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短編
君は魔女・前

 駅から南に続く大通りから見える貸しビルの横、細く薄暗い路地が有る。殆どの人間が素通りするその道の奥、右手に小さな雑貨屋の、緑色の扉が見える。
 普段なら足を踏み入れることの無い場所に、何故私がわざわざ足を運んでいるのかというと、それは友人の爆弾発言のせいである。いわく、『おれあの店でバイトしてるんだー』とか。店主が魔女だの従業員は全員人外だのという胡散臭い噂の有る店でバイトしているばっかりに、客に人外だと思われているんだぞ。お前はそれで良いのか。
 そういうわけで、とにかく好ましくない噂ばかりが飛び交う問題の店を、友人にとって安全なバイト先であるかどうかチェックしてやろうという魂胆で見に来てみた。余計な御世話だということは百も承知だけど心配だし。問題無ければそれでいいし。

「いらっしゃいませー」

 緑色の扉の向こうは、焦げ茶のフローリングの床にざらっとしたクリーム色の壁、柔らかい色合いの間接照明、床より濃い色の棚の上にはきらきらとしたアクセサリーと骨董品が混在していた。奥の方には喫茶スペースが見える。…馬鹿な、なかなか良い雰囲気、だと?
 先程の入店時に声を掛けて来たのは、出入り口の近くで棚にハタキを掛けている青年だろう。ぐるりと店内を見渡すと、大きなカウンターの向こうに美女が座っていた。美しすぎるという点を除けば、どう見てもただの人間だが、恐らく彼女が魔女の正体だろう。
 取り敢えず、何もしないわけにもいかないので何か買って帰ろうかと棚を覗いてみると、予想外に良い物が置いてあった。この店、掘り出し物かもしれん。
 スパイスを小分けして入れておくのに良さそうだったので、すかし模様の美しい小瓶をセットで購入することにした。

「お会計お願いします」

 カウンターの上に小瓶を置いて店主に話しかければ、俯いて何か作業をしていた店主が顔を上げた。ぴ、とバーコードを通して、「2,340円になります」と笑顔を向けてくる。…うん? 声が低くないか? というか…喉仏が有る、だと…!?
 衝撃の新事実。店主はオカマだった。いや、単なる女装癖という可能性も捨てきれないが、とにかく産まれて来た時は男だった人物のようだ。

「あれ、お客さん」
「はい」

 は、話しかけられた!
 ちょっと馴染みの無い人種を相手にすることに怯みつつ、表面上は何とか平静を保ちきる。

「もしかして、リチカくんのお友達ですか?」
「えっ、何で――リチカが何か?」

 何を言った、あいつ。

「写真を見せてもらったことが有って、大好きな友達だって、いつも自慢されてますよ」

 リチカ吊るす。
 口元に頬笑みを湛えつつ、私は決意した。バイト先で何をしているのだ、あの阿呆は。口が緩いのもいい加減にしろ。あと何度も言っているが、自分と私の性別の違いを自覚しろ。下手をしたら誤解されるから。お前が三股中の彼女に私のことを話したせいで修羅場に巻き込まれた恨み、忘れてないからな。不能にしてやろうか。
 私が凶行に走る寸前の精神状態になっていることも知らず、店長は男らしく大口を開けて笑った。おかまではなく女装趣味の方か。

「もう本当に妬ましくて、でも貴女の居場所だけは教えてくれなかったんですよねぇ」

 ――ん?

「みつけたよ、魔女のお姉ちゃん」

 猛禽類のような目だった。
 久々に嫌な予感がした。ああ本能よ、警告を出すならもっと早めに頼みたかった。力任せに腕を振り払えば、案外簡単に手が離れて行く。本気で捕まえるつもりではなかったのかもしれない。或いは、今でなくとも私を捕まえられるという自信があるのか。
 驚く青年を無視して店を出て、走って大通りに戻りながら、携帯から鞄を取り出した。電話を掛ける先は、勿論あの店のバイトであり私の友人の、リチカ。

「どういうことだ!」
『開口一番に何さ! わけが解らないよ!』
「お前のバイト先の店長、何者だよ!」
『…あ、お店行っちゃったのね…』

 リチカは気落ちした声で言い、私はリチカのその声音の変わりように、ふっと冷静になった。

「帰ったら詳しく事情を吐かせるからな。何故あの店主が私を知っているのかとか、色々と」

 取り敢えず、覚悟しておけ。低い声で言い放って通話を切った。無駄に良い声で悲鳴が聞こえた気がするとか、そんなこと知るか。
 お前があの店でバイトなぞしなければ、私が今とんでもない心拍数で倒れそうになることも無かったのだ。折角完璧に人間に擬態させてやったのに、あえて疑われるような店を選んで働きやがって。そのせいで妖怪だとばれて芋づる式に私の素性まで知られたら、その二股の尾を反対方向に引っ張ってぐるぐる回してやる。

「くそっ、私の2,340円…!」

 商品忘れるとか、払い損じゃないか!



***

 鯖折りにしてもマタタビぶっ掛けても大した情報を吐かなかったリチカは、どうやら本当にあの店主とはただの店主とバイトの関係らしい。共謀して私を嵌めてやろうとか、そういうつもりは一切なかったようだ。まぁこの阿呆にそんな頭が無いのは解っていたが。所詮、元はただの畜生である。

「テンちゃん酷い」
「黙れ。それにしてもあの店主、どこかで見たような…」
「あんなに濃い人どうやって忘れたの? 女装趣味だよ!?」
「仮にも上司に濃いだの女装趣味だの…」

 事実ではあるが、お前にだけは酷いと言われる筋合いは無さそうだ。昔から容赦の無い直球しか知らない猫畜生め。

「でもあの呼び方には覚えが有るな」

 魔女のお姉ちゃん。
 過去に私をそう呼ばれたことがあるのは覚えている。ただそれがどんな人間で、どんな場面でと聞かれると全く思い出せない。

「てことは一応知り合いではあるの?」
「たぶん」
「なのに猛烈ダッシュで逃げられた店長可哀想」
「黙れ。三度目は佐伯さん家の犬小屋に特攻させるぞ」
「いやぁああああ!」

 佐伯さん家の飼い犬、クランくんは、ご近所でも猛犬(ただし佐伯家の人間には絶対服従の忠犬)と噂の強面なドーベルマンである。リチカは佐伯の奥方とお散歩中のクランくんと擦れ違う度に、私の影に震えながら隠れている。
 擦れ違う際、毎回クランくんがニヒルな表情でリチカを一瞥していく気がするのだが、あれは目の錯覚だろうか。仮にも妖怪の癖にただの犬に勝てないってどうなんだろうと思わなくもないが、クランくんが相手では仕方ない。あのお犬様、インテリヤクザみたいな雰囲気を醸し出している。佐伯の奥方――偶に一人息子と散歩する姿は、完全に飼い主の護衛のつもりでいるだろう威圧感である。
 涙目で黙ったリチカを尻目に私も黙り込み、暫くしてから頷いた。ふむ。

「お前。明日バイトの際に店主から商品を受け取っておくように。私は今から仮眠を取るので、くれぐれも、起こすなよ」

 こくこくと涙目で上下に頭を振るリチカの返事に納得して、私はリチカの部屋を出た。ぼふんとベッドに倒れ込む。さぁ寝よう。
 可能性は低いが、もしかしたら夢に出て思い出すかもしれない――というか、そうなるよう念じて寝たら、夢のどれかは記憶に引っ掛かるだろう。うん、問題無い。もし該当する記憶が無ければ、単純にあの店長が変質者だったというだけの話だ。
 瞼の上に手のひらを乗せて、目を閉じた。





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あきゅろす。
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