trip〜the change〜
桜の木
私は、放課後の鐘を聞いて、席を立った。
ざわめく教室の中、通学鞄を肩にかけ、さっさと美術部に向かう。
私は水町陽子(みずまち ようこ)。
地元の高校に通っている、極ふつうの女子高生。
所属しているのは美術部。風景画を主に得意として、毎日放課後絵を描いている。
今日は運動部がいないから、久しぶりに校庭に出て絵を描こうと思う。
美術部で本を読んで生徒がいなくなったのを見計らった後、キャンバスと画用紙、鉛筆を持って美術室を出た。今日は運動部がいないから、グラウンドをひさびさに描けるはず。
玄関に向かい、上靴からローファーに履き替えて、グラウンドに向かう。
──どこから描こう。
広いグラウンドに出て、私は校舎の正門前で高揚しながら思った。
捉えるアングルは、いつも決まるまで時間がかかる。
私は校庭をうろうろしながら、うーんと様々な角度でグラウンドを捉えた。手で写真を取るみたいに四角の枠を作って、その範囲をくり抜いて、画用紙に投影するところを想像して。
うーん…イマイチ。
ピンとこなかったら移動して、また違う角度からグラウンドを枠でくり抜く。
手の四角い枠には、グラウンドの乾いた地面と、サッカーのゴールポスト、ベンチ、鉄棒が見えた。
ううーん…。
なかなか決まらず、眉を寄せてグラウンドを移動する。
今日は天気がいいので、太陽の光がまぶしく、暑い。夏とか苦手だ。特に今年は10年に一度の猛暑になるらしく、本当に勘弁して欲しい。
夏とか、一番嫌いな季節だわ。
グラウンドを移動し、四角でアングルをつくる作業を繰り返しながら、指定シャツの第一ボタンを開ける。
ぱたぱたと襟を掴み仰ぎながら、私はひたすらピンとくるあの感覚を求めて歩く。
そうしていると、校庭の隅の方にきてしまったらしい。
校舎の影になった、日陰の場所。
あちゃー…。
しまった、と思いながら、陽向の方へ歩き出そうとした時。
ふわりと、何かが私の頬を掠めた。
「?」
不思議に思って見てみると、それは桜の花びらだった。
「…桜?」
つぶやいて、首を捻る。
おかしい。今の季節、桜はとっくに散っているはず。
そう思って振り返ってみると、そこには一本の桜の木があった。
「え…??」
一瞬、今は春かと錯覚する。
桜の木があるその場所は、そこだけ夏と切り離されたかのように清廉な空気を纏っていて、神秘的にも見えた。
私は疑問に思いながら、その桜の木に向かって一歩踏み出す。
何でこんな季節に桜が…? あれ、ていうかこんなところに木なんてあったっけ?
様々な疑問を頭の中でぐるぐると飛び交わせながら、桜の木の下に行く。
桜の木は風も吹いていないのに、ひらひらと桜の花びらを散らせていて、静寂に包まれたそこでは幻想的にも思えた。
思わず、そっとその幹に触れてみると。
…え?
ぐわんと、視界が歪んで、意識がねじ曲げられるような感覚に陥った。
何…?
そんなことを思ったのを最後に、視界がブラックアウトした。
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