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ベリィライク
ぐるぐる。



心の底で、ずっと恐れていた日。
いつかこういう日が来ると、予想しなかったわけではない。報われないだろうことは初めから判っていたし、だから諦めようとしたこともある。けれどそれはとても難しくて、諦めることを諦めた。
報われずとも思い続ける覚悟は決めていた筈なのに、いざそうなってみれば恐怖で足が竦む。纏まらない思考は同じところをぐるぐると回りながら、泥沼のように腹の底に溜まっていく。

「――はじめまして」

目の前の少年と母さんの恋人に、浮かべた笑顔は引き攣っていないだろうか。
ふと思い出すのは田崎のことだ。小唄のことが好きで、だから彼女を不幸にはするなと、僕の前に真っ直ぐに立って睨みつけて来た男。彼と比較して、僕はなんてだらしが無い、情けない男なのだろう。
苦い思いを呑み下して、決して面には出さないだけの分別とプライドは有るけれど、今それが上手くいっているのかどうか不安だ。決して大人では無い自分に嫌気が差す瞬間だった。



母さんの恋人は、槻代龍真という名前らしい。槻代さんは、一目で大人の男とわかるような男性だった。四十半ばだという割に、健康的に艶のある肌が若々しく感じさせる。けれど年相応の落ち着きがあるように見えて、悔しくなる。
彼は、姉夫婦の忘れ形見である甥っ子を引き取り一緒に暮らしている。母さんが槻代さんと結婚した際は、その甥っ子が、僕の義弟になるらしい。朗くんという。学校では、両親から受け継いだ『時田』姓を名乗っているらしい。
将来の義弟になることがほぼ確定している少年は、僕の目の前に無表情で座っている。髪の色素が薄いのは父親譲り、ハイライトの入っていないような真っ黒な瞳は母親譲りだそうだ。

「――基くんは、武術を嗜んでいるんだったかな」

目元を和ませて尋ねてくる槻代さんに笑顔で頷いた。

「はい。一通りは手を出して…今でもたまに道場に顔を出しています」
「部活ではやっていないの?」
「部活は、中学からずっと弓道なんですよ」

穏やかな笑顔で積極的に話しかけてくる槻代さんに辟易する。向こうからしてみれば、これから家族になるだろう僕と友好を築こうとするのは当たり前のことなんだろうけれど、僕はまだ割り切れていないから。

「叔父さん。喋りすぎ」

ふと、朗くんが口を開いた。冷めた眼差しで槻代さんを見ている。

「基さん、全然食べれてないし」

呆れた口調の台詞に、槻代さんが目を丸くして僕の前の皿を見て、申し訳なさげに苦笑した。

「ごめんね。少し興奮しすぎていたみたいだな」
「今朝からずっと緊張してたね。顔には出てなかったけど」

溜息混じりに言いながら山芋の叩きを口に運ぶ動作は、とても堂に入っていた。箸づかいが綺麗だ。「あ、これうまい」の言葉につられるように、僕も小鉢に箸を伸ばす。
朗くんは、現代っ子らしくドライなところも有るようだけれど、よく気の付く良い子だ。意外と世話焼き体質なのかもしれない。

「叔父さんだけ嫌われても知らないよ」

ふふん、と意地悪げに鼻で笑った朗くんに、槻代さんが顔を引き攣らせる。

「お前は、似て欲しくないところばかり母親に似て…」

穏やかなもの以外の表情を見せた槻代さんに、僅かに苛立ちが消えていた。母さんの恋人だというのはどうしたって気に入らないけれど、色眼鏡を掛けずに見れば、槻代さんは確かに人間的には魅力のある人だと納得出来る。
ところで今、ちょっとした既視感に襲われているというか、朗くんに似た知り合いを思い出したんだけれど。



もう一捻り加えたら、浅野部長そっくりの性格になりそうだなぁ。





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あきゅろす。
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