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短編
青い爪(※恋愛)



 彼は静かな人だ。

 端正な横顔と、纏う空気と、冷たくも映る表情と。
 すべてが静かで、ゆるぎないように見えた。
 彼は“そういうひと”だと思い込んで、そんなふうに、勝手に憧れていた。



 私の家には兄弟が多い。勉強なんて出来る筈も無いくらいに騒音に溢れていて、だから私はいつも図書室で宿題を片付けてしまってから帰るのだ。
 その間のちょっとした楽しみが、窓際の花瓶を眺めているふりをして彼の横顔を眺めることだった。
 眺めてみたくなる程度にかっこいいけど、視線をそらせない程美しいわけでもなく、なんというか、適度だったのだ。雰囲気が好みだったのかもしれない。
 宿題に疲れたら、ぼんやりと彼の横顔を眺めて、なんとなく“やろうかな”って思えるまで少しだけ待つ。

「…はぁ、」

 解けない。
 いつもなら解ける問題なのに、何故か答えがおかしい。数学は得意なのに、どうして合わないんだろう。見直ししても解らない。他の問題を解いて、残りはこいつだけなのに。
 ノートや参考書と睨めっこするのにも疲れて、シャーペンを放り出す。思いのほか大きな音を立てて机の上を転がり落ちたそれにどきりとして、慌てて周囲を見渡した。
 あ、うわぁ、やっばい。
 いつも窓際に座っている彼が、こっちを見ていた。
 私が硬直していると、彼は立ち上がって近付いてくる。正面から見るのは初めてで、なんだか新鮮に感じた。

「はい」
「あ、りがと…」

 シャーペンを拾ってくれた。私が動かないから見かねたのか、わざわざ。
 意外と親切な人だ。イメージと違う、と言っても、そんなにひどいイメージを持っていたわけでは無いんだけれど。
 さりげない助言とかはしてくれそうだけれど、直接的な親切って、あんまりしなさそうだなって。

「行平さん?」
「…そうだけど」

 どうして知っているんだろう。
 不思議に思っていたのが顔に出たのか、くすりと笑われて、顔に熱が集まる。

「司書の先生が呼んでいたから」

 成る程と納得する。司書の先生は女の人で、人見知りをするタイプの私にしては珍しく仲が良い。彼女が割とフランクな性格をしているのもその要因だろう。

「そっか」

 それだけ言って、黙る。ああ、彼の声は予想以上に良い。低くて、甘くて、カフェオレの海に浸っているみたい。
 黙ったのを警戒されたと取ったのか、彼はぱちりと瞬いて、慌てたように告げる。

「ごめん、気持ち悪いよね、俺。飯村哉也っていうんだ。いつも図書室に来ていて、君のこと、良く見るから」

 知り合いみたいな気になってた、ごめん。
 謝る彼は恥ずかしそうで、少なくとも私が抱いていたイメージ通りの人では無いと解って、でも嫌な感じはしなかった。
 むしろ、そう、嬉しい。親しみを感じるというか、近付いても大丈夫だと言われているようで、厚かましくも話してみたくなる。

「だ、大丈夫」
「本当に?」
「大丈夫!」

 強く言って、あ、と口を閉じて俯く。初めて話す人に大きな声をだしてしまった。しかもここは図書室なのに。
 きっと驚いているだろうと、ちらりと視線を向けると、彼はほっとしたように笑っていた。

「良かった」
「…」

 ほっとしたのはこっちの方だ。と内心呟いてみる。

「えっと、余計なお世話かもしれないけど、これ、問題写し間違えてるよ」

 初めて聞く彼の声に若干聞き惚れながら、人差し指がさす場所へと視線を落とす。窓際の花瓶が反射して、私のノートと彼の指の上を、青い光が揺らめいている。青い爪、青白く見える肌、奇妙に幻想的な一瞬。
 見惚れてしまったことに異様な背徳感を覚えて、視線を問題に向ける。
 ちょうど、引っ掛かっていた問題だった。

「…うわあ。有り難う」

 途中式で六がプラスになっていた。答えが出なかったのはこれのせいだろう。
 どうして見直しで発見できなかったのか解らないけれど、こういうことはたまにある。…集中できていなかったのかもしれない。

「いいよ」
「うん。でもこの問題、詰まってたから」
「そっか」

 今度は彼が言って、会話が途切れる。書き直した式で、まともな答えが出た。
 全部埋まった問題に満足して、ノートと筆記用具を鞄に入れる。

「じゃあ、えっと、ほんとに有り難う」
「ああ、うん、役に立って良かった」
「ばいばい」
「うん。また明日」

 ――また、明日?
 確かに、明日も来る予定だけど。

「明日来るってよく解ったね」
「だっていつも居るじゃん、その席に」

 あ、そっか。私が毎日図書室に来ていてることを知っているんだから。全然おかしなことでは無い。

「…えっと、きみもいるよね」
「クラスメイトと同じ頻度で顔見てるのに話すの初めてって不思議だよね。」

 なんて柔らかい笑い方をするひとだろう。
 彼はまた席について、本を開く。その横顔に、いつもより許されている感じがして目を瞬かせた。

 図書室を出る間際、ふと振り返ると、やはり彼の横顔が見える。

 窓際の何も活けられていない花瓶は、ただ、青い光を反射している。






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