『二つの強大な勢力が存在するとして』
老司祭は神妙な面持ちでそう切り出した。
『ひとつは。教皇を王とする勢力。ではもうひとつは?』
下らない質問だと一笑して青年は答える。
『俗界の王、神聖国の主アンドリュー・クロスロードの率いる勢力以外ありません』
老司祭はその通りだと頷いた。
『彼らが欲するものはなにか』
『聖女であり“神に恋した者”です』
その存在は如何なる王より尊いと語られ、その祈りは神秘的な力を宿すという。
『己が野望を果たすときが来た』
手渡された一通の手紙。教皇庁で使用される特殊な印章が、教皇の勅命であることを物語る。
黙って受け取り青年は手紙を開いた。
ミラージュ=レイ領の北西、領地の境目に位置する小さな村テリス。そこで聖女が生まれたと、手紙には書かれていた。
如何なる手段を以って“聖女”だと確認したのだろうか。
伝承に残された聖女は赤い髪と瞳とを持つ。ただそれだけの抽象的なものばかり残されたのだ。
奇跡の力についても僅かしか記載されていない伝説を、未だに信じ続けているなど愚の骨頂としか思えない。
青年は疑心を潜め、ただひとこと『御意に』と一礼した。
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聖女に関する文献はどれも抽象的なものばかりで、具体的なことなど書かれていなかった。
赤い髪は人々の罪を背負い殉死した聖人の血で染まり、長く泣き続けたことでその瞳は赤く変貌したのだと。
まるで創作物だ。頑なに信じ込む者たちの姿はあまりに滑稽だ。
一通の手紙をトランクケースに詰めて、青年は拳を握りしめた。
聖女さえいなければ――結果論に過ぎないと分かっていても、曖昧な存在に振り回された人々は苦痛を伴う自白の強要で殺害されている。
許されざる者への断罪へと繋がるのなら、聖女は誰にも渡せない。
聖女が神の如く君臨するのならば、殺された者たちの弔いになるのだから。
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