ベリィライク さらさら。 風呂あがりにリビングで通販雑誌を眺めていると、ミチコ(母)が焦げ茶色の袋を出してきた。 「お隣さんからチョコレートケーキ頂いたの。食べよ?」 「ん。紅茶淹れようか」 「やーん、気が効く。お願い!」 台所で薬缶を火に掛けながら、今頃基は新しい父親になる男性と会ってるんだろうな、と考える。相変わらず内心を押し留めて、鋭い母親にすら悟らせずに。 今回は流石の基も泣くかもしれない。ぐずぐずと泣きついてくるのだ。精神的ダメージを負った基の駆け込み寺は、昔から私だった。自分以上に大切なものを定める彼の愚かしさを、昔から間近で見て来た。 理解している。それが基なのだと。ただ私は現象としてそれを理解しているだけで、彼に共感して涙を流すとか、そういうことは出来ない。想えば想うほどに苦しめられて、しかも報われない。そんな状況に陥る自分は想像出来ない。 根本的に他人に興味の無く、他者に共感する事のない私だからこそ、あいつも安心して私の前で泣くのだろうけれど。 ピィイイイ、と薬缶が鳴った。紅茶の葉を入れたティーポットに、とぽとぽとお湯を注いで、砂時計をひっくり返す。余ったお湯でカップを温めておいて、砂時計の砂が落ちきるのを待った。 さらさらと落ちる砂は、基と重なる。 無駄に傷付いて、傷付いたところから、感情は零れおちていくのだろう。あいつは理性が強すぎて、強い感情を持ったとき、空虚にすり替えようとする。ストレスは発散するものだって、知らないのだろうか。 「…よし」 うまく淹れられた紅茶に満足して、気分良くカップを運ぶ。チョコレートケーキなら、コーヒーでも良かったかもしれない。 そういえば、やり方に違いは無い筈なのに、ココアに限っては基の方が美味しく作れる。何故だろう。 お隣さんに頂いたチョコレートケーキは、まったりと濃厚で、とても美味しかった。 歯磨きも済ませてベッドに寝転んだ瞬間、充電器に差しっぱなしの携帯電話が鳴る。凄いタイミングだ。 上半身を起こして、電話に出る。 「どうかした?」 『良い人だった。凄く』 「うん」 『母さんが選んだんだから、当たり前だけど』 「…うん」 そこで母親自慢を挟んでくるのか。思った通り、電話を掛けて来たのは基だったけれど、予想外なのはその声がどんよりと暗いだけで、涙の気配も無く乾いていることだ。 泣きたいときは泣いた方が良いのに、頑固すぎる。 『どうしよう。喜んであげられる、自信が無い』 「馬鹿か」 咄嗟に、罵倒が口をついて出た。何も言わずに黙って話を聞くつもりだったのに。 『わかってるよ。好きな人の幸せを喜べないなんておかしいって事は』 「そういうことじゃなくてさ」 何故こいつは恋愛が絡むとこうネガティブなんだ。世間に後ろ指刺されかねない感情を抱いているという点では、まあネガティブになっても仕方ないけど。 「そもそも何で、諦めるつもりでいるし」 失恋した直後に相手の幸せを願えるほど余裕のある男でも無いくせに、何を生意気なことを言っているんだ。というか、母親が人妻になったところで、何の違いが有るのか。 もともと叶わない恋だったくせに、相手が出来たからって、想うことすら諦めようとする必要性が何処にある。 『…うん。もうちょっとよく考える』 呆然と、間抜けな声を最後に電話が切れた。 全く、妙なところで頭の固い。 だから直ぐにどつぼに嵌って身動きが取れなくなるのだと、何回言ったら理解出来るのか。 [*前へ][次へ#] [戻る] |