天気は最高だ。空も、雲も、風も、緑も。全てが全て生き生きとして見える。
「ルーシェ、待ちなさい! 聞いてるの!?」
背後で母親が叫んでいる。捕まらないうちに逃げなければ。
ルーシェは村の門へ向かって走った。
呼び止めようとするフィリアの声が、延々とこだましていた。
×××
春の風が髪を掬い上げる。しばらく風の中を彷徨い、元の位置へと戻った。
揺れる髪は赤く、道なき道を見つめる瞳も赤い。ルーシェは村で”神に愛された者”と呼ばれていた。
信仰心からなのか、人とは違う容姿を持ったからなのか。そう呼ばれることへの明確な理由はないに等しい。だが、ルーシェは特に深く考えることがなかった。人と違う容姿に生まれたとはいえ、特に何の不思議な力も持たずに平凡に生きている。
折り重なるように倒れ、道を塞ぐ朽ちた巨木を目の前に、ルーシェは愕然とした表情で立ち尽くしていた。
「誰がこんなこと……」
斧で根元を折られ、木は完全に意思を失っていた。ルーシェはかろうじて生きている切り株に目を向ける。影に隠れた場所で細長い新芽は伸び、必死に太陽に手を伸ばしているように見えた。
森に出入りする人間は多いが、この道を通る人間は少ない。村人は必ず麓や山頂へ向かう確かな道を歩くはずだった。
長く放置されて見えたのは、折られた木が完全に地面に沈みかけていたからだ。だが良く見れば、それは燃やされた痕だと分かった。
村人たちがよく言う言葉が不意に浮かんだ。外界の人間ほど、愚かで神に背を向ける人間はいないと。
しばらくその場に立ち往生していたが、意を決して太い幹を乗り越えた。服が汚れようが、手が煤だらけになろうが気にならない。
今はとにかく怯えている森の様子を知らなければならない。人命に匹敵する、森の命が危うい状況にあるのだ。
一体どこの熱帯雨林に迷い込んだのかと思わせるような、枝から伸びる細長い蔓。それは肩まで届き、まるで先へ行くのを拒んでいるように見えた。
「大丈夫……安心して」
しっとりとした手触りと、露を落とす蔓を手で避けて、ルーシェは森の奥へと向かう。
鳥が甲高い声をあげ、まるで警戒しているようにも聞こえてルーシェは足を止めた。