緑色のワニの子供を二本足で立たせたようなデジモンだった。怒鳴りつける巧に彼らは一切怯まずに呆れたような表情を浮かべていた。 「人に名前聞くときはそっちから名乗るんが礼儀ちゃうんか?」 「いや、今そんな状況ちゃうやろ」 「あ……それもそやな」 「あ、あぁ……」 自分に向けた少年の言葉からなぜか自分を蔑ろにして、二人だけで会話をしている。その勢いに押されて巧は何も言えなくなり、同時に冷静さを取り戻す。 「お前ら、何者だ?」 「そんな状況ちゃう言うたやろ。ホンマにアホなんか?」 「まあ、ええやないか。……安心せえ、敵対の意思はあらへん」 「そうか、一応信じとく」 苛立った様子のワニを諌めながら、少年はそう告げる。その様子は嘘をついているようには見えなかった。 「ほな、いくか」 「あいよ」 「あ? お前らが俺の相手をするっていうのか……死ぬぜ」 少年と鰐のようなデジモンは操られているヴルムモンに向き直る。相対するヴルムモンが少しドスを利かせてみるが、わずかな心の乱れも見せない。 そして、少年が取り出すのは巧達の持っているのと同じシルエットの銀と紫の銃。 ――紫のD−トリガー? 「いくで、進化弾」 巧が疑問を抱いたのとほぼ同時に、少年はその引き金を引く。撃ちだされた弾丸も見慣れたものと同じもの。やはりこの少年が持つ銃もD−トリガーだったのか。 「ガビモン進化――ゲータモン」 進化の力を秘めた弾丸を受けたワニ――ガビモンの体が光に包まれる。その中で行われるデータの上書きにより姿を変える。そして光が収束することにより現れるは、二〜三メートルほどのワニ――ゲータモン。その尻尾だけ機械のような銀色で、ドリルのように高速回転していた。 「進化したのか?」 「何言うてんねん、見たら分かるやろ……ゲータモン、来んで」 「分かっとるわ」 自分以外にデジモンを進化させる人間を見たことのない巧の、その呟きに少年まで呆れたように至極まともな返答を返す。その最中で視界の端に入ったのは、両翼に炎を纏わせて飛び上がるヴルムモンの姿。本題はここからだ。 「くたばれっ、バーニンググライド」 ヴルムモンが先制とばかりにそのままゲータモンに向かって突っ込んでくる。だが、それを甘んじて受ける気など毛頭ない。尻尾を覆う鱗の隙間から水を噴出させながら、その尻尾自体をドリルのように高速回転させて飛来する敵に向ける。やることはただ一つ。自分のこの技で相手の技を打ち負かすことだけだ。 「来いやぁ、トレントテイル」 ぶつかり合うは、紅蓮の炎を纏いし翼と激流のごとき水流を纏った尻尾。高熱で水が水蒸気と化し、辺りは霧に包まれる。その霧の中からそれぞれ反対方向に飛び出る二つの巨体。 「グヌアッ……クリムゾンバースト!」 「っちぃ……ハイドロストリーム!」 それは当然、ヴルムモンとゲータモンの二人のことだ。翼と尻尾、それぞれに秘められた力がほぼ互角だったためか、互いに数メートル弾き飛ばされたようだ。だが、感情を表に出すのは一瞬だけ。再び体勢を立て直し、互いに放射状の火炎と螺旋状の水流をぶつけ合う。 「なかなか、やるなぁ、あいつ」 「おい、あいつは俺のパートナーなんだよ!」 少年は自分のパートナーと激戦を繰り広げる飛竜に称賛の言葉を述べる。純粋な力比べでこれほど自分のパートナーと拮抗できるデジモンは正直初めてなのだ。 そんな風に自分とともにいたデジモンを言われるのは不快だと巧は叫ぶ。躊躇いもなくそのデジモンと戦えるその姿勢が何より気に食わないのだ。 「んなこと分かっとるわ」 「だったら何で……」 それから、先の言葉は紡げなかった。自分をまっすぐ見つめるその濃紺の目が真剣そのものだったからだ。 「何でって……それやったら聞くけど、お前今まで、一体何しとったんや? D−トリガーを持っているんやったら、あいつを解放したる方法知っとるんやろ?」 「それは……」 少年の言うとおりだ。確かに巧はその方法を知っている。――そして、それにはヴルムモンの体を傷つけなければいけないということも。 「沈黙は肯定とみなすで。……まあ、お前の気持ちが分からんわけでもないんや。けどなぁ……」 視線を落とす巧を見てその考えていることが心の内が理解できたのか、先に口を開く。彼の言うとおり巧の心情が複雑なのは分かる。だが、それでもこのままでは駄目なのだ。 「あいつをこのまま暴走させてええ理由にはならんやろ! 絶対あいつだって苦しいはずなんや。……本当にパートナーを救いたかったら、多少荒療治しても救おうとするんちゃうんかっ!?」 「っ! パー……トナー、か」 少年の言葉が刃物のように巧の心に切り込む。なによりパートナーというその単語がなぜか心に響いた。 ――パートナー、か。確かにそうだな。なんか妙に気が合っていたしな。……ヴルムモンだってこのまま操られているのは嫌な筈だ。だとしたら、やることはただ一つ! 「俺も戦わせてくれ。……あいつを助けたいんだ!」 「よっしゃ、分かった。……ええ顔やないか」 巧の決意に満ちたその表情を見て、少年は初めて心からの笑みを見せる。これからが本当の戦いだ。 「俺があいつをググッと引き付けとくから、そこでババッと撃ってくれや」 「あいよ」 「分かったけど……擬音語多いな」 戦いながら話を耳に入れていたらしきゲータモンが、攻撃の合間に早口でそう告げる。ちょっとした作戦のようだが、巧の言う通り擬音語が多いためかなんかアバウトに感じる。それでも理解は出来たので問題はないが。 「ほな、いくで。ハイドロストリーム」 作戦通り真っ先に仕掛けたのはゲータモンだ。その口から吐き出すのは螺旋状の高圧水流。先程までの戦いの延長上のように同じような軌道を描かせて狙う。 「懲りねえなぁ。クリムゾンバースト!」 ヴルムモンも同じように紅色の炎を吐き出して打ち消す。その目にはゲータモンしか写っていないようだ。当然、作戦など知りはしない。 「うし、いくで、強化弾、フライモン――デッドリースティング」 少年はD−トリガーから放つのは針のように細い一発の弾丸。それは完全にゲータモンに注意が向いていたヴルムモンの右の翼の付け根に正確に刺さる。 「あ? 何だ、てめ……ッ! クソッ……てめぇ、何しやがった!?」 右の翼に違和感を感じたヴルムモンがようやく視界に少年を入れるがもう遅い。その翼が自由に動くことはないからだ。 「強力な麻酔針を撃った、と思ってくれたらええわ」 「クッ……チィ!」 少年が撃ちこんだ針のような弾丸には、強力な神経性の毒が仕込まれていたのだ。どれだけ力を入れようとも、動かす神経が麻痺してしまえば右の翼を羽ばたかせることは出来ず、その体を地に落とすことになる。 「許さねえ。許さねえ……ぞ?」 苛立ちを隠さずに立ち上がるヴルムモンの目の前に立つのは赤いD−トリガーを構えた少年、巧。今のヴルムモンにはパートナーである彼のことなど分からないのかもしれないが、巧はそれも承知でこの場に立っている。 「ごめん、ヴルムモン。強化弾、モスモン――モルフォンガトリング」 引き金を引いて放つのは秒間百発もの弾丸。これはヴルムモンへの初進化の直前にアクィラモンの腹をえぐった弾丸だ。そして、今回もヴルムモンの体を真っ向からえぐる。 「クソッ……グアアアアアッ!」 ――巧、助け……て 「っ! ……ああ!」 悲鳴の中で頭に響いたか細い声。それは紛れも無い、自分のパートナーのもの。やはり、彼も苦しんでいたのだ。そして、自分も彼を助けるために銃を取った。 「これで最後だ、ヴルムモン! ……浄化弾っ!!」 巧がこの浄化弾に込めたのは、弾が持っている単なる浄化の力だけではない。自分自身の強い思いも込められているのだ。放つ清らかな光も今までの比ではない。 「グアアァァ…………」 撃ち込まれたヴルムモンの輝きもそうだ。御来光のようなその神聖な光に追いやられ、「黒いもや」も一瞬で抜きでて姿を消した。 「うあ……あぁ……」 光が収まった後にそこにあったのは、力無く倒れるリオモンの姿だった。一定のペースで呼吸しているので大事には至っていないようだ。その顔には心からの穏やかな笑みが浮かんでいた。 「巧、本当に助かった。ありがとう……本当にごめん!」 「気にするな、俺もお前にちゃんと向き会えばお前を早く元に戻せたのにな……本当にごめん」 「いやいや、俺があんな不用意に近づいたからこんなことに……」 「いやいや、お前だって苦しんでたんだから……」 「いやいや――」 「いやいや――」 「もうええわああっ!!」 ゲータモンから退化したワニがそう言ったのも無理はない。リオモンが意識を取り戻してからずっとこのやり取りを繰り返していたのだ。仲の良いことはとても良いことなのだが、ここまでされると正直鬱陶しい。 「いやぁ、とりあえず丸く収まって良かったやないか」 「それはそやけどな……」 「ところでこいつら誰だ?」 そのワニと彼をへらへら笑いながら宥める少年を見てリオモンは当然の疑問を浮かべる。暴走していたときから存在は知っていたが、素性は全く知らないのだ。 「あ、そういやちゃんと自己紹介してへんかったな、俺の名前は…………何やったっけ?」 「「ええっ!?」」 少年がへらへら笑いながらそう言った瞬間に、巧とリオモンは吉〇新喜劇よろしくダイナミックにズッコケた。自分の名前も分からないなど、絶対にちょっとしたボケのはずだ。でないと真剣に彼の頭を疑ってしまう。 「何言うてんねん。お前の名前は、真治(しんじ)。倉木真治(くらき しんじ)や」 慣れていたのか、唯一ズッコケなかったワニが呆れながら代わりに少年の名前を教えてくれた。 「そうやったっけ、ありがとな、えっと……カビモン?」 「「へあっ!?」」 だが、少年――真治は今度はパートナーの名前を「カビ」モンなどと言い放った。立ち上がろうと少し気を抜いていたため、巧とリオモンは足払いを食らったかのように再びズッコケることになる。 「ちゃうわ! 俺はそんな汚いデジモンちゃうわ」 当然と言えば当然だが、ワニはそんな名前ではなかった。必死にも見えるワニの叫びを聞いて、少年は頭を掻いて再び口を開く。 「えぇ……じゃあカビゴ〇?」 「「それデジモンじゃなくてポケ〇ン!」」 ただ、口にした言葉は決して口にしてはいけない言葉だった。ふざけているとしか思えないその言葉に、今度はワニだけでなく巧とリオモンまでも思わずツッコンでしまう。 「はぁ、もう自分で言うわ……俺の名前はガビモンや、よろしゅう頼むわ」 諦めたワニは自分でそう名乗った。これ以上続けても神経が擦り減るだけなので、これは正しい判断だろう。 「そうやった、俺記憶力無いから……悪かったな、ゴ〇ベ」 「お前はもう黙れや!」 ただ、それでも真治はふざけているとしか思えない言葉を口にするのだったが。 「ハハ……えっと、俺はリオモンだ。 正気に戻してくれてありがとう」 「で、俺は巧、刃坊巧だ、よろしくな」 何はともあれ、名前は分かった。戦闘中の動きからは信じられないほどに、にぎやかな変わり者だったため多少驚いたが。 「あぁ、よろしく、えっと……リオモンと巧……っ!」 「おぉ……おい、どうした真治!」 それは突然のことだ。巧とリオモンの名前を復唱した真治が頭を押さえて苦しみはじめたのだ。その姿はどこか混乱しているようにも見えた。 「うっ……ぐぁっ……た……くみ?……うぐっ……」 「おい、真治どないしてん? 大丈夫なんかっ?」 その姿を見るのはガビモンも初めてだったのか、今までとは打って変わったように狼狽える。どれだけ突っぱねていてもやはりパートナー。心配するのは当然か。 「ぐっ、はぁはぁ……大丈夫や、迷惑掛けてすまんな」 「本当に大丈夫なんか?」 「あぁ、ちょっと頭が痛なっただけや。たいしたことない」 頭痛か何かが収まったのか、真治は荒い息を吐いて言った。どう見ても大丈夫そうには見えなかったので、ガビモンは尚も問い掛けるが、真治は気丈に笑う。 ――何で急に……もしかして……いや、それより今やらなあかんことがあったんや。 その脳裏に浮かぶのは、もやがかかったように思い出せない過去の一ページ。だが、今の自分達にはやるべきことがあった。不安定な体に鞭を打って立ち上がる。 「真治、本当に大丈夫か?」 「あぁ、大丈夫や。それより巧、ちょっとお前に手伝ってほしいことがあるんや」 未だ心配するガビモンに簡単に答え、巧に向き合ってそう告げる。自分だけでもできないことはないが、巧の力を借りれば事がより簡単に早く終わる。何より先の戦いでの最後に撃った弾丸の力は本物だった。 「俺に手伝ってほしいこと……?」 「そんなたいしたことやあらへん」 疑いの眼差しを向ける巧に、真治は相変わらずへらへらとした薄っぺらい笑みを浮かべるのだった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |