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花落ちて朽ちず
雨女と晴れ男のこと、其の四



「あ、」

 覚えの有る姿を見付けたからといって、声を上げたのは失敗だった。この距離でも声が聞こえたのか、ふらりと揺れるように振り向いた彼女は日村の目の前までやってきたのだ。
 特に会話しようという気があった訳でもないのに、さらりと挨拶される。

「数日ぶりだね、日村くん。」

 その自然さとあの出会いが結び付かず、何となく苛つく。
 気のせいだとは理解しつつも、妙に軽んぜられている気分になり、日村は眉間に皺を寄せた。

「……日村で構いません。」

 実際自分の方が後輩とはいえ、日村“くん”と呼ばれるのはどうにも気持ちが悪かった。部活の先輩や教師も呼び捨てが主だからだろうか。

「なら、そう呼ぼうか。」

 気負った様子もなく頷く彼女に、日村は強い視線を向ける。どうせ話しかけられてしまったのだ、聞きたいことを聞かせて貰おう。

「滝先輩の親友だと聞きましたが。」
「うん。私には過ぎた親友だよ。」

 本心から思っているのだろう、木崎は真顔である。

「そんなことは無いでしょう。」

 つい、日村は断定した。何しろ、滝もこの女生徒に対して同じ感想を抱いている節が有るのだ。お互い尊敬しあっている姿は、ある意味理想の関係と言える。
 木崎はゆっくりと瞬いて苦笑した。

「……いい子だね、君は。」
「は、」

 突然の“いい子”発言に、先輩に対してあるまじき返しをしてしまったが、彼女は気にした様子もない。

「聞きたいことが有るなら、答えるよ。」

 普段なら断るところだが、その言葉に甘えることにした。彼は好奇心旺盛な性質で、妖物に関する話が好きだ。ようするに、つい先日目にした“歪み”という名の怪異に対しても興味新津々だったのである。
 少し場所を移動して、二人は図書室の窓際の席に向かい合う。どちらも静寂を苦にしないタイプだからか、それともこの場所自体に慣れているからか、図書室という場所の持つ独特な雰囲気に溶け込んでいる。

「あれは何だったんですか。」

 奥の書架に隠れたテーブルを挟んで向き合う二人は、然し艶めいた空気とは縁遠い。

「雨女だよ。他にも呼び名は有るのかもしれないけど。」

 雨女。妖の一種だろうか。しかしそれにしては聞き覚えが無い。あるいは聞き覚えが有りすぎる。何か行事があるときに決まって雨が降ってしまうという運の悪い女のことを俗に雨女と呼ぶが、それはあの“歪み”だという女とは関係が無いだろう。

「ああ、因みに、妖とは違う。」

 断言した木崎に、日村は顔をしかめる。

「妖のことを、西大陸では魔物と呼ぶらしいね。この東大陸でも、中央部では妖ではなく罪魔と呼ぶとか。裏手の森には妖が棲んでいるという噂だが、実際そんなものは居ない。鳥籠に妖は入れないんだ。」

 東湖国は、湖の上に浮かぶ巨大な鳥籠状の魔術建築物の集まりだ。東湖国の民は、都市のことをそのまま鳥籠と呼ぶ。籠は十八まであり、日村や木崎が暮らすこの街は三の籠と呼ばれている。
 滔々と語る木崎の声に感情は無い。書物を読み上げるように、機械的に言葉を発するだけだ。

「“歪み”と妖の大きな違いだが、まず、“歪み”は、姿が見えたからといって、必ずしもそこに存在するわけではない。と言うか、本来そこに存在すべきでないものだからこそ“歪み”と称されている。存在すべきでないものを世界は認めようとせず、反射で排除しようとする。“歪み”に対して負荷を掛けようとするわけだ。……例えば、魔力耐性の無い人間が魔力の多い場所に行くと魔力酔いを起こすだろう? 高山病みたいにね。世界の力が“歪み”に集中すれば、その近くに居る人間も、君が頭痛を起こしたように酔ってしまう。それだけならマシだ。場合によっては“歪み”に引き摺られて歪むか、内側から破裂する。」

 日村は一つずつ確認を試みる。必ずしもそこに存在するわけではないというのはそのままの意味で、日村の見た女も含めて、大抵の“歪み”は本体から離れた場所に影だけが現れる蜃気楼のようなものだという。日村は魔術師では無いが、分身を作り遠隔操作する魔術なら、西大陸の魔女に関する文献で読んだことが有る。“歪み”も似たようなものなのだろう。
 歪むとか酔うとかの現象は身を持って体験したが、内側から破裂するというのは何なのかと尋ねれば、これもそのままの意味らしい。体内の力と空気中の力の濃度が釣り合わず、体内の力が暴走した結果破裂したという例が実際に有るようだ。これは魔力にも同じことが言える。西大陸のとある森の中では空気中の魔素濃度が高すぎて、余程魔力耐性の強い人間で無ければ一歩足を踏み入れた瞬間に破裂するという。恐ろしい話だ。
 眉間にしわを寄せつつ、取り敢えずはと次の疑問を投げ掛ける。

「あれは、何を待っていたんですか。」
「運命の恋人だよ。」

 ふざけているのかこの女。

「何ですかそれは。晴れ男ですか?」

 冗談にしか聞こえない。日村が厳しい視線を送っても、木崎は首を傾げるだけだった。聞かれたから答えただけだというように。

「別に晴れ男でも構わないだろうけどね。彼女はいつだって運命の恋人を探していて、その為にあんな風に、無理矢理に世界を歪ませてまで影なんて飛ばしている。その“歪み”の副産物として雨を降らせるから雨女と呼ばれるけれど、それが彼女の本質というわけでは無いよ。逆だ。世界に嫌われている証の歪みの副産物として雨が降るということは、彼女の力は恐らく火の気が強いんだろう。」

 雨を降らせる雨女。そう呼ばれてはいるけれど実際は、彼女の力を抑える為に、世界が彼女に雨を降らせる。

「そんなもの、聞いたことがありません。」

 日村が顔をしかめると、木崎は静かに窓の外を見た。
外は、やはり晴れていた。

「けれど君は見た。」

 謡うような断言だった。瞳は慈しむように細められている。
 日村は諦めたように溜め息を吐いた。結局、重要なのはそこなのだ。

「そうですね。」

 偏頭痛でもするかのように頭を抑え、苦々しげに言う。

「俺は、見ました。」

 間違いなく、この目で、自分はそれを見たのだ。
 見たものを幻とするか真実とするかは自分次第で、自分はそれを見たということ認めてしまっている。
 たった今口にした一言だけが、彼にとっての、一片の真実だった。





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