短編
君は魔女・後
トモエは美しい顔をしていた。幼くしてこれでは、将来は凄まじいことになるだろうとあの時は考えたが、大人になったトモエを実際目の当たりにした感想としては、まあ予想以上だったとしか言えない。あの泣き虫の鼻垂小僧が大人の色気なんてものを身に付ける未来は、流石にこの魔女を持ってしても想定外の事態である。
美しいものは嫌いではないがトモエに会いたいとは思わないので、本日の私はリチカのバイト先と反対方面に出掛けることにした。ちょっとした知り合いに会う用があったのだ。因みに“よく抉れそうなピンヒール”を履いている。
そういえばあの公園も同じ方向だったか。十年以上も昔に公園の裏手に植えた花が今更気になって、出掛けた帰りに寄ってみることにする。トモエは店長らしいから、店を放ってわざわざ反対方面に現れたりはしないだろう。
――後から考えてみれば、この時の私の思考はフラグというやつではあるまいか。
「成る程、こうなったか」
泣きやませたトモエを舌先三寸で丸め込んで手伝わせた緑化プロジェクトは、どうやら成功したようだった。見た限りでは生育条件が整っていそうだったので、買うには高い薬草を植えてみたのだが、見事に繁殖している。すっかり忘れて放置していたが、結果オーライというところ。
***
ざく、ざくん。
一定の間隔を保ってスコップで小さな穴を掘りながら、子どもはちらちらと私を見上げてきた。ビニール袋の中の苗を全て植え終わればお前を馬鹿にしてくる奴を見返す方法を教えよう、と言ってみたところ、自主的に手伝いを申し出たので任せている。そうなるように誘導はしたが結果的に自分から手伝うことにしたのだから問題ない。しかし、まだ涙の痕の残る頬に真っ赤な鼻をいちいち向けられて、何だか意味も無く面倒くさくなってくる。
いつにもまして荒んだ気分なのは、恐らく最近この国に移住してきた旧知の吸血鬼に戸籍やその他の書類の誤魔化しを押し付けられたのが響いているのだろう。匿名でヴァチカンに密告してやりたいところだが、この街に棲む他の妖怪は善良なものが多いので、彼らに迷惑を掛けるのは良心が痛む。淫魔も天狗も化け猫も狼男の半獣も獏もゾンビも鬼も人魚も、中には性根の曲がったのも居るが、概ね人の良い親切な奴らなのだ。特に淫魔は私の数少ない友人である。
「あの、おわりました」
きゅ、と左の小指を引っ張られて、そちらを見ると、子どもがスコップの入ったビニール袋を差し出してきた。掴まれた小指にざりざりと土の感触がして、見下ろしたまま顔を顰めると、子どもはぴくりと震えて私から距離を取った。
…怯えられている。
「ん、有り難う」
特にフォローするでもなく頷いて、公園に戻ると水道で子どもの手を洗わせた。私も手を洗った。
二人分の炭酸飲料を買って、オレンジ色のブランコの柵に寄りかかる。いい加減に陽も傾いてきて、オレンジ色に染まりつつある芝生の上に伸びる影は長い。
「えっと、それで…」
「見返す方法?」
「はい」
言葉を遮られたことに不快の色を滲ませることも無く真っ直ぐに見上げられて、むず痒い気分になる。何故馬鹿にされるかって、それは子どものこの素直すぎる性質にも原因が有るように感じられてならないのだが。物事を素直に受け取るのは悪いことではないが、それが過ぎればこまっしゃくれてきた糞餓鬼に目を付けられやすくなるのも解らなくは無い。
さて、やりようによっては見返してやれるというのはどういう意味かというと、自分の容姿をコンプレックスに思っているらしい子どもに説明するのは面倒なんだが…さて、なんと言うべきか。
「…きみ、きれいなものは嫌い?」
「え、すきです」
問い掛けてみると子どもは首を横に振った。
「うん、大体の人は好きなんだよ。で、女の子は男の子よりももっと、きれいなものが好きだ」
「そうなんですか?」
「うん。きれいな貝殻とか硝子のかけらとか外国の切手とか、服や靴や宝石もそうだね」
「…ああ!」
具体的な例を出してみると、確かに、と納得したようだった。
偶に牛乳瓶の蓋とか、意味の解らないものを集めている子も居るけど。因みに私が嵌ったのは蝶の標本収集である。虫系は男子の方が多いだろうか。
「だからね、みんな、きみが羨ましいんだよ」
「おんなのこみたいだから?」
「きれいだから。それに、貝殻や硝子のかけらと違って、自分のものにして飾っておくことが出来ないでしょう」
中には人間であろうと気に入ればショーケースに入れて飾ってしまう偏執狂も存在していることは、子どもに教えるべきではないだろう。
「それにきみは女の子みたいだけど女の子じゃないよね」
「うん」
「男の子は、女の子とは結婚すれば自分のものに出来るけど、きみはそうできないでしょう」
「ぼく、おとこのこだもん」
馬鹿にされるのは子どもの性格が素直すぎるからで、大概の悪意は開き直ってしまえば受け流せるし、受け流し続けていれば相手も気力を失うものだ。
取り敢えず適当に理由づけして子どもを納得させて、その上で開き直らせるのが一番楽(私が)だろうなと、適当に喋る。魔女なので、無駄な説得力で相手を惑わせるのは得意分野だ。二枚舌は標準装備。
「きれいなものは、欲しくなるよね」
「欲しいものが手に入らないと、悔しいよね」
「きみはきれいだけど、男の子には手に入らないよね」
こくりと飲み込んだ炭酸が喉奥で弾ける。
子どもは難しい顔をして、私の言葉にただ頷くだけだ。
「だから皆、八つ当たりするんだよ」
勿論、全部が全部間違っているということは無くとも、偏り過ぎた意見である。咄嗟に理由づけするならこれが一番言葉にして説明するのが楽だっただけだ。
「やつあたり…」
「八つ当たり」
「ぼくはわるくない?」
「悪くない」
漸く理解したらしい。
この子どもに悪いところが有るとしたなら、美しさは罪ってところか。ああ馬鹿馬鹿しい。
「でもね、自分が悪いんだって態度でいると、あの子は本当に悪いことをしたから、そういう態度でいるんだろうって思う人もいるよ」
だから誰も助けてくれないんだよ。
言い聞かせるように笑うと、子どもは俯いた。白く華奢な首筋が晒され、その繊弱な造りが不安と同情を誘う。
「だから開き直りなさい」
「え」
驚いたように此方を見上げてくる目は零れおちそうに見開かれて、口だって間抜けな半開き。それでも不細工にならないんだから美少年は得なものだ。
「本当に悪くないことには、僕は悪くないって態度で良い。そうしたら誰かが庇ってくれるし、きみを馬鹿にする奴が悪いって、本当のことを言ってくれる」
半開きの口に指を突っ込んでやろうかと考えているうちに、その口は閉じられた。むぐむぐと物言いたげに唇を動かして、こてん、と子どもは首を傾げる。
「…おねえさんみたいに?」
私は苦笑した。
「もうちょっと優しく言ってくれるだろうね」
自覚していることだが、私の言い方は大分乱暴だし適当だし優しく無い。だが私の意見を求めたのはこの子どもである。人を見る目が無いことだ。
ほんの少し屈んで、頭を撫でてやる。
「それで、きみを馬鹿にする奴はいなくなるよ」
「…うん」
子どもは神妙に頷いた。ここまで私が言葉を尽くしたのにも関わらず、あからさまに思い悩んでいる顔だ。どうしたものか。まぁ初対面の人間を信用しろという方が難しいだろうが、あまり頭の良くなさそうなこの子どもならなんとかなると思ったのに。微妙に計算違いだ。どうするか。問答無用で信じさせる手段としては、うん、インパクトが必要だろう。
後から思えば乱暴すぎる結論である。そもそも問答無用で信じさせるって何か違うだろう。しかしこの時に限ってはこのように考えた私は、何度も言うように荒んでいた。やさぐれていた。ストレスが溜まっている状態で無ければもう少し常識的な対応を取った筈だし、そもそも泣いている子どもという厄介そうな物件は無視していただろう。
残りの炭酸を一気に飲み干して、投げた缶は放物線を描いてゴミ箱に入った。子どもは私の手を離れた空き缶を目で追って、今はそれが納まったゴミ箱をまじまじと見つめている。ぱちん、と指を鳴らすと、再び私に視線を戻した。耳元で聞こえる羽音に、小さく風が起こり、私の髪を舞い上げる。
「今見るべきは私では無いよ」
す、と指差した先は橙の芝生に伸びる影。女の影と、子どもの影と、何羽もの小鳥の影が、そこには映し出されている。
「あ…」
小さく息を呑む子どもの様子がおかしくて、少し笑う。
「珍しいものを欲しがる人もたくさん居るね。私も、きれいなものや珍しいものは好きだ」
私の人差し指の先に小鳥が留まり、僅かな重みが掛かる。子どもの頭の上にも、一羽、居心地よさそうに蹲っているが、子どもは気付いていないようだ。こういうものを知覚する才能が全く無いらしい。稀に見る鈍感さだ。
子どもには、私の指先に留まる鳥も、足元に群がる鳥も見えていないし、ましてや羽音も鳴き声も、まるで届いていないのだろう。実体の無いものの影だけが見えるという摩訶不思議な現象に、大いに混乱しているようだった。
「きみは、こういうものは初めて見る?」
問い掛けると、子どもは呆然としたまま頷いた。
「…はい」
まぁそうだろうな。七つまでは神のうちという言葉が有るように、小さな子どもは本来こういうものを感知し易いのだ。それに加えて今は私がこういうものたちを認識しやすい場を作っているというのに、子どもは影しか見ることが出来ないらしい。ここまで鈍いのであれば、霊的な意味で危機に会うことはこの先無い。有る意味安心である。
「じゃあ珍しいよね。でもきみはこういうものを馬鹿にする?」
「……しないです」
「こういうものを呼び出せる私は珍しいよね。きみは私を馬鹿にする?」
「しない!」
急に威勢が良くなった。私は再び指を鳴らす。
ぱちん、と、それだけで、子どもの視界から黒い小鳥は消えただろう。
「そういうことだよ」
私の耳元には、依然として羽音が届いているが。
「そういうこと…?」
「解らない?」
「なんとなく、わかりました」
漸く自分なりに納得がいった様子の子どもに「そりゃよかった」と笑って、ブランコの柵から離れる。
「きみもそろそろ帰りなよ」
もう直ぐ暗くなってしまうからと子どもを促せば、子どもはそろそろと視線を彷徨わせながら、小さな声で言った。
「…きみじゃなくて、ともえです」
どうやらそれが名前らしかった。
名乗っただけで何に照れたのか頬を染め、子ども――トモエは走って公園を出て行く。案外足が速い。運動が苦手じゃないなら、あのおどおどした態度さえ改めれば直ぐにでも女子に人気が出そうだ。
「トモエねぇ…」
もしかして、名前も女の子みたいだって言われたことが有るんだろうか。
首を傾げながら、私も公園を出て帰宅した。
***
「覚えているなら此処に来てくれると思ってたんです」
土を踏む音がした。高いヒールが土を抉る、鈍い足音。
半眼で振り返ると、とろける微笑みがあった。ちょっと待てそのミニワンピ明らかにブランドものだし似合うけど似合うけどさーいやそれよりも何だその黒ストッキングに包まれた脚線美。美脚すぎだろ喧嘩売ってんのか高値で買うぞ。卑怯上等、魔法も使うぞ。
「……店はどうした」
「今は昼休憩です」
あの頃の面影も無い、低い声。俗に言う腰にクル美声。どうしてあれがこう育った。
駄目だこいつ、色々と駄目だ。相性的な意味で。私が草タイプだとしたらこいつは炎タイプ。もしくはエスパータイプと格闘タイプだ。
じり、と一歩、足を引いた。先程までの私が好戦的な思考になっていたのは認めるが、目の前の女装男子はそれ以上に闘気を放っている。命の危機は日常茶飯事とまではいかずとも今までそれなりに修羅場をくぐって来たが、この男はヤバい。殺気は感じないが、獲物として認識されている気がしてならない。
「あー…、実は、覚えていたわけではない。きみに会って数十年ぶりに思い出した」
失礼ながら、首筋の辺りがぴりぴりするので逃げ道を探しつつ白状してみる。落胆させるかもしれないが、寧ろ十年以上前に一回会ったきりの人間を覚えている方が奇跡に等しいと思うのだ。
「きみじゃなくて名前、教えましたよね」
「…トモエ」
「はい。貴女はテンさんっていうそうですね」
よし、リチカのマタタビ酒コレクション、他の化け猫に横流す。
リチカが聞いたら間違い無く足元に縋りついて号泣することを決定しながら、私は口の端を引き攣らせた。
「貴女の言うとおり開き直ってみたら、案外簡単にカタが付きました」
にっこりと嬉しそうに言われて、複雑な心境になる。あれは別に女装男子になれって意味じゃ無かったんだが…。
「そのへんの女の子より僕の方が美人だよ、って言っただけなんですけどね」
「いや、それは…」
「勿論俺も冗談だったんですが、洒落にならないそうで、以後顔のことでからかわれることは無くなりました」
「…良かったね?」
何といって良いのか迷ったが、取り敢えず私にされた相談内容は解決したわけだ。馬鹿にされることは無くなったわけだから。
然し彼がその辺の女子より美人なのは、事実だけに洒落にならない。そりゃあ周囲も自重するだろう。
「…問題は中学に上がってからで」
へにょん、とトモエの眉尻が情けなく下がる。
「今度はからかいどころじゃなく、酷いいじめに合いました。やっぱり顔のことで」
「はぁ、」
そちらは私に言われても困るというか、私の関与していない問題だと思うのだが。
トモエは熱っぽく私を見詰め、私の手を握った。
「どうして俺ばっかりって思って、そこでまた、テンさんの言葉を思い出したんです」
どの言葉だ。記憶を探るように目を細める私に、トモエはその熱っぽい眼差しに反して淡々とした口調で語る。
「男の子は、女の子とは結婚すれば自分のものに出来るけど、きみはそうできないでしょう。きれいなものは、欲しくなるよね。欲しいものが手に入らないと、悔しいよね。きみはきれいだけど、男の子には手に入らないよね。だから皆、八つ当たりするんだよ。それと――やりようによっては、いくらでも見返してやれるよ」
よくもまぁ、細かいところまで覚えている。
私が感心していると、トモエは僅かに目を伏せた。マスカラのたっぷり乗せられた睫が、きれいに伸びている。やや太めのアイラインとピンク系のシャドーは、涼しげな目元を華やかに彩っていた。
「夏休みに事情を説明して小学校の頃の友人に協力してもらって、そのとき初めて女装しました。そのまま街に出て、ナンパもされました。自分で言うのもなんですが、美少女でしたよ」
「まぁ、今のトモエを見る限り、そうだろうね」
しかし何故それで女装した。まだ解せぬ。
「ナンパしてきた一人が、俺をいじめている主犯格でした。ああ、やっぱりなぁと思って、その場でネタばらしして、このホモ野郎と言ってやったら、休み明けからいじめは無くなっていました。何だか虚しくなりました」
つまりその主犯格はトモエの顔が好みで、だからこそトモエが男であることが気に喰わなくて、(恋心を自覚していたかどうかは別として)反動形成をこじらせていじめに走ったということか。トモエはそれに勘付いて、予想を確信にしようと行動した。
いじめっこの男子生徒は女装したトモエをナンパしたことで自分の気持ちに気付いたが、既に亀裂は決定的でどうにもならなくて、でもそれ以上トモエが、自分の所為でいじめられる姿を見ることに耐えられなくなって――…そこまで想像して吐き捨てる。なんと迷惑な奴だ。
「まさかとは思ったけどまさかそんな理由であんな目にあったのかと思うと、もう色々と面倒になって。でも貴女の言葉に二度も救われて、貴女の言うことだけは、あのときの俺にはやっぱり正しかったから、勝手に心の支えにしていて」
まあ、うん、それが私の負担になったわけでもないし、支えにしてくれたことは全く構わないが、協力してくれた小学校の頃の友人とか…他にも依存する対象は居たと思うんだが。やはり子どもの頃の不思議体験のインパクトが大きすぎたせいだろうか。
「そんなある日、思い出したんです」
ぎゅう、と握りしめられた手に力が入る。熱のこもった、様々な感情の渦巻く目。けれど、真っ直ぐに此方を見てくることだけは、昔と変わらない。
「きれいなものは好きだって、貴女は言ってくれたでしょう。友人には『初恋こじらせ過ぎ』と言って止められました。でも、どうしても貴女にきれいだと言って欲しくて」
指先から熱が伝わる。
今は私よりも高い位置に有る顔が、近くに。
「テンさん。俺は、きれいになりましたか?」
何かが大幅にずれている気はしたが、トモエは真剣だった。これはまるで告白のようだと思ったが、『好き』とか『愛してる』とかではなく、『きれい』と言ってほしいだけならば、それが事実だけにあっさりと言葉が出てくる。
「最初からトモエは美しいけれど、今はあの頃よりもきれいになったね。自力でそこまで磨き上げるのは、並大抵のことじゃない」
良く頑張りました。頷いて頭に手を伸ばすと、トモエはびくりと硬直して、髪を梳くように撫でてやると徐々に緊張が抜けていくのが解る。
「テンさん…」
「ん?」
「好きです」
「うん」
トモエが私に向けているのは、恋愛なのか親愛なのか。憧憬的な面が大きいとは思うが、はてさて、これからどう転ぶか。
にんまりと笑った私の家にトモエが頻繁に訪れるようになり、トモエの小学校からの友人とリチカが犬猿の仲になり、知人の人外が持ち込むトラブルに揃って翻弄される未来は――近い、かもしれない?
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