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桜界逸史
摂陸と海神

「摂陸」

後ろから呼ばれて反射的に振り向いた。

この名前には既に、ずっと前に慣れきっている。

ここ、訓練所から少々長い渡り廊下でつながっている寮の男女共同フロアは、今こそ人は少ないが、いつもなら結構賑わっている場所だった。

摂陸が振り向いた先に立っていたのは先ほど志國との会話にのぼった隊士、海神(ワタツミ)だ。

光の加減によっては青にも黒にも見える綺麗な髪が、不機嫌そうにさらりと揺れる。

よくよく見ると整った顔立ちをしている彼だったが、いつも通りのしかめっ面でこちらを睨んでいた。

対する摂陸は、何だよ?とそっけなく答えながらフロアに設置されている自販機に小銭を入れた。

海神は苛立ったように腕を組んで言う。

「レポート、早く提出しろよ。あとお前だけだぞ。集める側の身にもなれ」

摂陸は内心ぎくりとしながら、自販機からジュースを取り出す。

動揺を悟られないように、無造作に蓋を開けた。
銀の隊員で班長を務める者は月に一度、自分の受け持つ班の訓練成果をレポートにして志國に提出しなければならない。

銀の中に班は五つあり、摂陸も海神もそれぞれの班を率いる班長だった。

ちなみにこのレポートを三回サボれば班長の座を降ろされることになっている。

人の上に就いて下を引っ張っていくのならまだしも、人の下に就くことが苦手である摂陸はレポートをサボるわけにもいかない。

基本的に文字を書くのが嫌いな摂陸は、毎月苦しむことになっていた。

これさえ無けりゃと思ったのはこれで何回目だろうか。

「分かってるって、お前が急かすからだろ」

とりあえず適当にあしらってさりげなく責任転嫁を試みる。

しかし見事に反撃された。

「急かされるようになるまで溜めておくお前に非があるだろう。オレは関係ない」

……悔しいが、おっしゃる通りである。

正しいヤツを選べと言われれば百人が百人海神を指さすだろう。

…が、しかし

ちくしょう、お前に言われると無性に腹が立つのは俺だけか?

気を落ち着かせようとジュースを一気に呷ったが、炭酸だったのでかなりむせた。

その一部始終を呆れた顔で眺めながら、海神がハァ…と溜め息をつく。

摂陸はそんな海神を睨んでから、ふと思いついたように口を開いた。

「あーそういや、話変わるけどさぁ。二ヶ月後の合同練習ってどこの班とだっけ?」

「さぁな、俺は知らん。志國さんに聞かなかったのか?」

「志國?」

いきなり出てきた人物に摂陸は顔をしかめて聞き返した。

確かに志國に聞けばその辺の詳細は分かるだろうが…

首を傾げる摂陸に、海神はめんどくさそうにしながらもこう言った。

「さっき何か話していただろう。お前んとこと合同で射撃訓練やってたときだ」

言い終わって確かめるように摂陸に目線を向けた海神に、摂陸は内心で驚く。

あの後志國はすぐに訓練場を出て行ったし、摂陸もすぐに実弾練習に入った。

志國がいた時間は数分あるかないかだ。
摂陸も忘れていた程度の会話しかしていない。

レベルFを背中越しに撃つという事をやってのけながら、海神は摂陸と志國が会話していることをしっかり把握していたらしい。

「…ときどき俺はお前が怖い」

「………お前はオレの言ったことを聞いていたか?」

「けど銃だけは絶対に負けねぇからな」

「……最近のストレスの元凶はお前か、摂陸」

無駄なやり取りを2.3続けた後、海神は諦めたのか、それまでの会話をぶった切ってレポートの事に話を戻した。

「…もういい。とにかく、さっさとレポート提出しろよ。困るのは志國さんなんだから」

言いながら、海神も財布を腰のポーチから取り出して小銭を自販機に入れた。

炭酸の入っていないものを選んで下から取り出し、蓋を開ける。

それを黙って見ていた摂陸は不思議そうに首を傾げた。

「あれ、お前…炭酸好きじゃなかったっけ?」

「…あぁ、それがどうした」

「なんで今日は、ノーマル?」

「とりあえず、お前とは違うものを飲みたかった」

「………………」

こんな簡単な海神の引っかけに乗せられてはいけないと思いつつ、さらりと流せないのが摂陸の悲しい性だ。

「………テメェ、いつかぶっとばすからな」

「炭酸を一気飲みして噎せ返るような奴に、殴られるなんてヘマをオレがすると思うか」

普通に進むはずだった会話を、いつの間にか摂陸の負け試合に仕立て上げてしまうのは海神が一番上手いだろう。

結局、反抗してもさらりとかわされてしまうことは毎度のことで、重々分かっているはずなのだが、どうにも反抗せずにはいられない。

やられたらやり返さないと気が済まない性格が『単純バカ』だと称される原因だということにいまだに気づいていなかった摂陸は、今回もいつも通り、海神を精いっぱい睨むことしか出来なかった。





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