[通常モード] [URL送信]

GOLD RUSH!
大食い絵本9

 うっかり恋人の笑顔を思い出して浸っていたら、いつの間にか前方が様変わりしていた。
 草原だった筈の周囲一帯から草が枯れて、更地に近い状態になっている。少年の攻撃を避けた結果か、ところどころに生じたクレーター。この有り様からして相当激しい攻撃だっただろうに、ぼんやりしていられた自分にビックリだわ。
 少年の関節がみりみりと音を立てて胴体から離れて行くショッキングな光景を目にした。
 触ったら溶けるとか即死レベルなのに、浮気心が出て来ないことを不思議に思う。もしかして案外危険度が低いのだろうか。

「何ぼけっとしてんの」
「いやぁ、何だろう…」

 何故か、まるでときめかない。これはおかしい。
 先程頬を掠めたフォークの付けた傷口を親指でなぞると、固まりかけた血がついている。間違い無く外傷である。でもときめかない。テンションも普段通りだ。割と冷めている。…ほんとに、何で?
 痛いのは好きじゃないし、そこそこ危機感は持っている。現実離れした光景に実感がわかないというわけでは無い。だって既に傷付けられている。志摩くん以外に殺されてはならないという義務感では無く、こいつには殺されたくないという嫌悪感を持っている事が問題なのだ。今までそんなことは一度も無かったのに。

「ちょっと覚悟した方が良いかもね」

 倉間が呟いた。両腕、両足、頭と胴体。六つの方向から強酸に襲われると思うと、確かに覚悟は必要だ。しかし無理矢理引き摺りこんできた倉間の言う台詞じゃないと思うのは私だけだろうか。

「倉間も、始有さんに怒られる覚悟しときなよ」

 諦め混じりの台詞に、倉間は嫌そうに顔を歪めた。

「何で小鳥ちゃんは、いつでも他人事なのさ?」

 さぁ。私も知らない。
 この思考放棄こそ倉間の言う“他人事”の正体なんだろうけれど、“感情について”なんて、考えても仕方の無いことだ。

「それが解ったら今頃もっと情熱的な人間になってるよ」

 笑って流す私に、倉間は心底不愉快そうな顔をして、少年の右足を叩き落とした。
 その瞬間、何かが私の視界を覆い、周囲は焔に包まれた。



「怪我は――、無さそうだな」

 目の前に、麗しき始有さんの御尊顔。切り替わった世界に呆然としていた私を呼び戻したのは、その無敵の美貌だった。
 正面からの至近距離で見ることは少ないそれに驚き、一歩下がると何かを踏んだ。確認すると、本の燃え滓だ。どうやら始有さんが絵本を破壊してくれたことで、私たちは戻って来られたらしい。
 納得してその御尊顔に視線を戻し、お礼を言って頭を下げる。

「有り難うございます。不思議なことに無事です」
「良かった」

 ふっと優しく綻んだ顔は一瞬で、直ぐに始有さんは厳しい無表情で私の隣を睨みつけた。

「優は帰ったら説教だ」
「うぇー」

 微笑ましいやり取りを眺めながら頬に手をやり、つるりとした頬の感触に首を傾げる。
 怪我は無さそうだなと言われたが、掠り傷は有った筈。始有さんのことだから、女子の顔に掠り傷でもついたら反応しそうなものなのに。
 と、思ったのだが、傷口は綺麗に塞がって、瘡蓋すら無い。

「じゃあ今度こそ、さようなら」
「ああ、今日は済まなかったな」
「良いですって、見ての通り無傷ですから」

 深々と頭を下げる始有さんに苦笑しながら、家路を辿る。



 炎に包まれる寸前、私は少年の腕に顔面を掴まれたのだが、皮膚環境には何の影響も無い。倉間が嘘を吐いたとは考え難いし、これはどう解釈すべきなのだろうか。
 絵本から出たからリセットされただけというのも考えられるし、捕われたのが精神だけだったというオチも有り得るだろう。精神だけが捕われていたのだとすると、ときめかなかったのも納得出来る。身体が死なないんじゃ何の意味も無いし。

(倉間だしなぁ…)

 奴のことだから詳細を説明しなかっただけだとしても不思議ではないし、性格を考えると寧ろその方が納得出来る。
 捕われたのは精神だけで、倉間は細かい説明を端折って私を不安がらせようとした。吊り橋効果狙いだとか明言していたし、これが正解な気がする。
 色々と可能性は有るが、まぁ、結局のところ。

 ――…妖怪や不思議グッズのことを理屈で説明しようとしても意味が無いか。

 投げ遣りに結論付けて、私は欠伸を噛み殺した。
 真相がどうあれ今は外に居るし、痛くないならその方が良いに決まっているのだ。





[*前へ]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!