ベリィライク
おろおろ。
小唄と話すと、自分が物凄く簡単なところで躓いていたような気がしてくる。進めなくなっていた場所に、ぽんと他の考え方を提示してくれる彼女は、僕にとっては某猫型ロボットよりも頼りになる人だ。
「あ、お邪魔してるよ」
帰宅するとリビングから声がして、そっと確認すると、槻代さんが母さんとお茶をしていた。
「こんにちは。これからデートですか?」
「もとくんったら…」
困ったように微笑んで、少しだけ頬を染める母さんの表情は、この人が居なければ引き出せないのだなと思うと、腹の内に澱が溜まっていく気がする。けれど今はそれを抑えることが出来る。
僕が母さんを好きだと、口に出すことは出来ないけれど、それは今までと変わらない。母さんが僕を愛しているということも、今までと変わらない。
「あ、本当にデートなんだ?」
ちょっと揶揄うように笑えば、「夕飯はうちでする予定だから、龍真さんと朗くんが一緒でも良いかしら?」と遠回しに肯定された。
「ごめんね基くん。お母さんをお借りするよ」
槻代さんが朗らかに笑った。僕もにっこりと笑顔をつくる。
人としては。そう、人としては嫌いじゃないんだ。男としては(恋敵だから)気に喰わないけれど。
「ちゃんと返して下さいね」
「もとくん!」
母さんが槻代さんを愛するということと、僕と母さんの関係が変化するということは、イコールでは無い。ただ、母さんの交友関係の質が、一つだけ変わるだけで。
――そもそもさぁ、ずっと一緒に居られるって点では怖いもの無しじゃない?
そんなふうに考えたことは無かったけれど、これも小唄が教えてくれた考え方の一つだった。
“一人息子だから”。
側に居る大義名分としては、これ以上のものは無いだろう。僕が槻代さんを嫌ったとして、母さんは悲しむだろうけれど、だからといって僕を厭うことは無いと、自信を持って言える。
「そこは安心してもらって良い。これでも大人だからね」
…ウィンクされた。意外とお茶目なところがあるのだろうか。静かに込み上げてくる笑いを堪えつつ、頼みますよ、と柔らかく微笑んでおく。
「基くんは、そうやって笑うとますますお母さん似だな」
そう言うと槻代さんは、嬉しそうに僕の頭を撫でた。笑顔が引きつった。さりげなく一歩引いて、作り直した笑顔と共に逃げた。逃亡先は唐菜家二階、小唄の部屋だ。
「小唄!」
礼儀も何も無くドアを開けると、呆れ顔で「ドアを閉めろ!」と命令された。着替え中の女子の部屋に入ったら厳しくされるのは仕方ない。
「……で。何があった?」
それでも取り敢えず聞くだけ聞いてくれるところが優しさだ。
「あ、頭を撫でられた」
「誰に」
「槻代さん!」
あー、と気が抜けたような声を出しつつセーターを被った小唄は、灰色の髪をボサボサにしたまま此方を見る。
「嬉し恥ずかし悔しって感じ?」
にやぁっと、意地悪そうな笑みを向けられて顔が熱くなる。否定できない自分の感情が不思議だった。あの男の掌の上で感情を操られているような錯覚すら起きてくる。
「僕ってなんてお手軽な男なんだろうね」
「……そうでもないって、多分」
そもそもあの母さんを惚れさせた相手を、僕が嫌いで居られると思う方が間違いだったのかもしれない。
暫くは、まだ反抗期させてもらいたいけれど。
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